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魔族大学では接客バイトが必修です。外界は理不尽なので。  作者: 鳳梨亭ほうり


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5話

その夜。

ビューは寮の自室で、机に向かっていた。


……けれど、ペンが動かなかった。


外界実習レポートは毎日提出が義務だ。

出さなければ単位に響く。


(書かなきゃ……でも……書けない……)


胸の奥が、まだじくじく痛む。

今日の「優しい圧」が、頭の中で何度も再生される。


『次から気をつければいいだけだからね』


『新人って努力が足りないよね』


『できる人は、最初から姿勢が出るものだよ』


全部、笑顔だった。

全部、穏やかな声だった。

怒鳴られたわけではない。


……だからこそ、怖かった。


(僕……やっぱりダメなのかな……)


思わず、そんな言葉が心の底から浮かんだとき──

コンコン、と扉がノックされた。


「ビュー、大丈夫かー?」


アッシュの、少し雑な声。

ミューの柔らかい気配と、ラザン特有の、ぼよん、とした足音も聞こえる。


「ビュー、入るぞ」


声を発する前に、扉が開き、アッシュ、ミュー、ラザンが揃って入ってきた。



アッシュが腕を組み、部屋をぐるりと見渡す。


「お前、食堂で見てからずっと顔が死んでたからな。ほっとけねぇだろ」


ミューも心配そうに近づいてくる。


「……なにか、あったんでしょう……?」


ラザンは相変わらずマイペースだ。


「そーゆー時はね、“ぷるぷるすると治る”って教わったよ!」


「……教わってないよね?絶対違うよね?」


本気で言っていそうなので、誰も強くツッコめなかった。


「……来てくれて、ありがとう。

 ほんとに……ちょっと、正直かなりしんどかった」


ビューは、少しだけ力なく笑い、今日の経緯を説明した。



アッシュがベッドに腰を下ろし、ため息をつく。


「分かるぜ。ああいう“丁寧にエグってくるタイプ”、一番タチ悪いからな」


ミューがこくんと頷く。


「しかも、優しそうな人ほど……

 “自分が悪いのかな”って、余計思っちゃうし……」


「うん……まさにそれで……

 自分の悪いところしか、見えなくなるというか……」


アッシュは、ぽん、とビューの肩を叩いた。


「でもな、ビュー。

 お前が“悪い側”だとしたら、俺たち全員とっくに外界から追放されてるぞ」


ミューも、やわらかく笑う。


「外界はね……ほんと、理不尽あるよ。

 でも、悪いのは“外界の方”だったりするんだよ……」


そして、ふと思い出したように続ける。


「だって……私のバイト先の店長さんだって、外界のヒトなのに……

 たまに“ほんと疲れる……”って死んだ目で言ってるもん。

 ニンゲンなのに、ニンゲン界の愚痴言うんだよ……?

 あれ見ると、ああ……外界って大変なんだなぁって思う……」


ラザンが胸を張った。


「ぼくはねぇ、一回も“自分が悪かったな〜”って思ったことないよ!」


「お前はそのままでいてくれ……」


三人の言葉と、いつもの調子が、

ビューの呼吸を少しずつ整えていく。


(……大丈夫。

 少しは……前に進める……)


深呼吸を一つしてから、

ビューはレポート画面に向き直った。



震えそうになる指を、意識してゆっくり動かす。


今日はごまかさない。

うまくまとめようとせず、あったことをそのまま書く。


パンの向きの話。

新人だから、努力が足りないと言われたこと。

怒鳴られてはいないのに、ひどく苦しかったこと。


書き終えて、送信ボタンを押す。


「……送った」


ほんの数十秒後、画面に通知が浮かんだ。


「……早っ」


アッシュが眉をひん曲げる。


「いつも思うけどさ……

 教授の返信速度って地味に異常だよな。

 ん? 俺だけじゃない? これを全員分?」


ミューもくすりと笑って肩をすくめる。


「ね……精神状態、完全に読まれてる気がするよね。

 送った瞬間に裏で見てるんじゃないかな……」


ラザンがぼよんと跳ねる。


「教授、実はいっぱいいる説〜!」


「いやそれは怖ぇよ!

