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魔族大学では接客バイトが必修です。外界は理不尽なので。  作者: 鳳梨亭ほうり


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4話

昼過ぎのカフェは、

混んでもいない、空いてもいない──

外界特有の、静かなざわめきに満ちていた。


ビューは、いつも通りカウンターに立っていた。

接客にも、だいぶ慣れてきた気がする。

昨日の“笑顔で刺してくる客”の記憶はまだ痛いけれど、

ユイや店長のフォローがあったおかげで、何とか持ち直していた。


(今日は……何事もありませんように)


そう祈った、その日のことだった。



昼下がり。

スーツ姿の男性が、ゆっくりと店に入ってきた。


一見、穏やかそうな人だ。

髪型もスーツも整っていて、

声も低く、落ち着いている。


「すみません、カフェラテのホットと……

 あと、このパン、温めてもらえますか?」


「は、はい。かしこまりました」


ビューがにこっと笑って答えると、

男性も同じように、にこりと微笑み返してきた。


その瞬間まで──

本当に“普通の客”だと思っていた。



パンを温め、カフェラテと一緒にトレーに乗せる。

ビューは慎重に席まで運び、テーブルに置いた。


「お待たせいたしました」


「……あぁ、うん。ありがとう」


声は柔らかい。

表情も穏やかだ。


(良かった。普通に終わりそう……)


そう思った、その時。


「……あれ?」


男性が小さくつぶやいた。


ビューは反射的に首を傾げる。


「何か、ございましたか?」


「いや、そのね……」


男性は笑顔を崩さないまま、静かに言った。


「パンの向きが、逆、なんだけど」


(……え?)


「……え?」


二人の声が、同時に出た。


「すみません、“逆”というのは……?」


男性はにこにこと微笑んだまま、

丁寧な口調で説明を始める。


「パンの……この焼き目の模様があるだろう?

 僕はこれを、手前に向けてほしいんだ。

 そっち向きだと、食べにくいというか……

 まあ、気分の問題なんだけどね」


(気分……)


胸の奥が、ざわっと揺れた。


パンの向き。

そんなこと、誰からも教わっていない。


「申し訳ございません……すぐに向きを調整いたします」


「いやいや、いいんだよ。

 君はまだ新人なんだし。

 新人はミスするものだからね。」


にっこり。


穏やかな笑みを崩さないまま、

“新人だからミスをした”という前提だけを、そっと置いていく。


ビューはパンの向きを変え、再び男性の前に置いた。


「失礼いたしました」


「うん。ありがとう。

 次から気をつければ、いいだけだからね」


また、にこり。


胸の奥に、じわりと黒いものが染みていく。


(僕……責められてる……?

 でも、怒鳴られてるわけじゃない……

 なのに、すごく苦しい……)


言葉と態度が噛み合わない。

優しさの形をしていながら、

中身だけがじわじわと刺さってくる。


(……これも、災害……?)


教授の言葉が、ふと頭をよぎった。


それで終わり──のはずだった。


男性はカップに口をつけ、一口飲んでから、

ふと雑談のような声色で話し始めた。


「気にしなくていいよ。

 僕も新人の頃は、失敗ばっかりだったしね」


笑っている。


「たださ──」


笑顔はそのまま。

声だけが、ほんの少し低くなる。


「こういう“小さなところ”に気づける人がね、

 “社会に出てから評価される人”なんだよ」


ぐさ、と何かが刺さった気がした。


「できる人ってさ、最初から“できる姿勢”が出てるものなんだ。

 新人って、努力が足りない部分を“新人”って言葉でごまかしがちだけどね」


ぐさ、ぐさ、と続けざまに。


「でも、それじゃあダメなんだよ」


にっこり。


笑顔のまま、言葉だけが鋭い。


(努力……足りない……?

 僕、そんなに悪いことした……?)


(パンの向きだけで……

 僕の“姿勢”まで評価されるの……?)

(僕という存在そのものが、責められてるみたいだ……)


胸がぎゅっと縮む。

呼吸が、少しだけ浅くなる。



「すみません、お客様」


柔らかい声が、そっと割り込んだ。


ユイだった。

いつの間にか、ビューの少し後ろに立っていた。


「もし何かお気づきの点がございましたら、

 私の方でお伺いいたします」


ユイは自然な流れで前に出ると、

振り返ってビューの肩に手を置いた。


「ビューくん、少し休憩に入っていいよ」


その言葉の優しさに、

胸の奥がじわっと熱くなる。


(ユイさん……)


ビューが小さく頭を下げて離れようとした時、

男性がぽつりとつぶやいた。


「やっぱり……まだ厳しいかな……」


そのひと言が、

とどめのように刺さった。


 ◇


休憩室に飛び込むようにして入り、ビューはそのまま椅子に腰を下ろした。


(怖かった……)


手がわずかに震えている。


(なんで……あんなに優しい言い方なのに……

 こんなに胸が痛いんだ……?)


怒鳴り声なら、まだ分かりやすい。

露骨な罵倒なら、「ひどい」とラベルを貼れる。

以前のような、些細であってもミスであれば、何とか腑に落ちる。


けれど──

柔らかい言葉の中に混ざった否定は、

どこからが理不尽で、どこからが自分の反省点なのか、境目が分からない。


(僕が悪いのかな……

 ほんとに努力、足りないのかな……)


(パンの向き……そんなに大事だったのかな……)


涙がにじみそうになる。

でも、こぼれない。


(……理由が、分からないから)


自分の何が悪かったのか、はっきりしない。

だから、どこを直せばいいのかも分からない。


ぐるぐると同じ場所を回るような思考が続く。


そこへ、ノックも軽く扉が開いた。


「……やっぱりここか」


店長だった。



「大丈夫か?」


「……はい。大丈夫、です。僕が、未熟で……」


条件反射のように、そう答えてしまう。

店長はすぐさま首を振った。


「違う。

 さっきのは、君の未熟さの話じゃない」


ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。


「アレはな、“自分が正しい側”でいたいタイプなんだよ。

 相手を下に置いておくことで、安心する人」


「でも……パンの向きは……」


「パンの向きなんて、どうでもいい」


店長はあっさりと言い切った。


「っていうか、うちの店にパンの向きのルールなんてねぇよ。焼き加減で変わるし。

 アレはな、“気づける自分”でいたくて、

 それを相手にも押しつけてるだけだ」


「……僕の努力不足じゃ、ない……?」


「努力不足だったら、俺が最初に言うよ。

 でもビューくんは、ちゃんとやってる」


店長は、真っ直ぐな目で見てきた。


「さっきの件、俺の中では“何も問題なし” ──どころか、“アレ”は客じゃねえ。

 だから、これ以上は自分を責めるな。

 ……あと、悪かった。俺がアレは追い出すべきだったわ」


その言葉は、

すぐには沁みきらないけれど──

心のどこかに確かに引っかかって、ビューを支えてくれる。


(……店長は、ちゃんと見てくれてる)


それだけでも、少しだけ呼吸が楽になった。

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