3+3
今年も緑を赤に町が染まる。
雪の足音が聞こえる。
さくっ、さくっ、さくっ。
一面の夜空を見上げると、雪が落ちてくる。
結晶が見えるような、大きな雪のつぶ。
わたぼこりが落ちてくるようで、なんだか汚いな・・・
そんな事を想いながら、夜空を見上げている。
12月24日。クリスマスイヴ。イエスキリスト誕生の前日。
なぜに、日本人はこの日をこんなにも重宝がるようになったのだろう。
日本人の中に、イエスキリストが何人かも知らない人間が無数にいるというのに、なぜに祝福し、笑顔のあふれる日になったのうだろう。
そんな事を想いながら、毎日終わらない仕事に向かっていた。
僕は、一般的にはSEと呼ばれる仕事についている。
確かに給料はいいが、その分自分の時間なんてない。
毎日毎日、PCの画面に向かい、思考は止まっていても指は動くほどになっている。
毎日毎日、PCの画面を見ていると、いつしか自分がPCを操作しているのではなく、自分がPCに操作されているような気分になってくる。
キーボードと僕の指は常につながっている。画面が変わると、僕も動き出す。そうさ、操作されているんだ。
夜中まで仕事場にいることはしょっちゅう。オフの日も、専用の携帯電話を持たされて、システムに以上があれば最優先で向かわなければならない。
そんな日々が僕の全てだった。
街が緑と赤に染まり始めると、僕の心は白黒になってくる。
何も感じないように。人の笑顔を見ないように。
僕の周りには人がいない。仕事場の人間とも別段親しく話をするわけではない。
昔の友人達は、僕の仕事の時間と合わないことが多くなるにつれて、一人また一人と減っていった。
僕は、孤独だった。
世間が浮かれ騒ぎ出すほどに、それを感じる。
仕事帰り。終電もなくなり、タクシーを拾おうとして夕食をとっていないことに気がついた。
近くのコンビニにでも寄ろうと思い、足を運ぶ。
店内には、立ち読みをしている客がいた。
こんな時間に立ち読みをしにくる。電灯に集まる虫のようだ。
家に帰りたくないのだろうか。妙に仲間意識を持って、隣にたって雑誌を手に取った。
2分後、トイレから女性が一人出てくる。
そして、隣の客の腕を取った。
立ち読みをしているのは、僕一人になった。
僕は、やはり孤独だ。
孤独な毎日に、僕はとがってきたように思える。
職場の人とも話す機会のない日もある。
毎日毎日、思考を止めながら指を動かす。
とがってきたのは、感度だった。
僕はあらゆる面で敏感になっていった。
音が鋭く聞こえる。
味が鮮明に感じる。
寒さや暑さ、そうしたものにもとても過敏になった。
体に何か変化があったわけでもない。
ただ感度が高まっていった。
いつも着ているシャツを羽織ったときの、布が肌をすれる感覚。
夜中のタクシーに乗ったときの運転手の脂ぎった匂い。
冷えて帰った後にストーブの前に座り、足が暖まってやわらかくなる感じ。
そうしたものが、今まで以上に鋭く、鮮明に感じるようになってきた。
隣を歩くカップルが、クリスマスには財布がほしいと話している。
今までなら聞こえなかったものが聞こえるようになってきた。
人の考えていることも聞こえるような気がする。
僕は自分の変化にとまどい、疑問を持ちながらも、思考は止めた毎日を送った。
相変わらず、僕は孤独だった。
クリスマスイヴが明後日に迫った日だった。
たまに、街が明るい時間に帰れることがある。
僕の感度は鋭さを増し、肌をなるべく出さないような服装で、家路を急いでいた。
カップルだらけの街中も、思考を止めれば何も感じない。
寒さを肌は最大限に感じながらも、心は何も感じない。
ジングルベールジングルベール、鈴が鳴る~♪
耳には鋭く聞こえたが、心は何も感じなかった。
感度が高まれば高まるほど、心は何も感じなくなってきた。
五感の感度は高まっていたが、僕は何かを不快に思うこともなかった。
痛み、寒さ、暑さ、おいしさなどの感覚も冴えていても、何も思うことはなかった。
いつしか、僕は、孤独を感じなくなっていた。
この日は、雪が朝から降っていて、もう50センチほどはつもっているだろうか?
いまだに雪は降り続いている。
街中から離れ、少し人気のなくなった道を僕は歩いた。
さくっ、さくっ、さくっ。
歩くと、心地よい音が耳に響く。
ふと、立ち止まり、空を見上げる。
さくっ、さくっ、さくっ。
雪の足音が聞こえる。
一面の夜空を見上げると、雪が落ちてくる。
結晶が見えるような、大きな雪のつぶ。
わたぼこりが落ちてくるようで、なんだか汚いな・・・
そんな事を想いながら、夜空を見上げている。
僕の中の時間が止まったように思えた。
「・・・けて。」
止まった時間の中に、僕は声を聞いた。
「・・・すけ・・た・・・て。」
か細い声が聞こえた。
僕は、あたりを見回した。
人気のない、住宅街。
たまに走る車の音くらいしか聞こえない。
他にはしんしんとふる雪の音だけだった。
僕は、あたりをもう一度見回す。
「たす・・・けて。」
確かに、聞こえた!どこからだ?
