迷いの森で
エルザリアはゆっくり歩み寄り、ふと双子へ視線を落とした。
「あなたたち、大丈夫? 怖かったでしょう。」
その声は不思議なほど柔らかく、森の冷気を溶かすようだった。
双子はびくりと肩を揺らしながらも、フィオナの背中越しにこくんと頷く。
フィオナは静かに息を吐いた。その仕草すら落ち着いていて、先ほどまで戦っていたとは思えない。
緊張が緩む前に、エルザリアの深紅の瞳がじっと彼女を射抜いた。
「それにしても……」
エルザリアは、フィオナの手に宿っていた淡い残光へ目を向ける。
「あなた、最後に使った魔法……氷系統でしょう?」
「ええ。咄嗟の判断でしたが……不都合でしたか?」
どこか怯えでも弁解でもない、淡々とした声音。
エルザリアはくすりと笑った。
「逆よ。普通の人間なら、森の魔力乱流の中で複合属性を切り替えるなんて不可能。まして氷は、魔力制御が一番難しいのに。」
フィオナは目を丸くしたが、驚きはすぐに静かな表情の下へ戻る。
「……私としては、ただ必要だったから使っただけです。」
「謙遜するところじゃないわ。」
エルザリアはきっぱりと言い切った。
彼女は少し首を傾け、フィオナの胸元に漂う魔力の余韻をじっと観察した。
「やはり……あなたの母の血が強く出ているのね。」
「……母の?」
声は抑えられ、揺れはほとんど感じられない。
「ええ。エルフ族は“緻密な魔力操作”で右に出る種族はいない。あなたがこの年齢でこれほど滑らかに属性を繋げるのは、人間だけでは説明がつかない。」
エルザリアの指先が、フィオナの胸元に残る薄い魔力をそっとなぞる。
「――混血の特徴よ。」
双子がぽかんとフィオナを見上げた。
「おねえちゃん……エルフなの……?」
フィオナはすぐには答えず、一呼吸置いてから、静かに首を振った。
「違うわ。ただ、母が少しだけエルフの血を継いでいた……それだけのことよ。」
その落ち着いた声音に、エルザリアは楽しげに目を細めた。
「隠すことでもないけれど……まあ、あなたらしいわね。」
彼女の声色が少し真剣さを帯びる。
「ただし、あなたほど“才能が偏って”現れるのは珍しい。」
フィオナはうっすら眉を寄せる。
「偏って……?」
エルザリアは片手を上げ、フィオナの肩口へそっと触れた。
触れられた瞬間、フィオナの身体がわずかに強張る。
「魔法制御はエルフに匹敵するほど精密。でも肉体は……人間寄り。脆いわ。」
森の空気が一瞬止まったように感じられる。
「今は魔力と気力で持っているだけ。本来なら、さっきの雷鎖だけで腕が動かなくなってもおかしくない。」
フィオナは短く息を吸った。
驚きではなく、自分の身体の状況を冷静に再確認するための呼吸。
実際、右腕はまだ微かに痺れている。
エルザリアは優しく微笑んだ。
「強さは美しいわ。でも——」
深紅の瞳が、フィオナの瞳を正面から捉えた。
「自分を壊してしまったら、守りたいものも守れなくなる。」
フィオナはほんの少しだけ目を伏せた。
双子が不安げに袖を引く。
「フィオナ……だいじょうぶ……?」
フィオナは二人へ向き直り、穏やかに微笑んだ。
「ええ。問題ないわ。」
その落ち着きに、双子の表情が少し緩む。
エルザリアはそれを確認すると、くるりと背を向ける。
「帰りましょう。森の結界が弱っているし、影喰いも増えている。あなたたちだけで歩かせるのは危険よ。」
そして肩越しに柔らかく笑みを向けた。
「それに……あなた、足を少し痛めているでしょう?」
「……気づかれていましたか。」
フィオナは苦笑に似た息を落とす。
足首のじんわりとした熱が、否定を許さない。
「助けてもらえるなら、ありがたいわ。」
「素直でよろしい。」
エルザリアは優雅に微笑み、霧の中を先導して歩き始めた。
その背中を追いながら、フィオナは胸の奥に満ち始めた微かなざわつきを、静かに押し隠した。




