聖者の石
魔石鉱山の町長が考える時間がほしいと言って出て行った後、クロウの事務所の扉が勢いよく開かれた。
顔までしっかり隠したフード付きのマントを身に着けた不審者が飛び込んできた上に、事務所に入った瞬間勢いよくそのマントを脱ぎ捨てる。
「私が来たわっ!」
曇り空を吹き飛ばすような元気の良い声を出したのは、燃えるような赤髪の見目麗しき女性。
フリルのついた黒いドレスを身に着けており、育ちのいい令嬢と誰もが疑わないような上品なオーラがあふれ出ている。
「帰ってくれ。アレーシャ」
だが、クロウはノータイムで扉の先を指さした。
クロウの顔は明らかにうんざりしていて、明らかにアレーシャのことを冷たくあしらっている。
しかし、それで帰ってくれるなら苦労はしない。
アレーシャと呼ばれた赤髪の女性はクロウの指示を完全に無視して、真っすぐクロウの前にやってくる。
「えー、クロウ冷たくない? せっかく仕事を抜け出して遊びに来たのに」
「だから帰れって言ってるんだよ。お前の商会の人間から何回苦情が来たか分かってるのか? 世界最大の武器商会会長が突然いなくなったら、職員も困るだろ」
「あはは、それじゃあ私に対するクレームの代行お願い。報酬はこの外国産スイーツでどうかな?」
アレーシャはそういうと、勝手に机の上に3人分の茶器と持ってきたお菓子をあれよあれよと広げた。
そして、黄金のような黄色い四角い焼き菓子が瞬く間に切り分けられていく。
「こんなスイーツで俺が許すと思うか? さっき1億クレ積まれて、ノータイムで蹴った俺にスイーツだけで買収できると――」
「はい、クロウの分は大きめに切っておいたよ。帰れっていうなら持ち帰るけど?」
アレーシャはそういうと、黄金の焼き菓子の載った皿をクロウの前に差し出す。
「くっ、この甘い香り、ふわっふわで美しい黄金色の生地……。会長と言えど仕事なら休憩時間は必要だな」
「さすがクロウ話が分かるね。うちの商会の人間もクロウくらい聞き分けが良いと助かるのになー」
そういったアレーシャは世界最大の武器商会の会長で、古くからお互いを知る間柄でもある。
だからこそ、クロウにとってもアレーシャにとってもこのやり取りはいつものことで、クロウが本気で嫌がっている訳でもないことを互いに知っている。
あくまで厄介ごとを持ち込まない限りは。
「クレーム以外にもう一つ、クロウに代行依頼があるわ」
「茶器が3人分用意されていた時点で分かってた。代行内容は?」
「とある学生の保護と、盗まれた聖者の石の製法書確保」
アレーシャの口にした聖者の石という言葉に、クロウの表情が険しくなる。
自然の力が凝集して魔法の力を生み出せる鉱石を魔石という。通常はその魔石に形を与え、紋様を刻むと魔法が使える触媒となる。
一方で、聖者の石は自然の力が凝集したものではない。
人が奇跡を起こすために、人工的に作り出した魔法触媒だ。
ありとあらゆる傷を治し死に瀕したものすら蘇らせる。幾千もの兵士を屠る強大な火炎を生み出す等、絶望的情況を一変させる力があるとされる。
聖者の石一つで国が一つ滅ぼせる。
そうささやかれるほど強力な力があるため、製法は作成者である錬金術師が基本的に秘匿するし、所持していることも公表しない。
もし所持していることが知られたら国、教会、冒険者ギルドから、自衛のために命を狙われるレベルで危険視される代物だ。
そんな究極の魔法触媒、聖者の石の製法に関わる事件に関する代行が来てしまった。
「どちらかというと今回は私よりも、クロウの聖者の石に近い」
アレーシャがクロウの胸に指を触れる。
奇跡を起こす究極の魔法触媒、聖者の石はクロウの心臓となっている。
そして、同じくアレーシャの心臓にも聖者の石が埋め込まれている。
代行達成率100%を支える力の源は、クロウの心臓にある聖者の石。
その力は生命転化、本来なら形を持たない命や魂を、魔石に変換し、新しい聖者の石に変えてしまう奇跡。一度でも生命転化の対象にされた者は、抗うことも出来ず、ただの魔力触媒の塊となる。
やろうと思えば、一瞬で国一つの住民をすべて魔石に変えて滅ぼすことだって出来る。
そんな自分の聖者の石に近いと言われ、クロウは今回の事件の違和感に首をひねる。
「聖者の石絡みなのは分かったが、その学生は一体何者だ?」
「人も魔物も殺したこともない、戦いすらしてこなかった無垢でかわいい女学生だよ」
人は見かけによらない。どれだけ無垢に見えても血にまみれた人生を送っていることもある。
だが、アレーシャに対しては、戦いに関して嘘をつけない。
彼女の中の聖者の石が、全ての戦いの記録を暴くからだ。
「彼女が武器を取った時、死の商人である私の石の中に戦いの記録が全く送られてこなかった。私に届いたのは戦う覚悟だけ」
アレーシャの聖者の石は、全ての武器を持つ人の戦闘経験を自分のものにする力がある。
他人が戦うことで得られる力と技量の成長を得られるだけで、恐ろしく強力な奇跡だが、武器商会会長として国同士の戦争の武器量や勢いの優劣といった情報を得て莫大な富を得ることもできる。
絶対的な武力と圧倒的な情報量を持ち、代々継承され発展したアリーシャ家は、それ故に死の商人と呼ばれている。
そんな彼女が無垢だと言うのだから、その女学生は本当に戦いとは無縁な子だったのだろう。
「なら余計に分からない。何でそんな子が戦う覚悟をしているんだ?」
「それは本人に聞いた方が良いかな。そろそろ来るはず」
「おい、依頼をまだ受けるとは一言も言ってない」
アレーシャが扉の方に振り向いたその瞬間、事務所の扉がそっと開かれた。




