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消えた温もり

 ルチアナ王国の城は、朝靄に包まれていた。

 廊下の灯火は薄れ、空はまだ夜の青を引きずっている。


 フィオナは、父である国王アクアスティードへの報告を終えると、旅装に身を包んだ。

 母ティアナが遺した手紙――あの震える筆跡は、今も胸の奥で重く沈んでいる。


 父はすべてを知っていた。

 ティアナがどんな生を歩み、何を奪われ、何を守ろうとしていたのかも。


「……行くのだね。」


「ええ。」


 アクアスティードは娘に触れなかった。

 触れれば崩れてしまうと、分かっていたからだ。


 父はゆっくりと目を閉じる。

 それは、己の無力を受け入れる仕草だった。


「……気をつけろ。誰も、お前を守れはしない。」


「守られに行くんじゃありません。確かめに行くだけです。安心してください――必ず帰ってきますから。」


 フィオナは振り返らずに、静かに歩き出した。

 



 ーーー

 ヴィルド王国の国境を越えたとき、フィオナは空の色が変わったことに気づいた。


 雲はまだ低く、灰は大地に残り、

 枯れた木々が風に触れるだけで軋んだ音を立てていた。


 ――けれど、死んだ国ではなかった。


 草はゆっくりと芽吹き、

 石造りの街道は以前より整えられ、

 村の畑には手の入った形跡があった。


 変わりつつある国だった。

 叔母が治める国は。


「ようこそ、ルチアナの姫君様。エレノア女王陛下より、道中の保護を仰せつかっております」


 騎士たちは礼を忘れず、敬意を示していた。


 皮肉にもその所作は――

 かつてフィオナの母が与えられなかったもの だった。


 馬車はゆっくりと揺れながら進む。

 だが城までは遠い。

 日が傾きはじめたころ、騎士は言った。


「今夜は、王領の宿場町でお休みください。女王陛下より、最上の部屋を用意するよう命じられております」


 歓迎はされていた。

 確かに。


 だがその暖かさはどこか慎重で、

 触れれば壊れる硝子のようでもあった。


ーーー

 ヴィルド王国に来てから、まだ一日も経っていない。


 宿の部屋は簡素だったけれど、よく手入れされていた。

 木製の窓枠からは夜の風が吹き込み、遠くで波の音が聞こえる。


 ベッドに横になっても、目は冴えたままだった。


(お母様は……この国で、生きていた)


 それは嬉しいはずなのに、胸のどこかが痛い。

 まるで、そこに触れた言葉すべてが、今も熱を持っているようで。


 枕元に置いた小さな懐中灯を消し目を閉じ、夢の世界へ入っていくのであった。


 どこかで水が流れていた。

 小川の音のようで、けれどもっと優しく、揺れるようなリズム。


 景色は霞んでいて、色も形もはっきりしない。

 けれど、そこに「温度」だけが確かにあった。


 ひざの上に乗せられている、小さな自分の手。

 その上に重ねられた、細くてあたたかい指。


 風が髪を撫でる。

 それが指先なのか風なのか、区別がつかない。


(――だいじょうぶ)


 声がした。

 とても静かで、眠る前に聞く子守歌みたいな声。


 言葉は霞に溶け、意味を掴む前に消えてしまう。


(――あなたは、光)


 その部分だけが、胸に落ちた。


 光? 誰が?

 私が?


 答えようとしても、声は出ない。

 喉が水の中に沈んだみたいに動かない。


 ゆっくり、誰かが髪を梳いた。

 子供の頃、そうされていた記憶は無いはずなのに――

 懐かしいと感じた。


 記憶じゃない。

 身体が覚えている。


 頬に触れる手はとても優しくて、

 けれどその指先だけ少し震えていた。


(――フィオナ)


 今度は、はっきり聞こえた。

 胸の奥がぎゅ、と掴まれるように痛くなる。


 呼ばれた。

 まぎれもなく、私の名前で。


 その声を、追おうとした瞬間――


 かすかな金属音がした。

 何かが砕ける音。


 温度がすっと消える。


 その代わりに、冷たい闇だけが後に残った。


「……待って……!お母様――!」


 伸ばした手は空を掴んで、

 フィオナは息を切らしながら目を覚ました。


 枕は濡れていた。

 泣いた覚えなんてないのに。


 ただ、胸の奥でまだあの言葉だけが燃えていた。


 ーーあなたは、光。

読んでくださってありがとうございます。

毎日21時にサイトで添付していくつもりです。

よろしくお願いいたします!

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