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魔族大学では接客バイトが必修です。外界は理不尽なので。  作者: 鳳梨亭ほうり


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3/6

3話

外界実習が始まって、一週間ほど経った。


ビューは、少しだけこの世界に慣れてきていた。

覚えることは多いけれど、ユイも店長も優しい。

寮に戻れば、同期たちの「災害報告会」があって、

話を聞いていると「自分だけじゃない」と思える。


(今日も……頑張ろう)


そう決意して喫茶店に向かったビューは、

自分がまだ“もう一段階深い理不尽”に触れていないことを知らなかった。



昼前。

店内が少し賑わい始めた頃──彼女は来た。


柔らかな笑顔を浮かべた女性。

清楚で、落ち着いていて、優しそうに“見える”。


「すみません、こちらお願いできますか?」


丁寧な声。落ち着いた所作。

ビューは安心して“カフェ()()”の注文をハンディに入力した。


「はい!カフェ()()のホットと、スコーンですね。

 お席までお持ちします!」


「ありがとう。助かるわ」


にこっ。


……その笑顔が、

“外界では注意が必要な種類の笑顔”であることを、

この時のビューはまだ知らなかった。



ドリンクを持って席へ運ぶ途中、ビューの手がわずかに震えた。


(落とさないように……ゆっくり……)


慎重にカップを運び、テーブルにそっと置く。


「お待たせしました。カフェモカとスコーンです」


「……あの」


女性客が声をかけてきた。


「これ……()()()()()で合ってるわよね?」


「は、はい!」


「あなた、さっき注文を復唱した時──

 “カフェモカ”じゃなくて、“カフェラテ”って言ってなかったかしら?」


「えっ……」


もしかすると、緊張で言い間違えたような気もする。

だが、レシートの印字も、カップの中身も、ちゃんとカフェモカだ。


「す、すみません!気をつけます!」


女性はさらに優しく微笑む。


「うん。気をつけてね。

 社会に出たら、こういう“些細なミス”が一番信用を失うのよ?」


背筋に、ぞくっと冷たいものが走った。


(……え?

 僕、そんなに悪いこと、した……?)


声は柔らかい。

言葉も、一見まともだ。


でも、その下になにか鋭いものが隠れている。

笑顔のまま、女性は言葉を重ねた。


「アルバイトでも、ちゃんとできる人はすぐ分かるわ。

 あなた、素直で頑張り屋さんなんだと思うけど……」


「は、はい……」


「努力が足りないだけよね?」


胸の内側を、刃物でなぞられたような感覚が走った。


笑顔で。

優しい声で。

完璧な所作で。


その一言だけが、やけに重くのしかかる。


(努力……足りない……?

 僕、そんなに……?)


(注文は合ってた……でも……

 僕が悪い、ってことなんだろうか……)


言っていることと、状況が噛み合わない。

怒鳴られているわけじゃない。

罵倒されているわけでもない。


なのに、

強烈な罪悪感だけが押しつけられてくる。


(これが……教授の言ってた“災害”……?)


そう思いかけた時──


「ビューくん、大丈夫?」


ユイがそっと声をかけてきた。



カウンターに戻ったところで、ユイが小声で尋ねる。


「さっきのお客さんに、何か言われちゃった?」


ビューは、さっきの会話を簡単に説明した。

ユイの表情が、ほんの一瞬だけ険しくなる。


「……あのお客さん、常連さんなんだけどね。

 優しいんだけど、“ちょっと圧が強い人”なんだ」


「圧……」


「うん。言ってることは間違ってない風なんだけど……

 言われた方はすごく疲れちゃうやつ。

 ビューくんは悪くないよ。深く気にしないで?」


(気にしないで、って……どうやって……?)


その問いだけが、胸の底に沈んでいった。



休憩時間。

ビューは休憩室の椅子に座り込み、両手を見つめた。


(僕……努力が足りない……?

 あの人の言う通りなのかな……)


(でも、注文は合ってた……

 言い間違えたのは悪かったけど……

 “信用を失う”って言われるほどだったのかな……)


考えれば考えるほど、答えはぼやけていく。


(分からない……外界の人、どうしてこんな言い方を……)


胸の奥がじくじく痛む。

泣きそうなのに、泣けない。


(だって……どこまでが“僕のせい”なのか、分からない……)


