第66話 悪人
裸足で家を飛び出した私は無我夢中に走り続けました。とにかく遠くへ遠くへと走り続けました。その時に振り返ることはしませんでした。ここで振り返ってしまうと、私はおかしくなってしまいそうだったから。
足の裏には何度も足が食い込みました。不本意にもお父様のハラスメントのおかげでその激痛に耐えることができました。
何時間走ったのでしょうか、私はついに力が尽きてしまいその場に倒れ込んでしまいました。
翌日、目を覚ますとベッドの上にいました。しばらく周囲を見渡すと、ドアが開いた音がした。
「目を覚ましたか、昨日この建物の前で血を流して倒れ込んでいたんだぞ、一体何があったんだ?」
長髪の男性が私に話しかけてきました。運が良かったのでしょう、私を助けてくれたのは不動教授でした。
「え、不動教授が!?」
「はい、紛れもなく不動さんでした。まあ、そこが大学だということは知らなかったのですが」
最初はいくつか質問されました、名前は何なのか、どこから来たのかなどです。
当時の私は本名を言いたくありませんでした。この地域の冬崎といえば私達しかいませんので、家がバレてしまいますので。
そこで咄嗟に出した名前がみなさんが呼んでくださっている"クラッシュ"という名前です。
不動教授は優しい人でした。まあ今も優しいですが、本名すら明かさないような私を保護してくれました。
ご存知の通り不動教授は朝から夕方まで大学で講義、夜は滅魔隊として常に動いています。
そんな彼に私に何かできないことはないか考えました。
それは、私も滅魔隊に入ること、そして独り立ちすることでした。一般的な大学に進学しようと考えたこともありましたが、大学に入学するには個人情報を記入しなくてはいけません。素性を隠したい私には不都合であり、その必要がない影夢学院大学こそが私の素性を隠し通せる最高の場所でした。
このことを不動さんに話しましたが、最初は反対されました。「そんな理由でここへ入学するな」って言われました。でも、私は折れるつもりはありませんでした。それから2年間自分なりに努力を重ねました。早朝の走り込みや筋トレ、自分のできる精一杯をやり続けました。
その様子を見たからなのでしょうか、最終的には不動さんにも入学試験を受ける許可が下り、そこでみんなと出会って、
「今に至るって感じです。ごめんなさい、つい話しすぎましたね」
みるは笑いながらそう言ったが、彼女の過去を聞いて、俺は自分の受けた絶望がどれだけ浅いものだったのか実感した。幼い頃から母親を亡くし、みるが受けたハラスメントに対する苦痛や屈辱、誰にも相談できない孤独感、自分が逃げ出すために犠牲になった使用人に対する罪悪感。色々な感情を抱えながら決死の覚悟で家を飛び出したのだ。たった二歳しか違わないはずなのに、背こそ俺より低いにも関わらず、この時は大きく見えた。
言葉が思い浮かばなかった。今のみるにどんな言葉をかけていいか分からなかった。しばらく沈黙が続くと、バトラーが口を開いた。
「結局のところ、これからお前はどうしたいんだ?昔話を語るのはいいが、大事なのは今この瞬間だ」
みるはハッキリと、堂々と言った。
「みんなの元へ帰る。こんな家とは縁を切る」
「覚悟は、できているんだな?」
「正直怖いです。でも、こんなところで人生が終わる方がよっぽど怖いです。いや、不動さんに本気で怒られた時の方が怖いかもです」
俺は思わず吹き出してしまった。こんなことを言うのはどうかと思うが、今はシリアスなシーンのはずなのに、唐突に冗談を言ったみるがあまりにもおかしかったのだ。
「洸平が…笑った?」
「あの血の涙もなさそうな洸平が?」
「お前ら俺を何だと思ってる?俺だって笑う時は笑うよ。ってそんなことより、これからどうする?外で奈々准教授を待っとく?」
みるはコクリと頷いたが、バトラーは頷かなかった。
俺はその理由を聞いた。
「お前が悪人だったとする。もしお前にとって都合の悪いことを誰かに見られたらどうする?」
俺はハッとした。確かにこれは、みるを連れて帰ればいいという、簡単に済む話ではなかった。
「もし悪人だったら、もみ消すか…」
俺はみるの顔を見た。そしてハッキリと、
「見た人を、一人残らず始末する。まさか、冬崎勲がそうすると思ってるのか?」
「平気で妻と娘を殺し、殺そうとしてるんだぞ。それに話を聞く限り殺しは初めてじゃねぇ。一度殺せば、殺すことに何の抵抗も感じなくなるやつは少なくない。戻るのは、ここを潰してからだ」
バトラーがそう言った直後、ここの扉をノックする音が聞こえた。
清野奈々は櫛塚洸平、バトラーと別れた後、冬崎勲の部屋へ向かっていた。挨拶をすると言ってしまった以上行くしかない。
そもそも私がここへ来た理由は、冬崎勲の不祥事の証拠を見つけるため。彼には悪い噂が絶えない。
滅魔隊本部が長年頭を抱えている問題であり、迂闊に手を出せない存在だ。
私達清野家は冬崎家に昔からお世話になっているため私とさくらに極秘任務として任され度々訪問するが、常に監視役の男、使用人がうろついているためろくに調査もできなかった。
きっとそれは昼間だったから。この夜なら多少は動きやすいに違いない。
彼の部屋の前に着き、扉を2回ノックしてから部屋へと入った。
「よくいらっしゃいました。こんな時間にご苦労様です。ところで、あと二人いると聞いていたのですが、そちらの方はどうされましたか?」
「彼らならすでに配置についてもらってます。非常識な人ですが実力は折り紙付きです」
嘘は吐いてないわよ。実力は未知数だからど、非常識は間違いないわよね。
「そうそう、今度言おうと思っていたことだったのですが、せっかくなので今言っておきましょう。奈々さん、今後私達冬崎家は清野家との関係を断とうと考えています」
なんですって?もしこの関係が無くなってしまえば、調査ができなくなってしまう、まさか私がそのために来ていることがバレた?
「清野家の皆さんには感謝しています。ですが、私が考える今後のプランのことを考えると、申し訳ありませんがあなた方が障害になってしまうと判断しました。突然のことで申し訳ありませんが理解していただけると幸いです」
「私達としては今後とも良い関係を築き上げたいと考えています。きっとさくらや妹もそう考えるに違いありません。どうか考え直してはくれませんか?」
「残念ながら…決定事項なのです」
これ以上は無理ね、ここで抵抗すればさらに怪しまれてしまう。今は引き下がるしかない。とりあえずこの後は適当に敷地内をうろうろして、夜が明けるまでに櫛塚君を連れて戻ろう。
「分かりました。では、冬崎家の最後の任務を完遂して参ります」
そう言って部屋を出ようとした時、「待ちなさい」と呼び止められた。
「その必要はない。なぜなら、君達はここで帰らぬ人にするからだ」
扉を出ようとすると、どこからともなく監視の男達が塞がった。これが魔族だったら躊躇なく魔法を放っている。だが相手は人間だ、殺すわけにはいかない。
「すでに君が連れてきたという人達にも見回りを送っている。少なくとも奈々、君は我々について知りすぎたんだ。若い芽は早めに摘んでおくものだよ」




