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第65話 冬崎みるの過去

「お母様!あのお花はなんて名前ですか?」


「あらあら()()、あの花はね"スミレ"って言うのよ」


「すみれって言うんだ!とても綺麗!」


「みる、スミレにはね謙虚、誠実、小さな幸せの意味が込められているのよ」


「けんきょ、せーじつ、小さなしあわせ?お母様それどういう意味ですか?」


「ふふ、みるには少し難しいかもね。いつかきっと分かる時が来るわ。…もしお母さんがいなくなっても、いい子でいるのよ。みる」


コンコン、扉をノックする音に目が覚めた。随分昔の夢を見た気がする。お母様、一体どこに行ってしまったのですか?

それよりも、お父様でしょうか?今は夜の23時を回っている。()()()何の用なのだろうか。

扉を開けると、予想外の人物が立っていた。櫛塚洸平、そして彼の相棒のバトラーだ。

どうしてだろう、お父様じゃなくて安心している自分がいる。でも私は冬崎家の人間、みんなのいる世界で暮らすことは許されない。


「もっと君のことを知りたい」


…!こんなこと、生まれて初めて言われた。

学生時代、私に話しかけてきた子たちはみんな私のことではなく、冬崎家のことばかり聞いてきた。

でも彼は、櫛塚洸平は知りたがっている。おそらくクラッシュについてではなく、冬崎みるという一人の人間について。

 私は二人を部屋に招き入れた。小さなテーブルの上に置いてあったキャンドルに火をつけた。

小さな火は、私達の顔をうっすらと照らした。


「洸平、二人だけでここに来たの?」


「いいや、清野奈々准教授も一緒だ。今は君のお父さんへ挨拶に行っているはずだ」


「そうだったんだ…」


「…クラッシュ?」


無意識に目から涙が流れていた。拭っても拭っても、涙が止まらない。理由も分からず泣いている私にバトラーがハンカチを差し出してくれた。

私は小さくお礼を言うと、ふと言葉が溢れた。


「私…みんなの元に戻りたい…!戻りたいよぉ!」


きっと情けない顔をしているに違いない。二人の顔は涙で滲んでよく見えないが、焦っている様子というのだけは分かった。

そんな私を洸平は無言で私の背中をさすってくれた。

数分後、私は覚悟を決め、二人に話を始めた。

私がどんな人間で、どんな半生を送ってきたのかを。


 20年前、私は冬崎家の長女として誕生しました。

みんなには内緒にしていたのですが、私は今年で20歳になり、みんなよりも少しだけ年上なのです。

読み書きの練習や作法といった、いわゆる英才教育を幼い頃から受けていました。当時は別にそれを大変と思ったことはなく、むしろ率先して取り組んでいました。

お父様は仕事が忙しかったようで、私にはあまり関与していませんでしたが、お母様や使用人達が身の回りのお世話や勉強を教えてくださいました。

私はお母様との時間が大好きでした。お庭でお花の冠を作ったり、たくさん走り回ったり、こんなに幸せな時間がいつまでも続くんだと思っていました。

私が6歳の誕生日を迎えるまでは。


「誕生日おめでとう、みる!はい、みるが欲しがっていたぬいぐるみだよ」


「ありがとうお父様!ところでお母様はどちらにいらっしゃるのですか?」


「あぁ…お母さんは少し体調が悪くて、寝室で寝ているよ。なぁに心配ないさ、明日にはきっと元気になっているよ。さぁ、ご馳走を頂こうじゃないか」


お父様の不審な様子に、幼いながら気になり、嫌な予感がしたのを今でも覚えています。そして、その予感は的中してしまうことになります。

 夕食後、私は急いでお母様の寝室へ行きました。使用人の方に制止させられましたが無理やりお母様の寝室に入りました。しかし、そこで目にしたのは、お母様が変な形をした化け物に捕食されている光景でした。


「お母…様?」


私は状況を理解できませんでした。お母様は既に下半身がほとんどなく、床には赤い血の海になっていました。

呆然と立ち尽くしていると、騒ぎを聞きつけたお父様も寝室にやってきました。


「な…!?明美、明美!?」


「おっと動くな動くな、今この女を頂いている最中なのだぞ?だが、見られてしまったなら仕方がない…俺様の食事になってもらおうか」


お母様の肉片を地面に置き、私達の方は近づいてきた。今ここで逃げたとしても、すぐに追いつかれるに違いない。「食べられる」そう思った時、お父様が動いた。


「ま、待ってください!私にいい考えがございます!私を襲うのはそれを聞いてにしてはいただけないでしょうか!?」


お父様は化け物に近づき、何かを話し始めた。距離が遠いからか、気が動転していたからか、話していることは聞こえなかった。


「ほう…人間界にも腐った人間はいるのだな。だが気に入った。その話、乗った」


私達は助かった。しかし、その日からでした。お父様の様子が変わってしまったのは。

 お父様はその日を境に、私のあらゆることをするようになりました。日々の生活のことから、度を超えたことまで。

食事はバランスの取れたものから一転、脂っこいものが増えてきました。あまりの多さに最初は吐き気を催すこともありました。完全に私事ですが、この頃からお父様に隠れて運動をするようになりました。

私の脚力はこの時に培われたものだと思います。

そんな日々が続き、私が15歳の頃、深夜トイレに行くために屋敷を歩いている際、私はとんでもないことを耳にしてしまいました。


「"(かしら)"、育成は問題なく進んでいます。あと3年だけお待ちください。きっと貴方様が味わったことのない最高なものを提供いたします」


「ご苦労、しかし9年前にお前が娘を食わせてやるから自分の命だけは助けてくれと懇願してきた時は流石に驚いたぞ。実の娘を差し出すやつなんて我ら魔族でも少ないと思うぞ」


「!!!」


私を…食べさせる?そんなまさか、でもこの声は間違いなくお父様のもの…。私が生かされたのは、あの化け物、魔族に食べさせるため?

