番外編:「美しくて惨めな敗北」(リシェル・サラズ視点)
私は、勝つと思っていた。
いや、勝って当然だとさえ思っていた。
美貌。名門の血。社交界の華たる教養と話術。
どれを取っても、あの女より上だったから。
けれど――
「……あなた、あの子が好きなのね」
そう言ったときの、彼――レオンの目を、私は今でも忘れられない。
まるで、私なんて初めから目に入っていないような。
冷たいのではない。
優しさすら感じさせるのに、その奥にあるのは絶対に手の届かない場所。
ああ。あんな目で、私は一度も見られたことがなかった。
悔しかった。
「あなたの祝福がなければ、私たちは幸せになれませんわ」
そう言って笑ったあの日。
嘘よ。祝福なんて求めてなかった。
欲しかったのは――ただ、あの子の敗北。
あんな地味で、冴えない、影のような女が。
どうして、一国の騎士にあんなに深く愛されているのか、わからなかった。
私は、社交界で、ずっと完璧でいなければならなかった。
少しでも隙を見せれば、笑われる。
一度の失敗が、家の名誉を傷つける。
そんな世界で、ずっと戦ってきた。
でも、ミレイユ・クラウゼは違った。
穏やかで、弱そうで、でも決して崩れない。
私は何度も彼女を試した。
言葉の棘を交えて、笑顔の下でマウントを取って。
それでも――彼女は微笑みを崩さずに、すべてを受け止めていた。
いや、違う。
受け止めていたんじゃない。
守ってもらっていたのだ。
あの男に。
レオン・ヴァルトに。
「……リシェル様。お嬢様は、こちらには……」
「いいの。ちょっと外の空気が吸いたくて」
庭園の裏手。
婚約発表の夜会が行われた日の、その数時間前。
私は一人でそこにいた。
誰にも言えなかった。
「ねえ、ミレイユ・クラウゼ」
声に出して名前を呼ぶ。
「どうして、あなたなの?」
誰よりも美しくて、誰よりも勝っていたはずの私よりも。
どうして、そんなふうに愛されるの?
答えは、風の音にかき消されて返ってこなかった。
社交界に噂が流れた。
レオン・ヴァルト騎士と、クラウゼ伯爵令嬢が正式に婚約したと。
私は、その知らせを聞いた瞬間、鏡の前で微笑んだ。
「……負けたわ」
声にしてみて、初めて自分の心が静かになった気がした。
負けを認めた瞬間、ようやく私は――自分の足で立てた気がした。
勝ち負けで測ってばかりの世界で、私はずっと走っていた。
完璧であることだけが、自分の価値だと思っていた。
でも、本当に愛される人は、そんな尺度じゃない。
誰かの隣に、自然にいることができる、そんな人なのだと。
あのふたりを見て、私はようやく知った。
「リシェルお嬢様、ドレスのご準備を」
「ええ、すぐ行くわ」
鏡の前で最後のルージュを引きながら、自分に問いかける。
私は、私にしかなれない。
でも、それでいい。これからは、誰かの影じゃなくて――自分自身の人生を歩いていく。
完璧でなくても、美しくなくても、
誰かのためじゃない、自分のために。
私は、あの夜会で負けた。
でも――私は、そこから始めるのだ。
静かに、誇り高く。
リシェル・サラズとして。




