俺がお嬢様に転生するまで
王朝歴453年、満月が街を眩しく照らし、夜風が人々を優しく包み込むある日の夜、名門貴族であるクルシュード家の邸宅では、外の様子とは打って変わって大嵐でも起きたのかというような大騒動が起きていた。
「はぁー!?奥様の出産が今日だと!?なぜそれを早く言わなかった!」
「申し訳ありませんロストデス殿…なにせ今回の出産は極秘のものでして…直前までは身内にも口外してはならないと公爵様が…」
顔を真っ赤にしながら怒るタキシード姿の老人と、軽く胸に手を当てて謝る、上等な生地のチュニックを着て腰に剣を差している、身分の高そうな若い男…クルシュード家の執事である「ロロド・ロストデス」と、公爵専属騎士の「ルヴィス・トロンデ」だ。
「ええい、こんなところで貴様と話している場合ではない!奥様の勇姿を見届けるのだ!…一分で駆けつけまする奥様ー!どうか股の肉を締めてお待ちくだされー!」
ロストデスはおぼつかない足取りで走って行った。それをルヴィスがため息をつきながら見送る。襟元を軽く直した後、振り返って立ち去ろうとした時、ルヴィスの目線の先から背の高い女性が歩いてきた。コツコツとヒールを鳴らしながら優雅に近づいてきて、ルヴィスとすれ違う直前辺りで足を止めた。
「…ルヴィス…」
「…あんたか。ここにきて数ヶ月…やっと仕事が回ってきたようだな?」
「…ああ、ようやく、私の剣が抜かれる時が来たようだ。『運命の子』たるお嬢様は、私が守る」
女性はよく手入れされた、銀髪に少し金髪が混ざった短めの髪をフサフサと揺らしながら颯爽と去っていった。風のように、なんの痕跡も残さず。
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さて、ここは東京、夜の街…そして、人々の喧騒に埋もれた薄暗い路地裏では…この俺、流川星史郎という名のホームレスが一人寂しく暮らしていた。幼少期に両親に捨てられて以降、たまたまそこにいたホームレスの爺さんたちに拾われて、それからはサバイバル術やら小遣いの稼ぎ方やらを徹底的に叩き込まれた…おかげである程度スクスクと成長できて、最近めでたく二十四歳になったところだ。まぁ小学生程度の学力しか無いのは致命的と言えるが…
ちなみに、そんな俺にも娯楽という嗜みがあるのだ!近所の電機屋に行って大型テレビでテレビ番組を見たり、本屋で漫画を立ち読みしたり、デパートの試食を食い漁ったり…
「…ま、結局どこもかしこも出禁食らうんですけどねぇ?先週は隣町のタヤマ電機…その前は近所のストべ電機…まったく…俺から楽しみを奪って楽しいか?」
そんな感じで今夜もぶつぶつと文句を垂れながらいつもの寝床に戻ると、見慣れた顔の女がズカズカと俺の寝床に座っていた。
「やっ」
「…やっ、って…あんた、人の寝床にズカズカと…何のようなのさ」
「わかってるくせにぃ…あたしがあんたに頼むことなんて一つしかないっしょ?ほれ、これいつものとこまで運んでくれ」
女は嫌味ったらしい顔をして俺に大きな黒いビニール袋を投げ渡してきた。いつものことだが結構ずっしりとしている。
「はぁ…まあ金の為だしやるけどさ、何が良いってんだよこんなの」
「あたしに聞くんじゃあねえよ。あたしは金を稼げるから売ってんだ。こいつの良さは吸ってる党の本人にしか分かんねえよ」
これが俺のお気に入りの仕事。一番楽で一番稼げる。怪しい薬を指定の場所まで届けるだけ。今夜も俺はルンルンで薬を運ぶ。しかし今日はいつもとは少し違った。やけに堅苦しい格好をした男の人に声をかけられた。
「あの、少し良いですか?その手に持ってるやつって何ですか?」
穏やかな口調だ。でも必死に作り笑いをしていてなんかこっちが笑えてくるかも。
「これ?なんか薬だってよ。これ運ぶだけで金稼げるんだぜ?」
俺は笑いながらそう答えた。こいつらは稼ぎ方が知りたいんだって、本気でそう思ったんだ。でもそうじゃないってすぐにわかった。なぜって、俺がそういった直後にそいつから笑顔が消えたんだから。
「それ、麻薬だよね。とりあえず薬物検査してから、警察署で事情聞くから」
