観測塔最深部
観測塔最深部。
氷の床に、赤い滴が落ちた。
フィオナはそれが自分のものだと、遅れて理解する。
呼吸が浅い。
魔力の循環が、明らかに乱れている。
それでも足は止めない。
止まった瞬間、終わる。
「――っ!」
氷の障壁を展開するが、次の瞬間、それは砕かれた。
ただの打撃。
それだけで、星霊術が崩壊する。
「威力が弱まっているわね。」
楽しそうな声。
ティアナは血のついた指先を軽く振り、首を傾げる。
「さっきまで、もう少し“粘れて”たのに」
フィオナは歯を食いしばり、立て直そうとする。
視界が、揺れる。
(だめ……魔力が星霊術に、追いつかない)
星霊との接続が、断続的に途切れる。
「ねえ」
ティアナが、一歩踏み出す。
「もう終わりにしない?」
その距離。
近い。
あまりにも。
「……っ!」
咄嗟に展開した氷壁が、内側から粉砕された。
次の瞬間、重く、黒い魔力が全身を包み込む。
身体が、動かない。
魔力で縛られているわけではない。
存在そのものを押さえ込まれている感覚。
「な……っ」
「動かないで。今のあなた、抵抗したら壊れるわ」
耳元で、声がした。
近すぎる。
あまりにも、近すぎる。
(なんで殺さないの………!?)
ティアナは、フィオナの肩に手を置いていた。
優しい仕草なのに、逃げ場を完全に塞ぐ位置。
「そんな顔しないで。今楽しく戦ったけど殺す気はないから。」
そう言って、くすりと笑う。
「――ただ、連れていく」
その言葉が、静かに落ちた。
「……どこへ……」
フィオナの喉が、ひどく乾く。
問いに、ティアナは即答した。
「魔族の国よ」
一切の躊躇も、冗談もない。
フィオナの背筋が、凍りつく。
「……そんな……許されるはずが……」
「許されるかどうか、じゃないの」
ティアナは、フィオナを正面から見つめる。
その瞳には、懐かしさも、愛情もない。
けれど――興味が、はっきりとあった。
「あなたは魔王様のお気に入りの存在だもの」
「……お気に入り……?」
「星霊族。エルフでも、人間でも、完全には収まらない」
指先が、フィオナの顎にかかる。
乱暴ではないが、拒否はできない。
「そんな子を、この国に置いておく理由はないでしょう?」
フィオナの胸が、強く脈打つ。
「……私は……王国の……」
「知ってるわ」
言葉を、あっさり切られる。
「でもね」
ティアナは、少しだけ声を落とした。
「魔王様はそれを望んではいない。」
そう言って、ティアナは空間に手を伸ばす。
闇が裂ける。
向こう側に見えるのは、赤黒い空と、歪んだ地平。
「だから、連れていく。」
フィオナの耳元で、囁く。
フィオナは、必死に魔力を巡らせる。
氷も、星霊術も、反応しない。
(……動かない……)
――違う。
動かせないほど、力の差がある。
「……母さ、ま……」
その呼びかけに、ティアナは一瞬だけ、瞬きをした。
ほんの、一瞬。
けれど、すぐに笑う。
「その呼び方、嫌いじゃないわ。」
そして、腕を引く。
視界が反転し、足元の大地が、遠ざかる。
――次の瞬間。
フィオナの視界は、完全な闇に沈んだ。




