1話
某SNSのタイムラインで流れてきた
「大学生に接客バイトは必修」という話題から着想を得て書いた、短めの連載です。
外界(ニンゲン界)の理不尽あるあるを、
魔族大学 × 接客バイト というゆるいファンタジーに置き換えてみました。
基本は“やさしい社会風刺”です。
気軽にお楽しみいただけたら嬉しいです。
リムレア北端──リムレア魔術工業大学。
外界(ニンゲン界)から見ればただの専門学校に見えるが、
この世界に住む者たちにとっては 地域最大の魔術工学総合大学だ。
その敷地の端にある古びた講義棟に、
様々な種族の学生たちががぞろぞろと集まっていた。
今日は、履修者全員が震える恒例行事がある。
そう──外界実習の説明会だ。
「はぁ……ついに来ちゃった。外界実習……」
ぼそっとこぼしたのは、ブエル族の青年ビュー。
金茶色の癖っ毛が光にゆれて、見た目だけなら「少し気弱な大学生」だ。
夢は生成魔法エンジニア。
地域に根ざした魔術インフラを便利で安全で使いやすい形にしたい。
だから外界(ニンゲン界)の働き方に触れることは、きっと将来の糧になる──
……はずなのだが。
「ビュー! お前、もう顔が死んでるぞ!」
後ろからドンと肩を叩いたのは同期のアッシュ(鬼族)。
赤い髪と角が目立つ、陽キャ気質の男だ。
「死んでないよ。ただ緊張してるだけ」
「緊張? いやいや、お前は“初めての外界”丸出しの顔してるって」
軽口を叩きながらも、心配は隠れていない。
隣にはのミュー(鳥人族)が小さく手を振り、ラザン(スライム族)がぷるぷる震えていた。
講義室の扉がゆっくりと開き、空気がしん……と張り詰める。
「着席を」
低く通る声。その瞬間、学生全員の背筋が伸びた。
入って来たのはフォルネウス教授。
対人魔術講義の名物教授であり、「外界の理不尽研究」で知られる人物だ。
白銀の髪を束ね、濃紺のローブをまとい、眼だけは海底のように深い。
教授は講壇に立ち、静かに告げた。
「諸君。これより外界実習について説明する」
(ついに始まった……)
学生たちの緊張をまったく意に介さず、教授は淡々と続ける。
「まず前提を述べよう。
外界──ニンゲン界とは、“魔法の通じない理不尽が常在する領域”だ」
ざわり、と空気が揺れた。
教授は意に介さず、黒板に大きな文字を書いた。
『災害』
「──これは比喩ではない」
静かな声なのに、教室全体を押しつけるような圧がある。
「外界の理不尽は、悪意ではない。
理由もない。
“ただ起こる”のだ。
豪雨や落雷のように、避けられぬ現象である」
(……そんな場所で実習を……?)
ビューは喉が乾いた。
「しかし恐れる必要はない。
災害にも“構え”がある。
適切に距離を取り、結界を張り、
自分の心を差し出さなければいいだけだ」
その言葉は、未来のビューに向けた“予告”のようにも聞こえた。
教授は資料を開きながら説明を続ける。
「実習は三週間。接客を伴う外界アルバイトに従事してもらう。
レポート提出は毎回必須だ。
質問があれば何でも聞きなさい」
アッシュが手を挙げた。
「教授! 外界のバイトって、実際どれくらい危険なんですか?」
教授はふっと口角を上げた。
「死ぬことはない。それは保証しよう」
安心しかけたその瞬間、教授は淡々と付け加えた。
「心が折れることはあるがね」
学生全体から小さく震えが走る。
その中で、ビューは拳を握った。
(大丈夫。僕は生成魔法エンジニアになりたい。
地域の生活を便利にしたい。
そのためには外界を知らないと──)
教授はその心の熱を感じ取ったかのように、視線を向けて言った。
「諸君。これは“鍛錬”ではない。
社会に出た時に死なないための予防接種だ。
一つずつ、慣れていけばいい」
教室の空気が、少しだけ和らいだ。
そして最後に──
「──健闘を祈る。外界は君たちを歓迎しないが、学ばせてはくれるだろう」
ビューは深呼吸した。
不安はまだ大きい。
でもそれ以上に、胸の奥がじんわりと熱くなっていた。
(よし……やってみよう)
こうして──
ビューの「理不尽との出会い」は幕を開けた。
◇
実習初日。
ビューは指定された喫茶店の前に立っていた。
扉のガラスに「COFFEE & SAND」の文字。
外界でよく見る、普通の店だ。
……いや、それよりも。
(空気……魔力が薄い……)
魔界よりも明らかに魔力濃度が低い外界では、慣れない者ほど息苦しさを覚える。
「……よし、入ろう」
ビューは気合を入れて扉を押した。
「おはよう。今日から実習の子だよね?」
出迎えてくれたのはユイ。外界の若い女性で、先輩バイトらしい。
その笑顔だけで胸がゆるんだ。
「私はユイ。よろしくね、ビューくん」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
ユイは店内の流れを一通り案内しながら言う。
「そっちの世界から来た子は、慣れるまで大変なこともあるみたいだけど……
大丈夫。困ったらすぐ助けるからね」
(外界にも、こういう優しい人がいるんだ……)
少しだけ肩の力が抜けた。
開店準備をしていると、厨房から店長が顔を出した。
「お、君が『魔大』の実習生だな。俺は須藤。店長って呼んでくれればいいよ」
無造作な黒髪に、やや眠そうな目。だが声には温かさがあった。
店長はビューを上から下まで眺め、感心したように口を開く。
「というかさ、最近の子は、変化魔術って言うんだっけ?