そんな時、休憩室の扉がノックもなく開いた。


「お、いたいた。ここに隠れてたか」


店長だった。



「ビューくん、さっきの話聞いたよ」


店長は壁にもたれ、腕を組んだ。


「なんか、言われちゃったみたいだな。あの人に」


「……僕、ミス、しました。

 復唱……間違えたのは、事実で……」


「それはそうだな。

 でも、確認して出したのは注文どおりのカフェモカだろ?」


「……はい」


「じゃあ問題ないよ」


店長はあっさりと言った。


「復唱の言い間違いなんて、誰でもやる。俺だってやる。

 “信用を失う”とか、あの人の言い方が大げさなだけ」


少し間を置いてから、続ける。


「あの常連さん、“人当たり良さそうに見える圧タイプ”なんだよ。

 新人さん、よくやられる。

 こっちとしては止めてほしいんだけど、悪気はないんだろうな」


「悪気……ないんですか?」


「多分な。

 “自分の思う正しさ”を、相手にも求めちゃうタイプなんだと思う。

 だから、言われた方はしんどい」


店長は、少しだけ真面目な顔になる。


「でも、はっきり言っとく。

 ビューくんは、よくやってる。

 さっきの件で“信用を失う”なんてことは、絶対にない」


その言葉が、じわりと沁みてくる。


(……店長が、そう言ってくれるなら……)


痛みが完全に消えたわけではない。

けれど、支えになる何かがひとつ増えた気がした。

 


寮に戻ると、いつものメンバーがそろっていた。


「ビュー! 今日、めちゃくちゃ顔色悪かったってユイさんからチャット来たぞ!」


アッシュがいきなり核心に触れてくる。


「え、チャット来てたの……」


「“ちょっとフォローしてあげてください”ってな。

 で、なにがあった?」


ミューが心配そうに身を乗り出す。


「な、なにかあったよね……? すごく疲れた顔してる……」


ラザンは、マイペースにゼリー飲料をもぐもぐしていた。


「きょーの、びゅー、いつもより、ぷるぷるしてなかった〜」


「俺はスライムじゃないからね?」


みんなの顔を見て、

ビューは少しだけ迷ってから、今日の出来事を話した。


女性客の笑顔。

復唱のミス。

「努力が足りないだけよね?」という一言。


話し終えると、空気がしんとした。


アッシュが一番最初に口を開く。


「うわー……それ、一番メンタル持ってかれるやつだな」


ミューも苦笑いする。


「分かる……ああいう、“優しく見える人”の圧って、きついよね……

 怒鳴られたりするより、ずっと怖い……」


ラザンが首を傾げる。


「ぼく、そういうの言われたことあるのかなぁ……

 あっても、たぶん気づかないなぁ……」


「ラザンはそのままでいてくれ……」


いつものやり取りに、

ビューは思わず笑ってしまった。


(……ああ。やっぱり、この三人がいてくれてよかった)



部屋に戻り、今日のレポートを書く。


【外界実習レポート・7日目】

・笑顔で、努力不足を指摘される

・注文は合っていたが、復唱ミスを強く責められた気がした

・店長は「問題ない」と言ってくれた

・自分のどこまでを反省すべきか、よく分からない


送信すると、すぐにフォルネウス教授から返信が届く。


《ビュー君。

 “丁寧に見える圧力”は、ニンゲン界ではよく見られる現象です。

 怒鳴る者より厄介で、怒らない分だけ深く刺さります》


《復唱の言い間違いは、ニンゲンも魔族も誰にでも起こり得る小さな誤りです。

 彼女は“自分の正しさの基準”から外れたあなたを、

 自分の枠に戻そうとしただけです》


《これは、あなたの努力不足の問題ではありません。

 単に、彼女の枠が“狭い”だけです

 本来であれば、その場で軽く確認をすれば良いだけなのですから》


《理不尽とは、理由なく降る雨のようなもの。

 あなたがどれだけ反省しても、次の雨は止みません。

 ですから、濡れたからといって、

 「自分の価値が低い」と結論づける必要はないのです》


ビューは画面を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。


(……そうか。

 あれは、僕が悪いという話じゃなくて……)


(“あの人の枠”の問題、なんだ)


胸の痛みは、まだ完全には消えない。

でも、「自分だけが悪い」のではないと分かるだけで、

少しだけ足元が安定した気がした。


 ◇


布団に潜り込み、天井を見上げる。


(ユイさんや店長がいて、同期もいて、教授もいて……

 それでも外界は、やっぱり怖い)


(でも──

 “怖いままでもいいから、続けてみよう”って、今は思える)


目を閉じる。

明日もまた、喫茶店に立つ。


外界の理不尽は、まだこれからも降り続けるだろう。

けれど、そのたびに濡れ方を覚えていくしかない。


ビューはそんなことをぼんやり考えながら、

静かに眠りに落ちていった。

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