2-02 戦国百魔絵巻ー修羅と羅刹
足利幕府の失墜後、混迷を極める戦国の世。人々を襲い食う化け物、『羅刹』も跳梁跋扈していた。
少女アカネは、羅刹を滅ぼす剣客『修羅』である。かつてアカネは家族を羅刹に食われた。父母を、姉を奪った羅刹を探し討つ。そして全ての羅刹を滅ぼす。それだけが、少女の生き甲斐であった。
『修羅』として生きるアカネは、テイという謎の女に出会う。テイはアカネの探す羅刹を知っていた。
「それは、羅刹王」
家族を羅刹王に奪われたと言うテイと共に、アカネは復讐の旅に出る。
羅刹王の正体もテイの真意も気づかぬまま。
草いきれ立ちこめる夏山を、アカネは疾走していた。脚絆の上からもわかる鍛え上げられた足は急坂をものともしない。年の頃十五という小娘であるが、化粧っ気は無く男のような総髪は馬の尾のようにゆれていた。腰に差した長刀を支え持つ手も、少女と思えぬ厚みである。かわいらしい顔立ちに似合わぬ、しなやかな戦士の体であった。
鬱蒼とした森の中、足音と共に、リーンリーンと音が鳴り響いていた。それは次第に大きくなっている。
「羅刹はこっちだな!」
アカネはちらりと刀に視線を向けて言った。音の主は長刀である。地味な拵えであったが、鞘の漆は幾重にも塗られており、業物にも見える。それが、鈴のような音を鳴らしていた。
音に導かれるまま草木をかきわけ斜面を滑り降り、大岩を飛び越えたところに、それらはいた。
一人の女が短刀をかまえ、異形と対峙していた。大の男の三倍もありそうな胴回りと長さを持つ、手足の無い異形である。肉塊が連なったような身とヤツメウナギのような口は、恐怖と嫌悪を同時に思わせる。頭と思われる場所に白い角が二つ生えていた。それが身をうねらせながら牙をむき、今にも女を襲いかからんとしているのである。
アカネは岩を蹴り跳び上がりながら刀を抜いて叫んだ。
「ご婦人! 助けに参った!」
「その刀! あんた修羅かえ!?」
女が叫び返す。
角の生えた異形を、羅刹と言う。悪鬼を従え人を食う、地より湧き生まれるおぞましい化け物。
羅刹を滅ぼすは修羅刀のみ。修羅刀の使い手を修羅と言う。
一閃、アカネは羅刹の首から胴にかけてを圧し斬った。ただ肉を断っただけではない。羅刹の魂を修羅刀は薙ぎ斬ったのである。返す刀で、そのまま胴を横薙ぎする。そこにも魂が一つ。羅刹は斬るだけでは死なぬ。修羅刀が魂を全て貪り食わぬ限り、滅すことできぬ。ゆえに、修羅のみが羅刹を倒す力を持っている。その場の羅刹を全て屠るまで、修羅刀は鳴き続ける。
りーん、という音が消える。どう、と倒れた羅刹から返り血を浴びたが、アカネは気にせず、女へ振り返った。
「お怪我ございませぬか、ご婦人。お一人で山を歩くとは不用心です。ご主人も心配しておられるでしょう」
年の頃、三十路前後であろうか。髪は二つに分け低い位置でまとめ結っている。正面から見れば、両耳の下に大きな団子が一つずつくっついているような変わった髪型である。それはともかく、女が不機嫌そうに口を開いた。
「あたしゃまだ独り身さあ。悪いねえ、年増で」
アカネは、顔をひきつらせたあと、平身低頭謝った。女は、まあいいさ、と苦笑する。
「いや助かったわ。都に近い山だあ、羅刹の『雛』が出るとは思わなかったのさ、足利様の世も終わりだねえ」
「あれを羅刹の雛とおわかりか。あなたは修羅では無いようですが」
長じた羅刹は人の姿に近い。が、生まれたばかりのものどもは肉塊のような形である。羅刹を怖れるものは多いが、その生態を知るものは少ない。
「あたしはテイ。羅刹でおまんま食ってる情報屋さ。命の礼だ、噂でもなんでも教えるよ」
時は戦乱と百鬼の世である。戦の情報を売る忍びもいれば、羅刹の情報を売る巫女もいる。
「私の名はアカネと申す。私は朱角の羅刹を探している。額の両端、均等に大きな朱色の角が二本ある、オスだ」
羅刹の角は色や形、生えている場所に個体差がある。アカネの問いにテイがいぶかしげな顔をした。
「いやに具体的だね。あれかい、大事な人の仇かい?」
アカネは、素直に頷いた。金を稼ぐために修羅をめざす者は多いが、仇討ちも少なくない。
「一族の仇、だ。みんな食い散らかされ、姉はさらわれた。きっともう……」
羅刹は人を陵辱し、食う。親たちの断末魔が響く中、姉はアカネをつづらの中に押し込めると、羅刹たちを引きつけるように庭へ飛び出した。オスの羅刹が姉を追いかけていく。姉の断末魔を聞きたくないと、幼いアカネは耳を塞いで身を縮めた。が、恐るべき悲鳴はついぞなかった。――姉の死体も無かった。
婚姻の日であった。婿入りした義兄に微笑む姉は、素朴だが美しい花嫁衣装を着ていた。羅刹が数体の悪鬼を引き連れ、襲ってくると、誰が想像できようか。食い散らかされた両親や義兄の惨い屍は今もアカネの脳裏にある。姉はさらわれ、陵辱の果てやはり食われたのであろう。
「額に二本、大きな朱角のオス。それは羅刹王かもしれんね」