…警察?…ああ、なんか聞いたことがあった気がする。…そうだ、ホームレスの爺さんたちもあの女も、関わったら面倒臭いって言ってたやつだ。捕まったらどうなる?俺の今の生活はクソだけど、それなりに楽しいことだってある。でも捕まったら?そんな生活には戻れなくなるんじゃないか?そんなの嫌だ、ここで捕まるくらいなら…
「…ここで捕まるくらいなら…!」
「…!おい君!何やってるんだ!?」
俺は袋を力づくで引き破き、中の白い粉を片っ端から口の中に放り込んだ。飲み込んでからそう時間が経たないうちに目の前が真っ暗になり、俺は倒れた。警察の人が何か騒いでいたが、もう何も聞こえてこない…そして次に意識が戻った時、俺は大量の本が詰められた本棚に囲まれた不思議な空間にいた。
目の前には黒髪ロングで瞳も真っ黒、そして真っ黒いローブのようなものを着た若い見た目をした男が、まるでクイズ番組にでも使うのかというようなボタンの後ろに立っている。神様?のような立ち位置に感じるが、どちらかといえば悪魔のような雰囲気だ。
「…ここは…お前は誰だ?」
「ここは冥土の書庫…そして私は名もなき審判官だ。適当に捉えておくといい」
名もなき審判官と名乗る男は老人のようなゆっくりとした口調で話した。
「それで、俺はこれからどうなるんだ?天国か?地獄か?」
審判官は少しの間黙り込んでから、近くの本棚に手を伸ばし、一冊の本を取り出した。そしてページをパラパラとめくりながら、険しい表情を浮かべる。俺は思わず唾を飲み込んだ。
「…ふむ…結論から言うと、お前は天国も地獄もクソもない。若い上に碌な経験もなく、大した死に方もしていない…善人でも悪人でもないただの馬鹿…何でも良いからさっさと転生しろ」
「おい待て!なんでそんな罵倒されにゃいかんのじゃ!俺だって必死に生きてきたんだよ!馬鹿なのは認めるけど、そんな言い方…」
俺がワーワー騒いでいると、どこからか一匹の黒い虫が飛んできた。その虫は真っ直ぐに審判官の前のボタンの上に飛んでいき、真っ直ぐに男の漆黒の瞳を見つめた。
「…なんだ?この虫は」
「ん?ああ、Gさんじゃねえか?うちの近所にはいっぱいいるぜ?」
「ああ、なるほどゴキ……ぬぅぅぅぅゎああああ!!!!!」
今まで至って冷静な態度を貫いていた審判官だったが、突然阿形と吽形を足して二で割ったような顔をして大絶叫をあげ始めた。
「ぬおぁぁぁ!くそ、何でよりにもよってお前なのだ!はッ!飛ぶなよ!?絶対飛ぶなよ!?飛んだら地獄行きーぃやああああ!!!」
そんなことを言っていると、稀代の特大フラグを回収しに行くが如く、Gさんはその茶色い羽を羽ばたかせ、審判官の顔面目掛けて飛んで行った。まったく、笑いのわかるGさんだ…
「おのれッ!貴様などこうしてっ…こうだっ!ぬおぉぉぉぉ!」
審判官は飛び回るGさんの触角を摘むと、恐ろしいまでに美しいフォームでGさんを叩きつけた。そしてそのままGさんは男の目の前のボタンに凄まじい勢いで激突…周囲にガチャリと鈍い音を響かせた。
「…あ」
審判官は急に真顔になる。それに釣られて俺も真顔になる。俺たちは互いにしばらく見つめあった。
「おい、俺ってこれからどうなるんだ?こういうのって記憶処理とかしてから転生させるんじゃ…」
「……さらばだ、哀れな死者よ。其方の来世に栄光が…」
「今更誤魔化したっておせーよ!?おい、ちょっと待て!このビビり野郎がーッ!」
こうして、俺はものすごく適当な感じで転生させられることとなった。来世で死んでまたあいつの前に行くことになったら、今度こそ顔面に一発入れてやろう…俺はそう誓うのだった。しかし俺はまだこの時理解していなかった。この人生がどれだけ険しいものなのか…そしてこれに気がついたのは、自分の顔を鏡で初めてみた時だった。
(…あれ、このやけに派手な格好の赤ん坊…俺?…てか、女!?)
何かの間違いならよかったのだが…現実はそう甘くないのだと誰かが俺に諭しているような気がする…俺はどういう訳か、転生したらお嬢様になっていたのだ。
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