1話 今と昔が交差する世界
「………………はぁぁぁ、しんどい。もう疲れた。ゲームしたい、漫画読みたい、小説読みたい、でも1番は泥のように眠りたい」
ぽふん……と音を立ててシングルのベットに体を横たえた。
枕に頭をグリグリとすると、サラサラと動く枕が窪んで心地いい場所を探す。
高校を卒業して4年。
所謂ブラック企業と言われる会社に就職した。
アットホームで定時退社、週休二日。風通しの良い会社と求人には乗っているが、それは日本語か? と聞きたくなってしまう。
ギスギスとした職場に、サービス残業当たり前の終電で帰れたらいいね、な退社。
連続勤務20日で常に寝不足、溜まるのは貯金だけだ。それを使う休日がない。
風通しが良い? 淀みきってるって。
そんな事をボーッとしながら考えていると、テーブルにある1冊のノートを見た。
何故だろう、思い出したのは親友と高校の時に書いていたリレー小説。
妙に気のあった親友で、ストーリーを作るのが好きだった親友は楽しそうに筆を進めていた。
書き始めてから止まらなくて、そのノートは15冊をゆうに超える。
妙に書き込まれた世界情勢、なのに主人公がいる街の書き込みはゆるゆるで、書く度に変な店や裏路地が増えていき、知らない団体が幅を利かせている。
ノートが回ってくる度に、この人だれ?! と聞き、混乱して書いて渡せば親友は笑った。
誰よこれ?! なんで敵になってるの?いっつも思ってるけど魔物の細かい設定どうなってるの?
そう言いながらもケラケラ笑っていた親友とは、もう2年は会えていない。
「………………あぁ、あの頃に戻れたらなぁ……楽しかったよね、気軽に話を書いてキャラがどんどん増えて、この人だれ?! みたいな……」
もそりと起き上がり、テーブルの上にあるノートを掴んだ。
パラパラと開いたノートには、落書きが書いている。
「…………そういえば、あのノートどうしたんだっけ……ああ、捨てたくないから保管するって言ってたっけ……」
あのノートに書いてあった物語り。
黒髪に紫の目をした格好良い主人公が仕事で魔物を狩りに行くお話。
王族直属の騎士団に所属しているその人が強くなって国のお姫様に見初められるが、幼なじみの子が好きで断り幼なじみと結婚する話。
そんな、頭の中に満開の花が咲いているような安直な内容。無駄にキラキラした、でも実際は犬みたいな性格の格好良い主人公。
そんな在りきたりながら王道……だと思っていた内容を2人で周りにバレないように……なんて笑いあって作っていた。
「…………懐かしいな、本当に。あの頃に戻れたら、きっと今より楽しくて仕方ないんだ……ろう……な…………」
ペタリとテーブルに頬を付けて、襲い掛かる眠気に負けて目を閉じた。
「…………………………あれ」
キョトンと目をパチクリとして、作業台から地面に流れる血液を眺めた。
ふわりと外から来る風にポニーテールにしている髪が揺れる。
いつもと変わらない風景、いつもの作業場はギルドの横にある解体場。
そこが私、レティリアの居場所である。
「レティ? どうした? 」
「え? ……いや、なんでも……」
「あれ、さっき片付けてたよな、なんで作業台に血が? 」
「あー、新人さんの解体中の肉片と血が飛んできた」
「まじか……注意だな」
呆然としているレティリアを心配した同僚の男性が声をかけてくれる。
首を傾げながら返事を返して、無意識に作業台を片付けた。
綺麗に磨き上げて、床も綺麗にしたら運搬の職員が次の解体物がドン! と乗せる。
「ブリザードドラゴン一体。鱗と爪、牙は買取、他はギルドに降ろすってよ。レティよろしく」
