リシェルの罠、そして騎士の誓い
「これは――どういうつもりなのかしら?」
数日後。
社交界の中心地、王都の大広間にて開かれた茶会での一幕。
リシェル・サラズは、完璧に整えられた微笑を浮かべながら、ミレイユに向かって言葉を投げかけた。
「まさか、また表舞台に顔を出してくるなんて。驚いたわ。てっきり引きこもったまま、可憐に枯れていくものかと」
周囲の貴族令嬢たちが、ひそひそと笑いを漏らす。
ミレイユは、紅茶を口に運びながら――その言葉に、一切揺れなかった。
「心配してくださってありがとう、リシェル様。でも、私はもう過去に縛られることはありませんの」
「まあ、それはご立派なことで。けれど……」
リシェルがテーブル越しに身を乗り出し、声を潜めて言う。
「婚約者でもない騎士と親しくしすぎるのは、品位を問われるわ。特にあなたのような……立場の方にはね」
それは表面上の忠告を装った、明確な攻撃だった。
「ええ、お気遣い感謝します。ですが、彼は私の騎士です。命を預けられるほど、信頼しています」
「……へえ」
リシェルは微笑んだまま、紅茶を口に含んだ。
その目には、明らかな苛立ちが浮かんでいる。
(やっぱり――あの人、本気で私を潰すつもりね)
ミレイユは心の中でそう確信した。
社交の場で堂々と勝負を仕掛けてくる。
それは、リシェルが、表向きは完璧を演じながら、裏で相手を追い詰める手腕を持っている証拠だった。
その日の帰り道。
レオンと再び合流したミレイユは、ため息をついた。
「やっぱり……リシェルは、簡単には引かないわ」
「何かされたか?」
「言葉だけ。でも、周囲を味方につけて、じわじわと孤立させようとしているの」
レオンはしばし無言で歩き、やがて足を止めた。
「俺は、今すぐにも正式に縁談を申し込みたい」
「え……?」
「名目が曖昧なままだと、お前が余計な噂の的になる。それが、我慢ならない」
ミレイユの胸が高鳴る。
けれど、すぐに冷静さが追いつく。
「……でも、そうしたら、また騎士としての立場に傷がつくんじゃない? 私のために、あなたが不利になるのは――」
「それでも構わない」
レオンがぐっと手を握る。
「俺の誇りは、ミレイユを守ることだ。誰に何を言われようと、変わらない」
「レオン……」
「それに、俺は昔から、剣と盾でしかお前を守れないと思ってた。けど、今は違う」
「“夫”として、お前の隣に立ちたいと、心から思ってる」
ミレイユは、気づかないうちに目に涙を溜めていた。
こんなにも、真っ直ぐに想ってくれる人がいる。
あの頃の自分が抱えていた孤独は、もうどこにもない。
「……私も、そう思えるようになったわ。だから、ちゃんと――向き合いたい」
二人の手が、しっかりと重なる。
その夜、レオンはクラウゼ伯爵家に正式な訪問の申し入れを行い、縁談の話を持ちかけた。
そして翌日、リシェルは新たな一手を仕掛けてくる。
それは――騎士レオンに対する職務違反の告発という、予想を超えた攻撃だった。