「羅刹……王?」
アカネがさらに問おうとしたとき、テイが弾かれたように後ろを向いた。アカネも身を低くし、同じ方を向く。草深い藪の向こうに立ちこめるは、殺気である。
「なんだあ、俺の猟犬をよくも」
人相の悪い男どもが三人、抜き身の刀を手に持ち、枝をかきわけ現れた。
「おお、女じゃねえか。もしかしてその猟犬を殺したかあ? いけねえなあ、俺の財だ」
一際大柄な男が言った。色気の無いガキと年増だ、それなりに値がつくかあ、と他の者が口々に言う。
「ち。雛を飼い慣らしたつもりのおいはぎか。素人バカはあとを立たないねえ。あんた、かたづけてくんな」
テイが舌打ちして言った。アカネは苦笑し、男たちに向きなおる。
「これは獣ではなく、羅刹なんだ。いずれ人を食う。あなた方は知らなかったようだ。危なかったとこだ」
まぬけなことを言うアカネにテイが唖然とし、男どもは嘲笑した。
「なんだこの小娘、おつむがあれか」
「俺たちが世の中教えてやらんとなあ」
下卑た笑みを浮かべて近づく男たちにアカネは首をかしげた。羅刹の危険を知らない人なのだとさらに説明を重ねる。テイが業を煮やしたように怒鳴ってきた。
「あんたバカか! 悪党山賊だよお! あたしたちを犯して売る気さ、さっと殺しておくれよ!」
「人を殺すなんてとんでもない。きっと誤解があるのでしょう」
羅刹をためらいなく屠った修羅とは思えぬ言葉であった。おめでたいアカネの言葉にテイが睨み付けた。
「クソが」
低い唸るような声が聞こえたと同時に、アカネは何者かにみぞおちを殴られる。あまりの衝撃で息が詰まり倒れ込んだところに、頭を思いきり打たれ、昏倒した。
さて。
アカネを気絶させたテイは、鼻を鳴らし男達へ向いた。さっと己の帯を解いて衣を全て脱ぐ。思ったより崩れの無い裸に、男達が唾を飲んだ。
「なんだ。俺たちと楽しむのかい? 全部脱ぐたあ好き者じゃねえか」
「着たままじゃあ汚れるだろ? 男は好物でね」
下生えさえ隠さない、挑戦的なテイの笑みに、男達が舌なめずりをする。好色と嗜虐の入り交じる視線は、なかなかに醜悪である。それに怖じることも媚びる顔もせず、テイは髪を結っていた守り紐を解いた。規則的に編まれた組み紐が指をちりりと灼く。
広がった髪から現れたのは――まぎれもなく、角。襟足から生え、鉤状に曲がり、頬をかすめるように前へ突き出した鋭い二本の角は、薄紅色の輝きがあった。
テイの肩が盛り上がる。筋骨隆々と化した腕は大木のように太く長い。両手は人の背丈ほどの大きさにまでなる。艶めかしい女の裸体に鬼の腕である、醜怪としか言いようのない。修羅刀がリーンリーンとひときわ大きく鳴り響くが、肝心の修羅は気絶している。あまりの光景に悪漢どもは、ぎえっ、と潰れた悲鳴をあげ、逃げだした。
「好物だけど、食う暇、無いねえ!」
パン、と羅刹の手の平が勢いよく鳴り、男三人を蚊のように叩き潰した。ぶちゅっと血や肉塊が飛び散り、テイの肌を汚す。
「脱いでて良かったわ。べべが汚れると目立っちまう」
へ、と笑いながらテイはアカネを見下ろす。憎悪に彩られた目つきであった。
「あの女の妹だねえ、きっと。兄ぃを奪った、クソアマ」
立派な朱の角を持つ兄は、女を一人連れ帰った。その場で犯し食おうとした兄に、女はこう言ったのだ。
――私はあなた様に嫁ぐようなもの。あなた様だけのものになりたい。
住処で食べたくなった。そう言い訳をした兄は、結局犯すことも食うこともしなかった。女の媚態に一喜一憂し、あげくにそそのかされて妹であるこの己を殺そうとした。そして、女に言われるがまま羅刹の王を目指している。
「兄ぃを取り返す餌が飛び込んできやがった。あのクソアマとこの修羅、揃って食うのが楽しみさ」
テイは悪鬼そのものの笑みを浮かべ、封印用の組み紐で髪を結う。角を隠すとどのような作用なのか修羅刀の音は途絶えた。とりあえずは、体を洗わなければならなかった。
顔を拭かれ、アカネは目覚めた。痛みに顔をしかめながら起き上がる。場は藪の中ではなく河原だった。さらさらと流れる沢の音が涼しい。
「大丈夫かい。子供に酷いことしやがる、あいつら」
「え。あの……」
濡れた手ぬぐいを持つテイが心配そうに見てくる。
「おいはぎだからね。銭で追い払ったんだよ」
聞けば、銭を積んでお願いして見逃して貰ったらしい。アカネは、気絶した前後がいまいち思い出せなく
「申し訳ございませぬ」
と何度も謝った。仇はもちろん、全ての羅刹を殺し尽くすために自分は生きている。たまたま巻き込まれていたテイに迷惑をかけてしまったのだと落ち込んだ。どうやって気絶したアカネを沢まで運んだのか、などと思い浮かばないほどであった。
「いいんだよ。それより、あんたの仇を探す手伝いをしたいのさ」
「……え。良いのですか?」
純朴を通り越して鈍いアカネに、テイが微笑んだ。
「あたしも『羅刹王』に家族を奪われたのさ」