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第二章 土に刻む誓い

父が死んでから、三年が過ぎた。

村の畑はすっかり元の姿を取り戻し、人々はあの日の惨劇を口にしなくなった。

けれど、リアンだけは違った。

朝も夜も鍬を振り、畑の傍らで剣を振るった。

父の墓の前で、何度も同じ言葉を繰り返した。


――俺は、強くなる。


その言葉だけが、彼の中の時間を進めていた。


けれど、現実は冷たかった。

何度振っても、腕は思うように動かず、息はすぐに切れる。

村の少年たちが遊び半分で剣を構えれば、あっという間に打ち倒される。

彼らは笑った。

「リアン、お前には無理だよ。剣の才能がないんだ」


リアンは笑い返した。

だが夜、誰もいない畑で木剣を振るたび、指が震えた。

体は重く、筋肉はつかず、魔力の流れも感じられない。

旅の騎士が語っていた“魔力感知”というものが、自分にはまるで分からなかった。


それでも――やめられなかった。


「才能なんて、最初からないさ。父さんも……それでも戦った」


木剣を握る手が痛み、掌の皮が剥ける。

その痛みが、生きている証のように思えた。


春の初め、リアンは村を出た。

背には古びた布袋と、父の鍬の柄を削って作った木剣。

村人たちは「馬鹿な子だ」と笑い、母は黙って涙を拭った。


「行くんだね」

「うん。戻るよ、必ず。立派な騎士になって」

母は何も言わず、ただその背中に祈るような視線を向けた。

リアンは振り返らなかった。

振り返れば、迷うと分かっていたからだ。


―――


王都リュゼン。

高い石壁と塔の連なる街。

昼でも陽が届かぬ路地裏に、汗と鉄の匂いが満ちていた。


騎士団の訓練場には、各地から集まった若者が並んでいた。

貴族の息子、冒険者上がり、軍人の家系――

皆、筋骨逞しく、魔力の気配を纏っている。


「次、リアン・マルシェ!」

呼ばれた名に、彼は背筋を伸ばして前に出た。

試験官が呆れたように眉をひそめる。

「武器は?」

「これです!」

リアンが掲げたのは、削り出した木剣。

笑いが起こった。


「田舎の子供か?」

「木で何を斬る気だ」


リアンは答えなかった。

ただ、構えた。

父が畑で鍬を振るう姿を思い出しながら。


結果は――惨敗だった。

一太刀も当てられず、肩を打たれ、地に倒れる。

訓練場の砂を噛みしめながら、リアンは立ち上がった。

試験官が呆れたように言う。

「悪くはないが、才能がない。帰れ」


その夜、リアンは宿舎の裏でひとり剣を振った。

月が昇り、沈み、夜が明けても剣を止めなかった。

手のひらの皮は破れ、血が柄を染める。

それでも彼は笑っていた。


「才能がない? 知ってるさ……そんなの、とっくに」


彼は血の滲む手で剣を握り直した。

遠くの塔の鐘が鳴る。

一日の始まりを告げる音だった。


誰よりも早く目を覚まし、

誰よりも遅くまで訓練場に残る。

それがリアンの日課になった。


やがて、教官の一人が呟いた。

「あの田舎者、まだ諦めていないのか……」


リアンは気づかぬまま、

少しずつ“凡人の底力”を積み重ねていった。



---


朝も夜も関係なく、リアンは剣を振り続けた。

他の訓練生が寝静まる頃、訓練場の隅ではいつも木剣の音が響いていた。

腕は痛み、皮膚は裂け、夜風に触れるたび傷が焼けた。

それでも彼は止まらなかった。


「……一振り、二振り……百、二百……」

自分の息を数で紛らわせる。

そうでもしなければ、心が折れてしまいそうだった。


そんなある夜のこと。

訓練場の影から、そっと灯りが差した。


「まだ、やってたの?」


小さな声に、リアンは剣を止めた。

灯りを掲げていたのは、見習いの回復術士――ミリアという少女だった。

栗色の髪を肩で結び、白いローブの裾に土の汚れをつけている。

年はリアンと同じくらい。

けれど、目だけは不思議なほど静かで、強かった。


「手……酷いね」

「平気だよ。慣れてる」

ミリアはため息をつくと、ランプを地面に置き、掌を差し出した。

淡い光がリアンの手を包む。

裂けた皮膚がゆっくりと閉じ、血の跡が薄れていく。


「ありがとう。でも、どうしてこんな時間に?」

「あなたがずっと剣を振ってるの、毎晩聞こえるから。……うるさくて眠れないの」

リアンは一瞬たじろいだが、彼女の口元に浮かんだ小さな笑みに救われた。


「努力してるね」

「才能がないだけさ」

「そう言う人ほど、才能を怖がってるんだと思う」


ミリアの言葉が、胸の奥に刺さった。

彼女は立ち上がり、柔らかく言った。

「努力って、誰かに勝つためにするものじゃないよ。守りたいものがあるから、するんでしょ?」


リアンは答えられなかった。

けれど、その夜から彼の剣は少しだけ軽くなった。



---


数週間後。

訓練場では模擬戦が行われた。

相手は貴族出身の訓練生――カイン。

剣術も魔力も優れ、教官からも将来を期待されている男だ。


「またあの田舎者か。見せてやるよ、本物の戦いを」


木剣が打ち合う音が響く。

最初の一撃でリアンは吹き飛ばされた。

体が地面を転がり、砂が口に入る。


観客の笑い声。

それでも、彼は立ち上がった。

足が震えても、視界が滲んでも。


「……まだだ」


構えを取るリアンに、カインが苛立ったように舌打ちした。

「しつこい奴だな!」

次の瞬間、リアンは体を低く沈め、振り下ろされる剣を受け流した。

そのまま体を回転させ、腹に一撃を叩き込む。


鈍い音とともに、カインが倒れた。

訓練場が静まり返る。


教官が一歩前に出て言った。

「……勝者、リアン・マルシェ」


歓声はなかった。

誰もが“奇跡”を信じられなかったからだ。

リアン自身も、息を荒げながら立ち尽くしていた。


そのとき、観覧席の隅で誰かが小さく拍手した。

ミリアだった。

彼女の微笑みが、どんな賞賛よりも温かかった。



---


その夜、リアンはひとり訓練場に戻った。

血の滲む掌を見つめながら、剣を握る。

夜風が頬を撫で、月が静かに照らしていた。


「努力は、報われる……のか?」


答えはなかった。

けれど彼は、父の声を思い出していた。


――守るというのは、戦うことじゃない。心を折らないことだ。


リアンは目を閉じ、空を仰いだ。

青いマントが、夜空の中で揺れて見えた。


「俺は……折れない。たとえ、誰に笑われても」


剣を構え、静かに振る。

月光を裂くその一閃は、未熟で、拙く、けれど確かな熱を帯びていた。


こうして、凡人の努力は――

誰にも知られぬまま、静かに実を結び始めていた。

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