第3話 退院
「増田医師……俺の頭は、どうなんでしょうか」
「さて、どうしたものか」
俺はおっさん担当医の増田医師に幻覚の症状を説明してから、そう尋ねた。
増田医師は首をひねっては二重あごに手を当て、「うーむ」とうなった。
俺は唇をぐっと噛みしめ、増田医師の言葉を待った。
増田医師は何度目かのうなり声を上げて、それから言いにくそうにおもむろに述べた。
「最初に伝えておくと、卯月さん、あなたは……大して頭を打ってはいません」
「……? いや、それは違う、増田医師。俺はあのとき、確かに前頭部に激痛が――あれ?」
丸石に頭を打ったはずの場所に触れてみて、俺は愕然。
痛みがない、だと……?
「そんなはずは……でも、俺は確かにあのとき――!」
「きっと、あなたの脳が勘違いをしたのでしょう」
「ポンコツ脳め」
「まあまあ、そう言わずに」
「偉人の脳の交換を所望する」
「答えは『ノー』です」
「無能か」
「冗談はさておき……話を戻しましょうか、卯月さん」
「よしきた」
俺はふんふんと何度かうなずいた。
増田医師は苦笑する。
「ここ三日間で、どれくらいあなたは睡眠を取りましたか?」
「三時間だ」
「それは……三日間で三時間、ということですね」
「無論、そうだ」
「では、極度の睡眠不足に陥ってもなお、それでも眠らなかった理由とはなんですか?」
「……男は皆、朝立ちをする」
「おっしゃるとおりで」
「三ヵ月間、オナ禁をしていた俺はある事実に気づいた」
「といいますと?」
「朝立ちは、オナ禁を破る絶好の機会だと……!」
「気づいてしまったのですね」
ああ、と俺は悔しさをにじませながら、力いっぱい拳を握りながらうなずいた。
増田医師は共感するとばかり、うんうんと首を縦に振った。
「なるほど、経緯は分かりました。
――何はともあれ、あなたは“極度の睡眠不足”のため、大きめの丸石に“頭を軽くぶつけた”際、“数時間後”の今の今まで“寝ていた”……そうですね」
「いかにも」
「本日、あなたは退院です。退院、おめでとうございます」
「退院か……思えば、短い入院だった」
「退院後は、くれぐれも丸石に頭をぶつけようなんてこと、しないでくださいよ」
「ははっ、そんなクレイジーな奴、果たしているのかな」
「……お大事に」
というわけで、増田医師の診察は終わった。
それから一時間後には俺は家族そろって病院をあとにした。
夏の陽光を浴びながら、タクシー乗り場でタクシーを待つのは、俺と親父とお袋と……それに。
ソレニ……ソレニ。
「あっ、あなたは……怜奈!」
「〇×△□……!」
青ざめた表情のお袋のそばで挙動不審にしている地球が生んだ可憐な妹を見て……俺は彼女の名前を叫ぶと、オイオイと泣き出した。
「幻覚なんかじゃなかったんだ……嬉しい、俺は嬉しいよ、怜奈っ……!」
俺の泣き声に釣られたように、怜奈もえーんと泣き出した。
「お兄ちゃーん……元のお兄ちゃんに戻ってよ、お願いよ……!」
陽は俺たちの涙を乾かすように、暖かく照らしていた。




