2-05 僕が星を落とした日
民間軍事会社の元隊長だった僕は、国のテロリスト達を鎮圧し、ヒーローとして尊敬されていた。
今では過去の栄光も薄れ、妻との関係性も冷え切っていることに懊悩していた。
とある日に立ち寄ったバーで、武器商人を名乗る男からテロリストの残党達が次の計画を起こそうとしていることを聞かされる。
僕は過去の栄光を、妻との関係性を取り戻すため奮闘するが、その火種は国中へと拡がっていき、やがて国の転覆へと繋がる狂乱計画に発展していく
僕は街を見下ろしている。
肌を灼く熱風は建物の間を舐めるように広がっていき、高層ビルディングはバースデーケーキでいうところの蝋燭の役割を果たしている。熱によって起きた蜃気楼は地面を波立たせ、絶えず悲鳴が高台にいる僕のところまで聞こえてくる。
僕は想像した。
HAPPY BIRTHDAYと書かれた垂れ幕が天井から吊り下げられ、金の風船で部屋が飾り付けられているところを。空間コーディネーターの資格を持つ妻のヤシュカが、豪奢な料理を用意して夫の僕を迎えているところを。
ケーキを作ったの、とヤシュカが真っ赤に塗装したケーキを運んでくる。娘のアンネは用済みのクラッカーを手に、バースデーソングを歌ってくれている。舌ったらずながらも甘く響く声は、僕に空元気を取り戻させた。
僕はありがとう、と笑顔で言って、息を吸い込んだ。
「クルータシュ。首都は陥落した。俺達はとうとう国家転覆を成し遂げた」
渋く通りのいい声が、僕を現実へと連れ戻す。
僕は振り返り、こちらへ歩いてくるラガハが仰々しく礼をした。
ラガハはいつもと変わらない黒のシルクハットに、燕尾服のような黒スーツを着込んでいる。彼のシンボルとテーマは紳士的な悪だ。オペラグラスを常に身に付けた彼は、かつて世界を脅かす悪として恐れられていた。
しかし今、彼は新しいおもちゃを買い与えられた無邪気な子供のように、僕の肩を叩いて笑いかけている。
「やったぞ、お前はついに我々ですら成し遂げれなかったことをした。そう、国を踏破せしめたのだ。お前の無慈悲な施策、とことんテンプレートを無視した合理的な采配のおかげで」
ラガハは欄干に足をかけて身を乗り出し、わーはっはっはと高らかな笑い声をあげた。五十余年もの間、悪役として活動し続けた彼の念願が果たされたのだから無理はない。身を縮ませ、かと思えば跳ね上がり絶叫する。さながら興奮したラットのようだ。
僕の心は目の前の光景と違って、まるで凍えているかのようだった。悪魔によって欲望を叶えてもらった代償に、感情を吸い取られてしまったように。
そうだ、国への革命は僕にとっての目標、結果ではなかったはずだ。
いうなれば、クイズ大会で優勝した際に貰う副賞のようなものだ。僕はクイズ大会で勝ったという名誉が欲しい。おまけで付いてくる賞品は必要ない。
「ラガハ、僕は別に、国を手中に収めようなんて考えたことは、たったの一度たりともなかったんだよ」
「どういうことだ、クルータシュ? 素直に喜べばいい。まさか、かつてこの国のヒーローとして俺の組織を潰したことを思い出しているのか?」
夜になるはずだった都市部は燎原の火によって、明るく僕達を照らしている。うねるように街を飲み込む炎の渦は、まるで龍のようだ。僕はそれをまばたきもせずに眺めている。
昔、テレビで芸人が催眠術をかけられているのを見た。点火したジッポを近づけ、遠ざけてを繰り返す催眠術だ。
催眠術師は言っていた。炎によって深層心理に囁きかけ、暗示をかける。それは本人ですら忘れた事柄を引き出すことができるのだ、と。
僕は炎を見つめている。僕がしたこと、僕が為した罪の大きさを、この炎はまざまざと思いださせてくれる。
そして、とある逡巡をする。なぜこうなったのか。僕は確かに知っている。僕がこの国を落とした理由を、僕だけが知っている。
そうだ、僕と妻の関係は、結婚三年目にして離婚の危機を迎えていた。
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「僕は、かつてヒーローだった」
僕がまだ一般人だった頃、僕を取り巻く世界はテロリスト達に怯えていた。
その頃の世界情勢は大きな戦争があったり、僕の国では内戦の事後処理があったりと内輪でごたごたしていた時期だった。そんな理由もあって、国はゲリラ的に現れるテロリスト達に十分な兵力を割くことが出来なかった。
彼らの活動によって人死にが出るのは普通のことで、いくつかの街が無残な姿になっているところが度々報道された。人々は不安を覚え、希望や活力を求めていた。
そこで僕が選ばれた。
民衆に選ばれた正義の剣。マスメディアによって世間に喧伝され、不屈の象徴として立ち上がった存在。
