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2-23 猫に転生した麗しき貧乏令嬢は王太子の求愛に溺れる

 十八歳の誕生日に実父に裏切られ、闇組織に売り飛ばされたシャルロットは搬送される馬車から飛び降り短い人生に終止符を打つ。

 ところが死んだはずのシャルロットは猫の姿で目を覚ます。異世界の王太子フィリップの愛猫ミネットに転生していたのだ。その上、フィリップ王子から『猫吸い』をされたことで猫から人の姿に変身してしまった。完全な人間ではなく猫の耳と尻尾だけは残っている、所謂、獣人の姿であった。

 フィリップ王子は気味悪がると思いきや歓喜し、愛猫と結婚すると言い出した。実はフィリップ王子にはクロディーヌという婚約者がいるが、婚約破棄を望んでいる。その理由としても好都合だと言った。

 しかしミネットを処分しようと企んでいたクロディーヌに、人化した姿を目撃されバケモノだと騒ぎ立てられる。「バケモノは殺してしまえ」と癇癪を起こしたクロディーヌにシャルロットはピンチに立たされ……。

 馬車は不規則に揺れながら走っている。

 暗がりの中、悲しむという感情も持てず、シャルロット・セリスはただ呆然と座っていた。

 人も街も寝静まった深夜、馬とタイヤの走る音だけが耳に響いている。

 シャルロットは十八歳の誕生日に実父に裏切られた。

 闇組織に売り飛ばされたのだ。これからオークションに賭けられるとだけ、迎えに来た中年の男に吐き捨てるように言われた。

「こいつは支配人が喜ぶぜ」

 品定めをするように、シャルロットの頭の先から足の先まで舐めまわすように見る。

「見た目だけが取り柄のような娘です。まだ男を知らない生娘なんですよ」

 媚を売るように父が言うと、男がニヤリと気味の悪い笑みを浮かべた。

「そいつぁ、良いな。歳はいくつだ」

「十八になったばかりです」

「ほぅ、上玉じゃねぇか」

 男が嘲笑し、再びいやらしい視線をシャルロットに這わせる。


 全身がゾクリと粟立つ。

 母親に似たブロンズの長い艶髪、ターコイズブルーの眸、陶器のように白く滑らかな肌。誰もがその容姿にうっとりとした視線を向ける。両親自慢の娘……だったのは、幼き頃の話だ。

 母は平民の出身で、一目惚れをした父からの猛アタックの末結婚したのだと、よく惚気ていた。

 しかし母はパーティーに足繁く通うようになる。その度に新しいドレスを誂えた。多額の請求書が父の元に届くようになると、仲が良かった両親の仲には亀裂が入り、毎日喧嘩が勃発するようになった。

 それでも我が道を行く母に父が愛想を尽かせ離婚したのは、シャルロットが十四歳になった直ぐの頃だった。既にセリス家の家計は火の車。離婚後、父は死に物狂いで働いた。それでも神様は父の味方にはなってくれなかった。父はシャルロットの学費さえ払えないようになっていたのだ。

 どれだけ容姿が美しくとも、当時のシャルロットのあだ名は【貧乏令嬢】。悔しいがその通りだと聞き流していたシャルロットは、学校からの退学の通達に内心安堵した。これでもう、誰とも顔を合わさずに暮らせると思った。

 学校を辞めた後は父の仕事を手伝うつもりでいたが、父はそれをさせなかった。

 とにかく容姿の美しさだけは維持してくれと、それだけ繰り返し説得された。今にして思えば、あの頃からシャルロットを売ろうと企てていたのだ。


 簡素な作りの馬車は座り心地が悪く、揺れるたびにメリメリと軋む音が鳴る。いつ壊れてもおかしくないオンボロ馬車の中で、シャルロットは自分のこれまでの人生を振り返り、静かに涙を流した。

 屋敷を出る時の父の顔が脳裏に張り付いている。

「シャルロット、お前に大層な高値が付いた。誇りに思え」

 これで人生がやり直せると笑う。嬉しそうな父の表情を、数年ぶりに見たと思った。

 実の娘が高額で売れたのを心から喜ぶ父にかける言葉はなかった。

「お父様……お父様にとって、私は邪魔な存在だったのですね」

 そう口にしてしまえば、溢れる涙を止められなくなってしまった。

「それなら、なぜ私を……」

 生んだのですか———。

 最後まで言葉にならなかった、その質問の答えが返ってくることはない。

 シャルロットは死んだ方がマシだと呟く。そう呟いて、どうせこの先の人生も死んだも同然ならば最後の賭けに出てはどうかと考えた。

 それは、この馬車から飛び降りて逃げたいということだ。

 不幸中の幸いか、オンボロ馬車はいかんせんスピードが遅い。車輪が錆びれてスムーズに回らないようだ。これなら走行中に飛び降りたとて、怪我はしても死にはしないだろういう考えに至る。

 シャルロットは決意を固めた。馬車は大きな森に差し掛かろうとしている。運よく逃げられれば、あの森で夜が明けるまで身を潜められそうだ。

 ざわざわと心が落ち着かない。本当に上手く行くのか、緊張と不安で吐き気が込み上げる。今までこんな大胆な行動を取ったことはない。

 胸の前で手を組み、深呼吸をすると、馬車の扉に手をかけた。建て付けの悪い扉は簡単には開かない。体当たりを繰り返し、五度目にようやくガタンと大きな音と共に扉が外れ、シャルロットは外に飛ばされた。