あれ、ずいぶん上手くなったよなあ。
見た目、ほんとニンゲンと変わらんね。普通にバイトの新人かと思ったわ」
ユイがすぐ頷いた。
「そうですよね、店長。私も最初びっくりしました。
ビューくん、完全に“こっちの大学生”の顔してますよ」
「え、あ……そんなにですか?」
「うんうん、違和感ゼロ。
最近の実習生はみんな上手いんだねぇ」
「はい、最近は“変化魔術”が必須講義で……どの学部でも履修するみたいです。
できていないと外界実習に出してもらえないらしくて」
「へぇ~、大変だねえ」
店長はゆるく笑い、続けた。
「で……まあ、慣れてないと“あれ?”って感じるお客さんもいるらしいけど、
気にしなくていいよ。飲食店だし。色んな人が来るから」
安心させるように、軽く顎をしゃくる。
「どうしても困ったら、でっかい声で“てんちょー!”って呼んでくれ。
すぐ出てって代わってやるから」
「……はい! ありがとうございます!」
自然と笑みが漏れた。
外界の“理不尽の気配”をまだ掴めていないビューにとって、
その言葉は何より心強かった。
◇
開店と同時に客が流れ込んでくる。
ビューはユイの横で、カウンターに立った。いよいよ、実際の接客だ。
(よし、丁寧に……落ち着いて…………やればできる……!)
初接客へ向けて気合を入れたその時──
最初の“軽度災害”は、あっさり現れた。
見た目はサラリーマン風の客。違和感を覚えたのは、視線の位置だった。
スマホを見たまま、ビューのカウンターへ歩いてきて──
そのままスマホを見続けたまま、話し始めた。
「カフェラテ。ホット。
あとサンド……チキンのやつ」
目線は画面に固定。こちらを一度も見ない。
(え、僕と話してる……よね? これって普通なの……?)
とまどうビューの横で、ユイが小声でフォローする。
「よくあるやつだから気にしないでね。悪気はないよ」
(わ、悪気……ないのか……?)
魔族圏なら、相手と目を合わせずに注文するなど無礼中の無礼だ。
だがユイは笑っている。つまりこれは──「外界の普通」。
ビューはひとつ息を飲み、心を切り替えた。
「カフェラテのホットと、チキンサンドでよろしいでしょうか?」
男はスマホを見たまま、無言で軽く頷いた。
そして、注文を受け取った瞬間、男はまた無言のまま去っていく。
(……“ありがとう”とか、言わないんだ?
あれ? 気にしない方がいいのかな。
“気にしない”って、どうやるんだろう……)
魔界の常識とはまったく違う“無視の文化”。
胸がざらりとしたが、何とか対応を済ませた。
◇
次に現れたのは、時計を睨みながら列に並んでいた男性。
順番が来た瞬間、急に声を荒げた。
「時間ないんだけど!? 早くして!」
(えっ……僕、何か……?
いや何もしてないのに……!)
イライラがにじみ出ている。
腕を組み、二の腕を人差し指で忙しなくトントン叩いている。
ユイが落ち着いた声でフォローする。
「すみません、お急ぎですよね。すぐにお作りします」
(……ユイさん、こんなに落ち着いてる。これが“慣れる”ってこと……?)
震える手を隠しながら注文を打ち込み、無事にこなす。
(外界……本当に、災害みたい……)
◇
昼前のピークが終わり、休憩に入る。
ビューは椅子に座った瞬間、肩から力が抜けた。
「ビューくん、頑張ってるね」
ユイができたてのホットコーヒーを差し出す。
「あ、ありがとうございます……!」
そこへ店長も顔を出した。
「おう、おつかれー! さっきの急いでた人、気にしなくていいからな。
あの人、毎回あんな感じだから」
「そ、そうなんですね……」
「そうそう。ビューくんは悪くない。
むしろしっかり対応してくれて助かったよ」
ニッと笑う店長。
その言葉は、教授の「災害」という表現とは別の意味で、
ビューの心をふっと軽くした。
(外界……怖いけど……
優しい人も、ちゃんといるんだな……)
◇
寮に戻って、ビューはレポートを書く。
【外界実習レポート・初日】
・客がこちらを見ない
・突然怒る
・理由が分からない
・先輩と店長が優しかったので救われた
送信すると、すぐ教授から返信が来た。
《よく観察できています。
ニンゲンの“無視”は敵意ではなく、あなたを認識していないだけです
魔族的礼節と外界の普通を、混同しないように》
(……あぁ、少し楽になった……)
さらに教授は続ける。
《外界には理不尽がある。しかし、優しさもある。
今日は両方経験できて良かったですね》
ビューは深く息を吐いた。
(明日も……頑張ってみよう)
こうして、
ビューの外界実習は──静かに、しかし確実に始まったのだった。




