脱出するぞ!
次の日の夜。
いつもなら、空気の奥でうっすらと脈打つような魔力の流れがある。
けれどこの夜は、それすら感じない。
(……今夜だ)
フィオナは、そう判断した。
理由は単純だった。
来るはずの足音が、来ない。
ティアナは毎日、必ず来ていた。
様子を見るため。
壊れ具合を測るため。
そして何より――楽しむために。
それが、ない。
(……油断か。それとも……次の段階に進む準備)
どちらでもいい。
待てば、終わる。
フィオナは、ゆっくりと呼吸を整え手を伸ばした。
床、鎖、壁。
同じ材質でも、熱の逃げ方が違う場所がある。
(……ここ)
壁の一部。
わずかに他の場所よりも冷えている。
外と繋がっている。
つまりここの壁さえ壊せば簡単に脱出できる。
あとは、拘束具だけだ。
そう思ったフィオナは、魔術を使わずに何時間もかけて体重のかけ方を変え、鎖の張力をほんの一瞬だけ、ずらした。
その一瞬に、全てを賭ける。
――きぃ……。
音は、ほとんどしなかった。
拘束が、完全に外れたわけじゃない。
ただ、“抜けられる角度”が生まれただけ。
フィオナは歯を食いしばり、身体を滑らせる。
皮膚が擦れる。
呼吸が乱れる。
それでも止まらない。
(……動け)
最後の一押し。
鎖が床に落ちる音が、やけに大きく響いた。
フィオナは立ち上がった。
足は重い。
視界が揺れる。
それでも、歩ける。
扉には近づかない。
正面は罠だ。
選ぶのは、壁。
あの“継ぎ目”。
ここで、初めて魔力を使う。
最小。
最短。
一度きり。
冷気が、指先に集まる。
氷を作るのではない。
脆くするだけ。
ぱき、と鈍い音。
壁が、崩れた。
隙間は、人ひとりが通れる程度。
それで十分だった。
フィオナは、振り返らない。
ここで迷えば、終わる。
闇の通路を、ただ前へ。
(……気づかれた)
それでも走る。
氷の星霊術が、無意識に働く。
床が一瞬だけ凍り、追手の動きが鈍る。
――一瞬でいい。
外気が、肌を打った。
夜風。
星のない空。
魔族の国の境界。
フィオナは、最後の力で跳んだ。
(……生きて戻る)
(……絶対に)
氷の気配を纏った少女の影が、夜の向こうへ消えていった。




