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毛根シネマティック・ユニバース(MCU)~秘密結社事件記録~

無鼻毛に悩む男が再生を果たす物語・序章

作者: kawauso2017
掲載日:2026/09/27

迫田は困惑していた。


 テレビのニュースでは、一人の男性が怒り狂っている。


『被害男性は、頭部に高濃度毛根再生剤を噴霧され――』


 画面に映る男の髪は、腰近くまで伸びていた。


 つややかな黒髪。


 量も申し分ない。


 むしろ多すぎるほどである。


『私、四十年以上スキンヘッドなんですよ! 永久脱毛までしたんですよ!?』


 男性はカメラへ向かって訴えていた。


『三時間ですよ!? 三時間でこれですよ!?』


 迫田は無言でテレビを見つめた。


「……贅沢な」


 思わず呟いた。



 もちろん、被害男性にとっては深刻な事件である。


 望んでもいない身体的変化を強制されたのだ。


 怒るのも当然だ。



 だが。



 迫田には、生まれつき無いものがあった。



 鼻毛である。



 一本もない。



 正確には極めて少ない、というべきなのかもしれない。


 しかし実用上は、無いと言って差し支えなかった。



 これが地味に辛い。



 ゴミを吸う。



 花粉を吸う。



 塵を吸う。



 時には小さな虫まで入ってくる。



 そう。



 迫田には無いのだ。


 人類が長い進化の果てに獲得した、鼻腔内の天然超防御機構が!!!


「……鼻毛さえあれば」


 迫田は何度そう思ったことだろう。


 マスク。


 フィルター。


 鼻腔用の保護剤。


 さまざまなものを試した。



 だが違う。



 迫田が欲しいのは、そんなものではない。


 もっと自然に。


 もっと当たり前に。


 ただ鼻から、思い切り空気を吸いたいだけなのだ。



     ◇



 そんな迫田が、高濃度毛根再生剤の存在を知ったのは数か月前だった。


 画期的な再生医療技術。


 頭皮へ噴霧するだけで、失われた毛根を活性化させる。


 薄毛に悩む人々の救世主。


 世界的な大ヒット商品。


 迫田は考えた。


 ――毛根を再生する。



 ならば。



 鼻腔にも効くのではないか。



 説明書には、


『頭皮専用』


 と書かれていた。



 迫田は悩んだ。


 三日ほど悩んだ。


 そして。



「……少しくらいなら」


 試した。


 鼻腔へ軽く噴霧。


 待った。



 一日。



 三日。



 一週間。



 生えない。



「……濃度か?」



 迫田は考えた。


 そして今度は。


 思い切り吸い込んだ。



「――ッ!!」



 鼻の奥に刺激が走った。


 涙が出た。


 くしゃみが止まらなかった。


 だが。


 迫田は期待した。



 一日。



 三日。



 一週間。



 生えなかった。



「……なんで生えてこねぇんだよ!!」



 説明書は正しかった。




『本製品は頭皮にのみ有効です』




 大きく書いてあった。


 鼻腔内の毛根には作用しないらしい。


「そりゃそうだ……」


 迫田は、改めて気づいてしまった。


 もし目的箇所以外にも効能があるのなら。


 今頃、全身増毛事件がそこらかしこで発生しているはずなのだ。


「……まだだ」


 一縷の望みをかけて、迫田は販売元のサポートセンターへ電話を入れた。



『はい、お客様相談窓口でございます』


「あの……こちらの製品なんですが、頭部以外にも効果のある製品を出す予定はないのでしょうか?」


『申し訳ございません。現段階では、頭部以外への効果については開発を中止しております』


「えっ」


『申し上げにくいのですが、需要の面で……。以前、眉毛への使用についてもお客様からご要望をいただき、検討したことはございます』


「眉毛……」


『はい。しかし、現段階では未着手となっております』


「……そう、ですか」


『お客様の眉毛にも効果があればよかったのですが……』


「いや、眉毛じゃ――」


『今回のご意見は、間違いなくお客様のご要望として承ります。このたびはご期待に添えず、申し訳ございませんでした』


「……はい」


 電話が切れた。


 迫田は絶望した。



 眉毛ではない。


 鼻毛なのだ。


 眉毛ですら、需要不足で開発されていない。


 まして。


 鼻毛。


「……さらにニッチじゃねぇか……」


 迫田は静かに天井を見上げた。


「俺は……生涯……」



 数日後。



 迫田は、また見てしまった。



 今度はSNSで。


 前回の、あの男だった。


 画面に映る男性の頭は、綺麗に剃り上げられていた。


 以前と同じ、見事なスキンヘッド。


 男性は誇らしげにポーズを取っている。


 そして動画の最後。



『頭皮永久脱毛へのご支援をお願いします』


 クラウドファンディングの募集ページが表示された。


「……俺は生涯、新鮮な空気を気兼ねなく鼻から吸えないのか……!」


 迫田は拳を握った。


 神様は不公平だ。


 画面の男には、望んでもいない毛が大量に生えた。


 そして今、その毛を再び失うために金を集めている。


 なのに。


 自分には――。


「一本くらい……鼻に回せよ……」


 迫田の目から、涙がこぼれた。


 もう嫌だった。


 埃が。


 花粉が。


 塵が。


 そして何より。



「虫……」



 迫田は顔を覆った。


「あいつら……!」


 夏の夜。


 気持ちのいい風。


 軽い散歩。


 そんなささやかな楽しみさえ、あいつらは破壊する。


 鼻腔へ。


 遠慮なく。


 一直線に。


「なんで入ってくるんだよぉ……!」


 迫田は泣いた。


 もう疲れた。


 こんな人生。


 こんな鼻腔。


 もう――。



     ◇



 その日の夕方。


 迫田は、当てもなく街を歩いていた。


 気づけば、人通りの少ない路地裏へ入り込んでいた。


 古びた建物。


 シャッターの閉まった店。


 人気のない細い道。


「……ん?」


 ふと。


 迫田の足が止まった。


 小さな扉。


 そこに。


 さらに小さな金属製のプレートが貼られていた。


 迫田は目を細める。


 そこには、こう書かれていた。





『秘密結社カツラは世界を救う』





「……なんだこれ」


 普通なら。


 そのまま通り過ぎただろう。


 だが。


 その下。


 さらに小さな文字がある。


 迫田は顔を近づけた。



 読む。





『求む 頭皮以外への被験者』





「……」



 迫田は動かなかった。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 やがて。


 震え始めた。


「……頭皮以外」


 もう一度読む。



『求む 頭皮以外への被験者』



「……ある」


 迫田の目から涙がこぼれた。


「まだ……道がある……!」


 怪しい。


 どう考えても怪しい。


 秘密結社と書いてある。


 自分で。


 堂々と。


 秘密結社と。


 普通なら絶対に入らない。


 だが。


 迫田には、もう失うものなどなかった。


 いや。


 正確には。


 **失っているものを取り戻したかった。**


「鼻毛……」


 迫田は呟いた。


「俺は……ただ鼻毛が欲しいだけなんだ……」


 涙を拭う。


 深く息を吸おうとして。


 途中でやめた。


 また何か入ってくるかもしれない。


「……もう嫌なんだ」


 そして。


 迫田は。


 ゆっくりと。





 秘密結社のドアに手を掛けた。

残酷描写:鼻腔を虫が蹂躙する描写について。

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