「!!! 特A級きたぁぁぁぁ!! なんって綺麗なドラゴンなんだ!! 鱗は薄いブルー、まだ若い個体だね……小さめかぁ、大人に成り立てかな? 綺麗に討伐されてる、傷は腹部に一撃、いい腕…………あ、顔に攻撃してる……ブリザードドラゴンは物理も魔法も効きにくいからなぁ、新人も居るのかな?……いや、これは力比べか。へぇ、すごい。牙が欠けてる! かなり攻撃力あるねこれは……鱗は傷なし、最良品……うん。いい。皮もいいね。腹部は弱点だから、なかなかいい状態の腹部の皮が剥がせないからそれは残念かな……」
ブツブツと状態を確認しながら笑顔全開で、分厚い作業用手袋をはめた。
ブリザードドラゴンは、死後も触ると凍傷になるし、常に冷気を纏っている。
死んだドラゴンですら人を殺す凶悪なドラゴンである。
「よし、まずは鱗……うん。生え変わりしたばかりかな?だいぶ柔らかいね。これは武器防具というより家具工芸品行き……うん。滅多に出ない生え変わりは高級品……血は……綺麗だね。これなら肉の腐敗は無さそう。死後……3時間……いや2時間半かな、状態良好! 」
ドラゴン専用の鱗取りを握り締める。
首周りから引っ掛けて、一息に下までバリバリ! と引き剥がした。
外れた鱗が飛び跳ねて周りに散らばる。
それを丁寧に籠に入れた。中には塩水が張ってあって、入れた瞬間に鱗に張り付いていた血が浮き上がっていく。
他の場所も首から剥がしていき、あっという間に籠がいっぱいになった。
「………………よし、鱗の洗浄はまた後で。次に……目……眼球に傷なし。充血、黄疸……うん、瞼も切ってないから目に血が入ってないね。よーし」
目のくり抜き方や、衣、鱗、皮膚等の解体は見て覚える、やって覚える。
魔物によって、素材の剥がし方はみんな違うのだが、特にドラゴン種の眼球は注意が必要。
ギョロリとした眼球は思いの外柔らかく、器具を使ってくり抜くと傷を付けてしまい、最悪潰してしまうのだ。
高級素材なので、そんな勿体ないことはできない解体屋さんは、最終的には指先の感覚を研ぎ澄ました。
つまり、自らの指でえぐり出すのだ。
上瞼と眼球のほんの少しの隙間に指先を当てる。ギョロリとしている眼球は僅かに楕円で、そのくぼみを指先でぐるりと触り探し出す。
その場所を見つけた後、ゆっくりと張り付く皮膜や血管を優しく指先で剥離していく。
頑丈な魔獣だが、内部は繊細に出来ていて、失敗すると一瞬で血が滲み真っ赤な眼球に変わってしまうのだ。
ズブ……と第1関節まで入れた指先をくるりと回していくと、瞼の中で眼球がぷかりと浮く。
「………………ふぅ」
親指と人差し指で眼球を優しく挟んで取り出すと、出勤して3日目の新人はバタバタと作業場の端に向かって走って行った。
「う……うぇぇぇぇぇ……ぐぅ……ぐぇぇ……」
「新人の洗練だよなぁ」
ビシャ……と嘔吐する新人に、皆が生温い眼差しを送る。
誰もが経験する事で、可哀想でも汚くも恥ずかしくもない。
通過儀礼のようなものだ。
「……慣れるまでだよねぇ」
そんな事気にもとめないレティリアは、たっぷりと保存液の入った眼球用の小瓶に今取り出したばかりのブリザードドラゴンの眼球を入れる。
瓶の下には可愛らしい雪の結晶と小さなドラゴンのシールが貼ってある。
これで、ブリザードドラゴンの眼球だとわかるのだ。
その横にある余白に小さなサインをする。担当者が誰か分かる為に。
「相変わらずレティリアの解体は綺麗だよね。どうやったらこんな傷1つ付けずに取れるんだか」
「んー……生卵で練習して、他の魔獣の目も練習でくり抜いたからかな 」
「うぇ、あんたくらいだよ」
くるりと指先を回すようにしながら言うと、少ない女性の同僚は、舌を出しながら嫌そうな顔をした。