地下調合室へ
王城中枢へ向かうはずだった足取りが、途中で変わった。
東塔から伸びる回廊を抜け、二人が選んだのは――下へと続く螺旋階段。
石段を踏みしめるたび、空気が冷えていく。
リーネは数段降りたところで、はっとして足を止めた。
「……フィオナ様」
「なに?」
「進行方向が、陛下の御座所ではありません」
指摘されて、フィオナは足を止めないまま肩越しに振り返る。
「うん。だから?」
一瞬、言葉に詰まる。
当然、追うべきはティアナのはずま。
そして彼女の目的地は、国王のもと――そう思っていた。
「ティアナ様は、陛下の元へ向かわれたはずです」
「向かったと思わせてるだけよ」
さらりと返され、リーネは息を呑む。
「……どういう、意味でしょうか」
階段の下から、湿った空気が吹き上げてくる。
地下特有の、薬草と鉱石が混じった匂い。
フィオナは立ち止まり、ようやく真正面からリーネを見る。
「お母様が、私たちを完全に潰さなかった理由。さっき言ったでしょ」
「……排除する必要がないと判断された」
「そう」
フィオナは視線を前に戻す。
「つまり、今の私たちはお母様に対抗できる手段を持っていないと思われてる」
リーネの脳裏に、嫌な予感が走る。
「まさか……」
「ええ、私たちが勝てるとしたらあの薬が必要でしょうからね。」
階段の先、暗闇の奥を見据えて言い切る。
「陛下のところに行く前に、自分にとって厄介なものをそのままにしているとは思えない。」
リーネは、拳を強く握り締めた。
「……それで地下の調合室へ?」
「ええ、材料は取られていたとしても少しは役に立つものがあると思うからね。」
一段、また一段。
階段を降りきった先に、重厚な扉が現れる。
地下調合室の扉は、閉ざされていた。
扉の前で、空気が歪んでいる。
目に見えない膜が、確かにそこにあった。
リーネは一歩引き、息を潜める。
「……結界です。かなり精緻なものかと」
「うん。やっぱり――」
フィオナは、手を伸ばしかけて止めた。
黒い魔力の名残。
攻撃性はないが、拒絶だけが強く刻まれている。
「お母さまのだね」
フィオナは小さく息を吸い、目を閉じた。
「星霊……聞こえる?」
剣を床に立て、片手を胸元へ。
声は低く、だが澄んでいる。
「――ここに縛られた理を、少しだけ借りるわ」
空気が、わずかに震えた。
灯りのない地下で、淡い光が浮かび上がる。
星屑のような輝きが、円を描き、結界の輪郭をなぞる。
リーネは、思わず息を呑んだ。
フィオナが囁いた瞬間。
――ぱき、と。
氷が溶けるような、静かな音。
何も壊れず、何も弾けず、ただ、そこにあった拒絶だけが消えた。
「……通れます」
リーネが確認する。
「やっぱり星霊術だと、解除したことがバレないのよね」
そういいながらフィオナは一歩、踏み出した。
地下調合室の中は、整然としていた。
薬棚。
魔導器具。
未使用の坩堝。
だが――
フィオナは、すぐに違和感に気づく。
「……ない」
リーネも、棚を見回し、表情を変えた。
「主要素材は揃っています。ですが……」
声が、わずかに低くなる。
「触媒が、ありません」
調合台の中央には、準備された痕跡だけが残っている。
分量の記録。
配合順。
完成直前まで、ここで作業していた。
「……一つだけ、足りない」
フィオナは、指先で台をなぞる。
「これがないと、薬は完成しない」
「ですが……代替は」
「きかないわ。」
即答だった。
フィオナは、ゆっくりと立ち上がる。
「ティアナは、わざとこれだけ持っていった」
全部奪えば、気づかれる。だが一つだけなら――
リーネは歯を食いしばった。
「……最初から、ここに来るつもりだったのですね」
「ううん」
フィオナは首を振る。
「追ってくるなら、ここに来るって、わかってただけ」
静かな怒りが、胸に灯る。
フィオナは、わずかに指を止めた。
「……リーネ」
リーネが即座に振り返る。
だが、フィオナの視線はすでに調合台へと向いていた。
「ちょっと時間いいかしら。」
今の状態でも、星霊術は使える。
けれど――ティアナと真正面から渡り合うには、出力が決定的に不足していた。
さきほどの戦闘でも使わなかったのは、反動があるからだ。
フィオナは棚を見渡し、残っている素材を素早く確認する。
「……ある」
必要最低限。
時間制限付きなら、調合は可能。
リーネは察し、警戒を強めたまま問いかける。
「なにかの薬を作るのですね」
「ええ。」
フィオナは調合台へ向かい、袖をまくった。
「――星霊術を強制的に引き上げる薬をね」
坩堝に火を入れる。
淡く青白い炎が、静かに揺れた。
「持続は?」
「もって三分かな」
迷いのない即答。
「その間だけ、星霊術を完全に使える状態にする」
リーネの声が、低くなる。
「……そんなことをしたら反動が……」
「…来るでしょうね。」
フィオナは否定しなかった。
「反動で、しばらく動けなくなるだろうし、身体に負荷が残って……最悪魔術もつかえなくなるかもしれない。……まあ正確には分からないわ」
刻んだ素材を、順に坩堝へ落とす。
魔力が、均一に流れ込む。
「でも、使わない選択肢はない」
液体が、淡く光を帯び始めた。
調合室の空気が、わずかに張り詰める。
「それより問題はーーー」
フィオナは、調合台に残された配合記録へ一瞬だけ目を落とす。
「お母さまに使う薬。完成させるには、本来なら触媒が必要だった。まあ、あったところで完成はできなかったんだけど……」
リーネが息を呑む。
「……では」
「お母さまから取り戻すわ」
即断だった。
星屑のような光が、坩堝の中で収束していく。
フィオナは集中を切らさず、最後の工程に入った。
静かな沈黙。
やがて――
光が、すっと消える。
「……できた」
透明な治癒薬。
そして、わずかに銀色を帯びた星霊術強化薬。
フィオナはそれをポケットにしまいこんだ。
リーネが報告する。
「陛下のもとまで、その状態なら10秒強です」
フィオナは扉へ向き直り、剣を取った。
「向こうは、私たちがもう追えないと思ってる」
静かだが、芯のある声。
「その前提を――壊す」
地下調合室の灯りを落とし、二人は駆け出した。
三分間だけの切り札。
使い切れば、何が残るかは分からない。
それでも。
間に合わないと決めつけられる結末だけは、選ばせるつもりはなかった。