「きゃあ!!」

 勢いが良すぎたようだ。馬車はバランスを崩し、ぐらりと大きく揺れた。

 地面で全身を強打したシャルロットは低く呻り、土道に転がる。

 その上から、大きな影がシャルロットを覆う。見上げると馬車が今にも倒れそうに傾いていた。

 逃げないと……そう思っても体が言うことをきかない。

 酷い痛みに全身が悲鳴をあげている。その真上から、状態を立て直せなかった馬車が崩れ落ちてきた。

 その場を離れることも出来ず、シャルロットは馬車の下敷きになる。オンボロ馬車は轟音を響かせながらシャルロットを巻き込んで全壊した。その勢いで折れた板が何箇所にも身体に突き刺さったっていた。

 やがて痙攣していたシャルロットの動きが止まる。

 瞳孔の散大した眸に映った満月が暗く濁った———。


♦︎♦︎♦︎

 

 冷え切った土道の上にいたはずのシャルロットだったが、次に意識を取り戻した時には温かい安らぎを覚えた。

 いや、考えてみれば意識が戻るということ自体変ではないか。あの時シャルロットは確かにこの世に別れを告げた。頭の中に響いていた脈拍が途切れていくのを、虚になりゆく意識の中で感じていた。それはオルゴールの音が消えゆく様によく似ていると思った。

 それまでの様子も鮮明に思い出せる。地面に叩きつけられた時に脚の骨が折れたことも、自分の真上から馬車が倒れてくる様子も、何もかも全て……。

 なのに、あの時の痛みは一切消えている。それどころか、何故だか幸せだと感じている自分がいる。

 ここは一体どこなのか、意識は戻っても眸を開くことができない。声を出そうにも呻るだけで何も喋れない。


 どこからか男の人の声が聞こえてくる。あの中年男ではない。もっと若くて優しい印象を与える。しかしこの声をシャルロットは知らない。

「……ット、ミネット……、意識が戻ったのかい? あぁ、どうか目を覚ましてくれ、私の大切なミネット……」

 その男性はミネットという人を想い、嘆いているようだ。

 シャルロットは少しガッカリしてしまった。この声が自分に向けられていると、どこかで期待してしまったのだ。そんなはずもないのに……。シャルロットは唯一の肉親から捨てられている。心配してくれる人など、いるはずはない。

 しかしこの男性はどうもシャルロットに話しかけているとしか思えない。

 ミネットという名前で呼んでいるのは、シャルロットとその女性を間違えているのだろうか。

『ん……』

 まだぼんやりとだが、どうにか少し視界に光が差し込む。シャルロットは誰かの膝で眠っていたようだ。心地よさは、この人の温もりだったというわけか……。

(って!! 私、誰の膝に横たわって……あぁ、もしやこれは悪夢の続き……)

 死んだと思ったのは勘違いで、本当はあの後オークションで競り落とされたのだろうか。

 それなのに、その人のもとですやすやと呑気に眠っていたというのか。

 焦るシャルロットを、その男性は自分の目線の高さまで抱き上げた。ふわりと体が宙に浮く。

「ミネット! 良かった。もう、助からないかと思った」

 その男性はシャルロットを涙目で見つめながら顔を綻ばせ、抱きしめた。

 やはり、この男性は誰かと勘違いをしている。

 それを伝えようにもまだ言葉は出せなかった。それにしても違和感がある。自分の体が随分小さくなったように感じるのだ。

 視界に映るこの部屋の何もかも、そしてこの男性も、シャルロットに比べて随分大きく感じる。

『みゃ……』

(っ!? 今、猫のような声を……え、もしかして……)

 ようやく視界と思考がクリアになったと同時に自分の手を見ると、それは毛並みの整ったシルバーグレーの動物の手だった。

(これは猫……ですわ。私、もしかして猫に生まれ変わったのかしら)

 試しにもう一度声を出してみる。『シャルロット・セリス』と自分の名前を言おうとした。

『みゃぁ』

(……やはり、そうなのですね。私は前世の記憶を持ったまま、猫になったのですね)

 信じがたいが、どう見てもシャルロットは猫以外の何者でもなく、「猫だ」と一言で説明すると全て辻褄が合ってしまう。

 すなわち、シャルロットは【ミネット】という猫で、この男性はミネットの飼い主というわけだ。意識を取り戻して、良くここまで現状を導き出せたものだと自分で感心してしまった。


 男性を見上げると、やはりミネットを慈しむ眸で見詰めている。

 シャルロットよりも少し年上のように感じる。落ち着きのある、穏やかなオーラを纏っているように感じた。

 この猫は愛されて育てられたのだろう。

 猫になったからか、こうして膝に座っているだけで心地良い。手を差し伸べられれば頬擦りしたくなる。首元を撫でられると、自然とゴロゴロと喉を鳴らしてしまう。

 きっとミネットもこの男性が好きなのだ。

 シャルロットは猫に対して羨ましいと思ってしまった。人間の時でさえ、幸せだと感じられたのは幼少期だけ。それも偽りの愛だった。

 この猫はシャルロットよりも、ずっとずっと幸せに暮らしてきたのだ。

 男性は名前をフィリップと言った。何よりも猫を愛しているのが伝わってくる。ミネットの頸に鼻先を擦り付け思い切り息を吸う。

(くすぐったいですわ)

 そう思った瞬間、シャルロットの視界がぐにゃりと歪み心臓が大きく爆ぜた。そしてフィリップと同じ視線の高さで見つめ合う。猫の手は視界から消え、人間の時と同じ視界に変わる。

「えっ?」

 フィリップと同じ表情で、互いの顔を凝視した。

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