春風、手を取り合って
春の庭園には、風にそよぐ花々の香りと、陽だまりの温もりが満ちていた。
この場所は、かつて誰にも会いたくなくて、逃げ込むように過ごしていた場所。
けれど今は違う。
隣には、強くて優しい、たった一人の味方がいる。
「よく咲いてるな、ここのチューリップ」
そう言いながら、レオンが花壇の前で立ち止まる。
「去年の春は、まだ蕾だったわね」
ミレイユは小さく笑う。
指先が、ふとレオンの手に触れた。
あの日の約束の続きのように。
「なあ、ミレイユ」
「……なに?」
「これからも、こうして毎年、花を見に来よう。……ずっと、一緒に」
それは、まっすぐで、不器用で、それでも、確かに未来を語る言葉だった。
ミレイユは迷わず、彼の手を取る。
「……うん。今度は私が、あなたの手を離さない」
彼女の笑顔に、レオンもふっと目を細めた。
「そうだな。俺も、二度と離す気はない」
手をつないだまま、ふたりは庭園の奥へと歩き出す。
柔らかな光が、彼らの足元に影を落とす。
そして、その先には――
「お姉様!」
リリィの元気な声が響いた。
「……リリィ」
妹のリリィが、花かごを持って駆けてくる。
その後ろからは、クラウゼ伯と夫人の姿も見える。
「レオン殿。今日はご足労いただき、感謝します」
「いえ。こちらこそ、急な申し入れにも関わらず……」
「なにをおっしゃる。あなたの真摯な想いを、我々は受け止めております。クラウゼ家は、あなたのような人物を、ミレイユの伴侶として迎えられることを誇りに思いますよ」
「――ありがとうございます」
そうして、庭園の中央で。
レオンは、正式にミレイユとの婚約を申し入れた。
周囲の花々が、祝福するように風に揺れる。
ミレイユはその光景を、胸いっぱいの幸福と共に見つめていた。
(もう、迷わない。私は……私の人生を、自分で選んだんだから)
彼女の瞳には、未来を見つめる強さが宿っていた。
数日後。王都では、ある一つの婚約が社交界に大きな話題を呼んでいた。
「クラウゼ伯爵令嬢と、ヴァルト騎士の縁談……あの婚約破棄から、こんな素敵な結末になるなんてね」
「しかも、あの騎士が選んだんでしょう? いや違うわ、選ばれたのね」
「まさかサラズ家があんな形で幕を下ろすとは……でも、見てて少しスッキリしたわ」
街の声は、確かに変わっていた。
過去の痛みは、もう彼女を縛らない。
いくつもの別れと涙を越えて、今、ようやくたどり着いた本当の幸せ。
それは誰かに与えられるものではなく、自分で選び、掴み取るものだった。
その日の夜。ミレイユは窓の外に視線を向けて、ふとレオンに問う。
「……レオン、これから先、もしまた困難があったら、どうする?」
「簡単だろ。二人で乗り越える」
「……一人じゃなくて?」
「当然。俺は、お前の隣にいるために生まれてきたんだと思ってるから」
照れもせずに言ってのけたレオンに、ミレイユは思わず吹き出す。
「……本当に、あなたって人は……」
でもその言葉には、愛しさがたっぷり詰まっていた。
「大好きよ、レオン」
「俺も。愛してる、ミレイユ」
満開の春が、ふたりの未来を彩っていた。
手を取り合い、彼らは歩き出す。
あの日と違う、新しい季節の始まりへ――