目覚めたあと
まぶたを開けた瞬間、白い天井がゆっくりと視界に戻ってきた。
一拍遅れて、全身の重さに気づく。
指先に力を入れようとして――入らない。
「……っ」
喉が乾いて、声が掠れた。
「――動かないでください」
即座に、鋭くも落ち着いた声が飛ぶ。
久しぶりに聞く声だった。
フィオナはゆっくり視線を向ける。
「……リーネ?」
ベッドの脇に立っていたのは、灰色がかった髪をきっちりまとめたリーネだった。リーネとは昔から乳母姉妹として一緒に過ごしてきて、私が10の時から侍女兼護衛として側にいてもらっている。
「はい。ようやく気がつきましたね、フィオナ様」
名を呼ばれて、胸の奥が小さく揺れた。
リーネは一歩近づき、フィオナの腕にそっと手を置く。
脈を測るような仕草だが、どこか怒りを抑えているのが分かる。
「……まだ魔力が戻りきっていません。無理に起きようとしたら、また倒れます」
「でも……」
「“でも”は要りません」
ぴしゃりと言い切られて、フィオナは言葉を飲み込んだ。
リーネは深く息を吐き、ようやく視線を合わせる。
「あなた、また一人で全部やろうとしたでしょう」
責める声ではない。
けれど、逃げ場のない言い方だった。
「……必要だったの」
「必要かどうかを決めるのは、あなた一人じゃありません」
沈黙が落ちる。
フィオナは天井に視線を戻し、小さく息を吸った。
「……わたしは大丈夫よ。昔みたいに、すぐ壊れたりしない」
「それが一番危ない言い方です」
リーネの声が、わずかに低くなる。
「“大丈夫”って言葉を、あなたがどれだけ無理して使うか……私は知っています」
フィオナの喉が、きゅっと詰まる。
幼い頃、魔力制御に失敗して泣きながら眠った夜。
王妃を失ったあと、感情を押し殺すようになった日々。
全部、リーネはそばで見ていた。
「強くなったから無茶していい、なんてことはありません」
リーネは膝をつき、視線を同じ高さまで落とす。
「あなたは、もう“一人で立つしかなかった子供”じゃない」
「……」
「それなのに、全部背負おうとして倒れる。それは勇敢じゃない。ただの――無茶です」
フィオナは、唇を噛んだ。
「……わたしが行かなきゃ、誰が」
「“あなたしかいない”と思わせる状況を、信じすぎないでください」
一瞬、リーネの声が揺れた。
「……置いて行かれる側の気持ち、分かりますか」
その言葉に、フィオナははっと目を見開く。
「あなたが前に出るたび、帰ってくるか分からないたび……残される側は、ただ祈るしかない」
しばらく、どちらも言葉を発さなかった。
やがてフィオナは、かすかに首を振る。
「……わたしは、怖がってる場合じゃないの」
「違います」
リーネは即座に否定した。
「怖がっていいんです。怖いと認めたうえで、どう動くかを決める。それが“大人”です」
フィオナの視線が、ゆっくりと揺れる。
「……無茶しないでください、フィオナさま」
名前を呼ぶ声は、命令でも懇願でもなかった。
ただ、昔からの約束を思い出させるような声音だった。
フィオナは、長い沈黙の末に小さく息を吐く。
「……少し、休むわ」
それだけ言うのが、精一杯だった。
リーネはようやく表情を緩め、静かに立ち上がる。
「ええ。そうしてください。」
扉が閉まる音が、静かに響いた。
フィオナは天井を見つめたまま、そっと目を閉じる。
(……一人じゃない、か)
その言葉が、胸の奥でゆっくりと沈んでいった。
ーーーそれから2週間ほど経った。
上体を起こしても、視界は揺れない。
胸の奥にあった重苦しい圧迫感も、なくなった。
「……」
指を動かす。
魔力を“流さずに”、ただ感覚だけを確かめる。
問題ない。
少なくとも、身体は戻ってきていた。
ベッドから降りると、足取りも安定している。
あの、立っているだけで意識が遠のきそうだった感覚は、もうない。
「回復、してる……」
自分で口にして、初めて実感が湧いた。
でも、心の奥に残ったものがある。
あの戦場、あの姿、あの声。
思い出そうとすると、胸の奥がざわつく。
「……今は、考えなくていい」
自分に言い聞かせるように呟き、身支度を整えた。
そのとき――