ここから逃げ出さないと!だが将来のためにも高校には通わなければ、でも一体どうやって?


「おい盗み聞きはよくないぞ?一体全体どこから聞いていた人間?おい勲、こいつには教育が必要らしい」


「みる!こんな時間に何をしているんだ!?これでは最高級の肉にならないじゃないか!」


この一件から、私の境遇はさらに劣悪になりました。

もはや奴隷といっても差し支えないレベルだったでしょう、私には親友や信頼できる大人がいなかったため、誰にもこのことを言えませんでした。


「ちょっといいか?クラッ…みるは学校には通っていたんだろう?その時は父親とは離れていたはず。その時に逃げ出そうと思わなかったのか?」


「確かにな、別に屋敷内でも逃げ出すチャンスはいくらでもあったはずだ。早朝や休日の昼とか、その頭ってのは魔族だ。お前の足なら簡単に逃げ出せたはずだろう?」


「駄目です。そんなことをしたら、お仕置きされてしまいます。それこそ何度も逃げ出そうとしましたが、なぜかいつも見つかって、腕や脚を縛られて、背中を焼かれ、鞭を打たれた日もありました」


手首の跡はその時のものだったのか…それ以外にもきっと傷跡はたくさんあるに違いない。逃げ場も全て潰されていたからこそ、逆らうことができなかったのだろう。

()()は再び話し始めた。

 とうとう私は18の年を迎えてしまいました。深夜23時の時、私はお父様から呼び出されました。頭のいる部屋へ行けとのことでした。

私を案内してくれたのは、私が生まれる前から仕えていた熟練の使用人でした。

この時の感情は何もありませんでした。強いていうなら虚無といった感じでしょうか。

玄関の扉に着いた時、その使用人は突然腕に縛り付けていた縄を解き始めました。


「さあ、早くここから逃げなさい。あなた様はこんな所で死んではいけません」


「え?」


質問するを前に、使用人は続けた。


「私は知ってしまったのです、明美様が亡くなったのは不慮の事故ではありません、勲様によって仕向けられたものなのです」


「仕向けられた?お父様が?」


「そうです、明美様は嵌められたのです。勲様に愛なんてありません。明美様と結婚したのも、あなた様を産んだのも、全てはあの化け物に差し渡すためだったのです」


「嘘、嘘ですよね?」


「勲様が望むものはこの財閥を継承してくれる人材、勲様は未だに男尊女卑のお考えをお持ちのようで、過去にもこのようなことをしておりました。私の役目はただ一つ」


その約束を交わしたのは、明美様がみる様産んで間もない頃でした。明美様は勲様や他の使用人がいないことを確認すると、


幸代(さちよ)さん、一つお願いしてもいいかしら」


「はい、何でしょうか?」


「私はきっともう長くはありません。私の夫、勲さんに処理されるでしょう。それは幸代さんも知っているでしょう?」


「はい…きっとその娘さんもきっと、勲様は女の子には期待していませんから」


「そうです、だからこそです。幸代さん、どうかこの子を守ってあげてください。こんなことを頼めるのはあなたしかいないのです。手段は問いません、どうかこの子を幸せにしてあげてください」


「お母様…でもそんなことをしたら幸代さんは…」


「いいから逃げなさい!この先短いババアが一人死んだところで何も痛手でもありません」


そう言うと、突然幸代さんは自分の顔を思い切り殴った。周囲には鈍い音が鳴り響き、老体が簡単に出せる威力ではなかった。

すぐにその音を聞きつけた誰かの足音が徐々に近づいてきた。


「早く行きな。もう少ししたら他の使用人がやってくる、あなたのお父様も一緒にね。それとも、今すぐ死にたいのかい?」


私は黙り込んだ。何も言い返すことができなかった。私は小声で「ごめんなさい」と幸代さんに言って、屋敷を飛び出した。

その後ろ姿を幸代さんはしっかりと見届けた。

申し訳ございません、明美様。私の力ではこれが精一杯です。

しかしきっとみる様は幸せになるに違いありません。なぜならあの子は強い子だからです。勲様のセクハラ、パワハラといったあらゆるハラスメントを耐え抜くような、我慢強い子なのですから。

騒ぎを聞きつけた若い使用人、勲様が玄関の方へやってきました。


「おい、()()はどうした?」


「申し訳ありません勲様。突然みる様が暴れ出し、私の頬を殴り、そこの扉から出て行ってしまいました。罰は何でも受けます」


くそっ!と言いながら勲様は外へ飛び出した。それを横目に私は他の使用人達に最期の言葉を残した。








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