それはテロリストに占拠された街を、僕が民間の軍事部隊の隊長として奪還せしめたからだ。どこから嗅ぎつけたのか、マスコミがそれを報道したことをきっかけとして。
僕はそうして部隊を率い続け、街を救い続け、役目を果たし終えた。つまりはテロリスト集団を壊滅させたのだ。
そして僕は妻と結婚した。妻との出会いは、そうした戦いの中で救い出したうちの一人だった。
そうして僕は知る。彼女が好きだったのは窮地から弱者を救い上げるヒーローであり、ただ忙しく働くだけの一般人ではなかったということを。
「ふうん、なるほど。ということは、おいおい、あんたまさかクルータシュ隊長かよ! 俺でもその名前は知ってる、顔ですらだ! どうも、昔ニュースでみたよりもおつかれのようだがね」
男の息は、ウォッカの匂いをさせている。彼の動体が止まっている瞬間は一つもない。絶えず手や目、体が左右に揺れ動いている。胸にまでかかるような長髪は後ろに縛られているが、艶のある髪のおかげでホームレスという印象は抱かなかった。
間接照明によって薄暗い店内はラジオが流れていて、また治安が悪化してるだの、テロリストの残党がいるだの、不穏なニュースを撒き散らしている。僕達の他にいる客は、不倫と思しき四十代の男性と赤々しいドレスを着た肉付きのいい女だけだ。
僕は手元のロックグラスを揺らしながら、一晩限りの友人に言う。
「言っただろ、僕はもうヒーローじゃない。もし僕がまだヒーローだったのなら、妻はまだ僕を愛しているし、こんなところで一人で飲んだくれてなんかないさ」
「荒れているねえ、クルータシュ隊長。俺はそういった夫婦のいざこざを解決するのが得意なんだ。一晩の友として一杯奢るさ。どうだ、ストレス発散として話してみなよ」
僕は断ろうとしたけれど、男がやけに真剣な眼でこちらを見ているのが気になった。
「俺の名前はパーカス。クライマ・パーカスだ。さあ、お前のそのいざこざのきっかけはなんだったか、教えてみな」
僕はその横柄な態度に辟易しながらも、続けた。
どうせ一晩の付き合いだ。早く帰ったところで、ヤシュカとの気まずい雰囲気に押しつぶされそうになるだけだとも。
私はウォッカを一杯頼み、
「きっかけなんて、特にないさ。ただ思い当たる節があるとすれば、それは僕が民間軍事会社を辞めて、普通のサラリーマンとして働き始めた頃からだったように思う」
そうだ、確かにあの時からヤシュカは僕に冷たくなっていった。
夜を共にすることも少なくなった。昔のあなたはキラキラと輝いていたわ、と言われて拒否された記憶も新しい。
きっかけなんて僕にもわからない。昔と同じく僕は妻のことを愛していた。
「男としての魅力がなくなったんじゃあないか?」
そんなバカな。体はまだ鍛えている。確かにそれを使う場面はなくなったかもしれないが。
「女は強い男を常に求めているものだ。口でどう取り繕うともな」
時代遅れだ、そんな考え方は、と僕は鼻で笑った。
「だが実際、現代では男の強さを見せる場所は限りなく無くなった。お前の嫁がお前のことを好きになったのも、窮地から救い出したからだろう?一目惚れした、と言ったはずだ」
そうだ。彼女は傷だらけの僕の体を見て、誇らしいと言ってくれた。私のヒーロー。遍く皆を救ってあげて、と。
「軽々とお姫様抱っこをしてやっただろう。ぎゅっと手を握りしめただろう。幸せそうに瞳を潤ませて、世界で一番あなたを愛している、なんて甘い言葉を吐かれたことは?」
僕は彼女が喜ぶよう、プレゼントを用意したり、好きだと言っていたアニメだって見ているんだ。それでも彼女はますます僕から遠のいていく。
僕の頭はふわふわと酩酊していて、自白剤を使われた捕虜の顔を思い出している。
パーカス、教えてくれ。一体僕はヨシュカに対して、何をしてあげればいいんだ?
「だが今ではどうだ?慣れない仕事に疲れた顔で帰り、嫁の顔色を窺いながら家庭でのひと時を過ごす、そんなお前のどこに男らしさがある?」
ハエが目の前に止まり、両足を擦らせている。
僕がアジアの小国での戦争に参戦した時、仲間のジョニーが言っていたことを思い出した。
「俺を好きだという女がいるとしたら、この裡に秘めた野性に惹かれるような、奇特な女なはずだ。だから俺は結婚出来ないのさ。家庭を持った以上はこんな仕事辞めなきゃならねえ。こんな危険な仕事、そう続けられるものでもないからな。だがそんな女は危険に赴く俺に惚れちまっている。どうしようもないのさ」
僕はパーカスに言う。一体どうすればいいんだ。ヤシュカが僕のことをまた愛してくれるためには、一体?
「簡単なことさ」
パーカスは笑って、言った。
俺は死の商人なんだ。テロの残党共とも繋がりがある。特別に、そいつらが次にテロを起こす場所を教えてやってもいい。
僕はヤシュカのことを思い浮かべた。
「お前がヒーローになればいいのさ」
後書き