 けど、あながち否定できねぇ……」


アッシュが即ツッコミをする。

ビューは小さく息を飲み、震える指で通知を開いた。



《ビュー君。

 まず、最初に一つだけはっきりさせましょう。

 あなたは、ミスをしていません》


スクロールする手が止まった。


《“パンの向き”で人格や姿勢を評価する世界は、

 あなたが合わせる必要のない世界です》


胸の奥が、少しだけふっと軽くなる。

教授の文章は、淡々と続いていく。


《ニンゲン界には、

 “相手を裁くことで自分を安心させたい者”

 という種別が一定数存在します》


《彼らは、あなたがどう振る舞おうと、どこかに欠点を見つけます。

 そこに論理はなく、改善への意図もありません。

 ただ、自分が優位な位置に立っていたいだけです》


アッシュが画面をのぞき込み、思わず笑う。


「ほら来た。教授のキレッキレ分析タイム」


ミューも、肩の力が抜けたように微笑む。


「優位に立ちたいだけ……ほんと、そうだよね……」


ビューは目を戻し、続きを読む。


《怒鳴る者の方が、まだ分かりやすい。

 しかし、笑顔と丁寧な言葉で刺す者は、もっと厄介です》


《受けた側は、“自分が悪いのではないか”と、

 自分の中に原因を探し始めてしまう》


《私はこれを、“偽装された善意の圧力”と呼んでいます》


(……偽装された、善意……)


言葉が、すとんと胸の奥に落ちた。


教授の文章は、さらに深いところに踏み込んでいく。


《いいですか、ビュー君。

 理不尽は、あなたの鏡ではありません》


《そこに映っている“欠点のように見えるもの”は、

 あなた自身の本質ではなく、

 相手の心の形がゆがんで映り込んだ、ただの残像です》


「これ、寮の廊下に貼っとこうぜ」


「分かる……読むだけで、胸がすっとする……」


「難しいことは分かんないけど、なんかスッキリする〜」


ビューの目に、じんわりと熱がこもっていく。


(……僕の本質じゃない。

 相手のゆがみ……)


《あなたは、“反省”という魔術を真面目に使いすぎています》


《優しい者ほど、自分を責めやすい》


《しかし──》


《他者の感情は、あなたの責任ではありません》


ビューは、思わず息を止めた。


(……そんなふうに、言われたの、初めてだ)


教授の文章は、静かに締めくくられていた。


《境界線とは、

 “どこまで自分を差し出すか”を決める線です》


《今日は、あなたはその線を少し越えて踏み込まれてしまった。

 それだけのことです》


《壊れてはいません。

 線を引き直せば、また立ち上がれます》


《明日は、少しだけ距離を取ってみなさい》


《大丈夫。

 あなたは、よくやっています。

 どこに出しても恥ずかしくない、立派な実習生です》


画面がにじんだ。

気づけば、頬に一筋、涙が伝っていた。


アッシュが目を丸くする。


「……ビュー、泣いてる?」


ミューは、優しく笑った。


「泣いていいんだよ。

 教授、ちゃんと見てくれてるもん……」


ビューは、少しだけ声を震わせながら笑う。


「……なんか……重たかったのが、抜けた気がして……

 苦しかった理由が……やっと、言葉になったというか……」


ラザンが、よく分からない方向から感想を述べる。


「ぼく、ビューが泣いてるとね、一緒にお風呂入りたくなる〜」


「お前は黙っとけ」


アッシュのツッコミに、ミューがくすっと笑い、ラザンは首を傾げる。

その空気ごと、ビューの中の何かが、ふっとほどけていく。


ビューはそっと画面を閉じた。


(……明日、少し距離を取ってみよう。

 全部、僕のせいじゃなかったんだ)


胸の奥に、

小さな光が灯るのを感じた。



窓の外では、夜空が静かに瞬いていた。


(外界は、やっぱり怖い。

 でも……教授の言う“境界線”を覚えれば、

 僕でも、きっとやっていける)


優しい種類の覚悟が、胸の奥に広がっていく。


ビューは布団に潜り込み、

ゆっくりと目を閉じた。


明日も外界に立つために。

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