6話
※最終話です
外界実習、最終日。
喫茶店の前で、ビューは深く息を吸い込んだ。
(今日で最後か……
長かったような、短かったような……)
胸の奥の“怖さ”は、まだ完全には消えていない。
けれど、以前とは違う。
(境界線を張れば……僕は壊れない)
教授の言葉が、背中をそっと支えてくれていた。
◇
開店してすぐ、いつものスマホを見たまま注文するお客さんが来た。
「カフェラテ、アイス。氷すくなめ」
今回も一度も目が合わない。
以前なら、胸がざわっと波立ったはずだ。
しかし今日は──
(この人は僕を見てないだけ。
敵意じゃない。“外界の仕様”)
落ち着いた声で復唱すると、客は無言で去っていった。
(……大丈夫。前よりずっと……怖くない)
胸の傷が、ひとつ分だけ軽くなる。
◇
昼前。
スーツの男性が、入ってきた瞬間から不機嫌気味だった。
「時間ないんだけど!?」
以前のビューなら、萎縮していた。
でも今日は違う。
(“時間がない”という感情に支配されてるだけ。
僕個人への怒りじゃない。
災害の通り道に、たまたま僕が立ってるだけ……)
ユイが横で心配そうに、でも柔らかな視線でこちらを覗いてくる。
『大丈夫だからね、落ち着いて』と、聴こえる気がする。
その声に支えられ、ビューは正確に対応した。
男性は無言のまま商品を受け取り、嵐のように去っていく。
……風だけ置いて。
(本当に……怖くない……)
胸の奥があたたかくなった。
◇
午後。
ドアのベルが鳴った瞬間、心臓がひときわ強く跳ねた。
……笑顔の“あの女性客”だった。
注文の復唱ミスを指摘し、努力不足と笑顔で刺してきた客。
(来た……でも、大丈夫。
今日は“線を引く”って決めてる)
呼吸を整え、ビューは落ち着いた足取りでカウンターに立つ。
女性は以前と変わらず柔らかい笑顔を浮かべていた。
その笑顔が、今日はなぜか以前ほど怖くない。
「すみません、今日も同じものをお願いね」
柔らかな声。
しかしその裏には“微細な圧”が確かに潜んでいる。
だが、ビューは胸の内でゆっくり言葉を置いた。
(これは僕に向いた攻撃じゃない。
ただ、その人の“習性”なんだ)
声は落ち着いていた。
「かしこまりました。
こちらのカフェモカとスコーンでよろしいでしょうか?」
ビューは、しっかりカフェモカを指さし、女性の目を見て復唱した。
言葉だけでなく、視線でも確認する。
教授の言っていた「境界線」を意識した確かな動作。
「ええ、そう。それでお願いね」
以前のような“試す圧”が薄まり、ただの確認のやり取りに変わっていった。
女性は満足そうに頷いた。それで終わりだった。
胸に痛みは……ない。
(そうか……
この人の評価は、僕の価値とは関係ないんだ)
胸の奥に、しんと穏やかな温かさが広がった。
◇
閉店前。
店長がビューの肩を軽く叩いた。
「ビューくん。
……今日、ずいぶん落ち着いてたな!」
「え、そうですか?」
「うん。なんつーか……“こっちの空気に飲まれなくなった感じ”。
最初の頃とは、全然違うよ」
照れくさくて、少し笑ってしまう。
店長はお店で沸かしたホットコーヒーを渡した。
「今日で最後か。助かったよ。
本当にありがとうな」
「こちらこそ……ありがとうございました!」
そこにユイもやってきた。
「ビューくん、最後の日なんて寂しいなぁ。
いつでも遊びに来てね! 今度はお客さんとしてね!」
にこっと笑うユイの言葉に、ビューの胸がふっとあたたかくなる。
だがそのすぐ後、店長はカウンターに肘をつきながら、半ば独り言のように重いため息を落とした。
「あーあ……また明日から人が減るのか……つれえな……」
「……店長、あの、言いにくいんですけど」
「ん?どうしたユイちゃん」
「私、明日から一週間お休みですよね? 覚えてます?」
その表情からして、「これ何度目の確認だっけ」という呆れもほんのり混じっている。
店長は一瞬だけ静止した。次の瞬間、魂が抜けたような声を漏らす。
「……マジか……忘れてた……
ビューくん、延長……無理? 無理か?