右には大きなマンション、左には一軒屋。どこから聞こえたのだろう。
マンションの横には物置があった。物置の屋根にはひどく雪が降り積もっている。
そんな中、一箇所だけあまり雪の降り積もっていない屋根があった。
軒下には、大量の雪がつもっていて、屋根につながりそうなほどである。
「たすけ・・・て。」
大量の雪の中から、声が聞こえた。
この中にいる!僕はそう確信した。
僕は、軒下に積もっている大量の雪を素手で掘った。
感度は高まっている。雪の冷たさが、すぐに襲ってくる。
氷が張っているところもあった。それでも一心不乱に掘り続ける。
手は真っ赤になり、感度が高まっているだけにすぐに感覚がなくなった。
僕は、何をしているのだろう?本当に、こんなところに人が埋まっているのか?
僕はそこで、思考を止めた。
思考せずに、脳から直接電気信号で手を動かす。
考えなどない。ただ雪を掘る。
しんしんと雪は容赦なく降り、僕の上にも大分積もってきた。
それでも、僕は掘り続けた。
1.5mは掘っただろうか。僕の手は何かに触れた。
冷たい雪の中の、暖かいもの。
手だった。
手は冷たかったが、感度の高まっている僕にはほのかに暖かく感じた。
生きている。僕はそう確信する。
僕はがむしゃらになって掘り続ける。頭が見えた。
どうやら子どものようだ。
掘り続ける。
体が見えてきた。もう少し。
意識はないようだ。頭から、血も流している。
肩まで出たところで、体に腕を回し、引っ張り上げる。
雪が重くのしかかっており、中々、体が出てこない。
掘り直し、もう一度引っ張り上げる。
まだでない。もう少し。
もう一度。
僕はいつしか、声をあげて叫んでいた。
おおおぉ、言葉にならない声をあげて引っ張る。
子どもの体が雪から出てくる。勢いで体が後ろに行き、バランスを取れず、もんどりうって雪山から転げ落ちる。
転げ落ちながらも、僕は子どもをしっかりと抱きしめて、離さなかった。
転げ落ちた先に、僕はパトカーの光を見た。赤い光は目に痛かった。
赤い光は、焦点を失い、視界がぼやけてくる。
そうして、僕は意識を失った。
抱きしめた体からは、ほのかな暖かさを感じながら。
僕は、目を開けると白い天井が写った。
体が痛い。特に、手が痛い。
どうやら病院のベッドに寝かされていたらしい。
「あ、目が覚めましたか?」
看護士が声をかけてくる。
「手、痛いですよね。ひどいしもやけになってて、氷で傷もついていたんですよ。当分、手を使う作業はできませんからね」
「・・・はぁ。」
「いや、でも大変でしたね・・・」
看護士の話によると、家の中で遊んでいたはずの子どもがいつしか見当たらない。
心配した親が警察に電話をしてパトカーを呼んだときに、僕が雪を掘っていたらしい。
子どもは積もった雪をよじ登り、物置の屋根に乗ろうとしたとき、軒下のやわらかい雪に埋まってしまい、その上屋根の雪が落ちてきたという状況だったようだ。
幸いのことで、埋まってからの時間がそんなに長くなかったので命に別状はなかったが、頭は氷で切れていたし、何より5歳の子どもだったこともあり、後1時間も遅ければ危なかったらしい。
「でも、どうして意識を失っていた子どもに気付けたんですか?その子が埋まるのを見てた訳ではないですよね?」
「・・・どうしてでしょうね?」
感度が高まっていたからです、なんて言ったら頭のおかしい人間だと思われるだろう。
「お腹、すいてますか?もうお昼の12時ですよ。何か持ってきますね。」
パタパタとスリッパの音を立てながら、看護士が出て行った。
と、思ったら、また急ぎ足で看護士が戻ってきて、
「あ、助かったお子さんはまだ安静にしています。今日は会えないとは思います。後で、ご両親を呼んできますね。」
と告げて、また急ぎ足でパタパタと出て行った。
静かになった病室で、天井を見上げながら、僕はまたまどろみの世界に落ちていった。
僕は夢を見ていた。
子どもの頃、信じていたサンタさんが、実はお父さんだったと気付いたあの日。
夜中に薄目を開けて、枕元にプレゼントを置くお父さんを見て、すごい罪悪感に襲われたものだった。
とんでもないものを見てしまった気がして。
朝、両親のいるところに行き、プレゼントを掲げながら言ったのだった。
「お父さん、お母さん、サンタさんが来てくれたよ!」
目が覚めると、夜だった。
体を起こすと、手が痛い。
包帯が巻かれていて、指は動かせそうにない。
仕事、できないな。
ふとそんなことを思ってしまう自分が情けなかった。
ベッドサイドの時計は11:56分とある。
時計の前には、一枚の紙があった。
ベッドの横の電気をつけ、読む。
「ありがとう さんたさん」
つたない字で書いてあった。
視界がぼやける。
今度は、意識が遠くなるのではない。
涙がとめどなく流れてきた。
僕は、孤独だった。
今まで、孤独だった。
周りと接触することを避けるようになり、一人だけの世界に逃げ込んだ。
そんな僕が、さんたさん。
笑わせてくれるじゃないか。
僕は、声をあげてないた。
僕は、孤独なんかじゃなかった。
この世界に必要とされていたのだった。
僕は、名前も知らないあの子を助けて、名前も知らないあの子に助けられたのだった。
そして、僕はわかっていた。流した涙と共に、僕の高まった感度も元に戻ることを。
時計は0:04とある。
クリスマスイヴは、始まったばかりだった。
彼の心は何色に染まったのだろうか?