今日で終わりじゃなくても……?」
そんな“藁にもすがる”視線を送られて、ビューは思わず身を引いた。
実習は今日まで。延長できるわけがない。
「ふふ、仕方ないですねぇ。
店長、いくらまで出せます? 私、出てあげますよ?」
「値段交渉されてる!?
バイトなのに人質みたいになってない!?」
ビューは思わず吹き出した。
(外界って……やっぱりよく分からないけど……
でも……こういうの、嫌いじゃないな)
笑い声が喫茶店に広がり、
最終日の空気は、静かに、あたたかく締めくくられた。
◇
寮の部屋に戻ると、端末が震えた。
最終日だったこともあり、自然な流れでいつもの4人がビューの部屋に集まっていた。
【教授より:特別レポート返却】
「おっ、今日のはいつもより長いな」
「特別レポートって書いてある……」
ビューは震える指で開いた。
《ビュー君。
本日、あなたは“境界線を引く”という最成熟の魔術を身につけました。
これは攻撃魔術でも防御魔術でもなく、
“生きるための魔術”です。》
《外界の理不尽は、今後も容赦なく襲います。
社会人になってから初めて遭遇した者は、
深く、深く傷つきます。》
《しかしあなたは違う。
今回、あなたは災害を“災害として扱う”ことを覚えた。
自分を責めず、相手のゆがみを自分に持ち込まなかった。
これは極めて大きな成果です。》
アッシュが思わず天を仰ぎ、肩を震わせている。
「おお、教授……今日も名言が渋い……!」
ミューは胸に手を当て、ゆっくり息を吐いた。
その表情には、まるで救われたような温かな色が差していた。
ラザンはと言えば──
難しい内容のはずなのに、なぜかぱぁっと顔を輝かせていた。
意味は全部理解していないらしいが、
“なんだか嬉しい”という気持ちだけは全身ににじみ出ている。
教授は続ける。
《そしてもうひとつ。
本学・生成魔法研究所より通知が来ています。
あなたの外界観察レポートが高く評価され、
研究所インターンへの参加打診が届いています。》
「…………え?」
「え、研究所の採用!?!?!?!?」
「すごい……すごいよビュー……!」
アッシュとミューが驚きの声を上げる。
教授の文章は静かに締められていた。
《兼ねてから、生成魔法の評価は十分にありました。
加えて、今回の成果。
あなたの観察力は、魔術工学の発展に役立つでしょう。
自信を持ちなさい。
あなたは、よくやりました。》
ビューの目から、静かに涙がこぼれた。
(僕……報われたんだ……
頑張って……よかった……)
胸の奥の光が、もう消える気配はなかった。
◇
夜空を見上げ、ビューは思う。
(外界の人たちって……やっぱりよく分からなかった)
理不尽もある。
圧もある。
矛盾もある。
でも──
ユイも、店長も、確かな“優しさ”もあった。
(理解できなくてもいい。
怖がらなくていい。
僕はもう、“境界線を張れる”から)
ビューは静かに微笑んだ。
明日からまた、新しい日が始まる。
彼の未来は、ゆっくり、でも確かに動き出していた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
今回は、某SNSで流れてきた「大学生に接客バイトは必修」というタイムラインから、
「あーそれめっちゃわーかーるー!」という衝動のまま書いた短めの連載です。
思った以上に“やさしい社会風刺”になりました。
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鳳梨亭ほうり(Houritei Houri)




