2-22 モグリどもは迷宮にもぐる
魔王戦争時代の遺構、“強欲王の書架”。
かの恐るべき地下迷宮を攻略せんと、王子から奴隷まであらゆる命知らずが冒険者として生きて死んできた。
……というのは、ひと昔前の話。
危険なロマンと神秘に満ちた迷宮探索はいつしか、国認資格によって技能を保証された精鋭にのみ許される国家事業へと形を変えていた。
だが、いつの世にも諦めの悪い人間はいるものだ。
冒険者を志し故郷を捨ててきた少年、アルトもその類だった。
細かい話はいいから潜るぜ! 副業は闇医者! 資格だと? 初めて聞く単語だな。
これは色々足りてない、実力もない、必須資格は当然持ってないのに危険地帯へと足を踏み入れる底辺冒険者たちの物語である。
『司書』と呼ばれる異形の怪物、迷宮の防衛装置、必須資格をちゃんと持っているか確認してくるお役人、善意の市民による通報など様々な脅威と激戦を繰り広げ、彼らは今日も迷宮にもぐる。
「お前に冒険者の資格はない」
「精神論は好きじゃない。具体的に言ってくれ」
「『危険地域探索Ⅲ』『対無機物型魔獣戦闘技能二級』『初級魔道具鑑定』『武器取り扱い・療術・攻術、三項目基礎に加え上位資格2つ以上』をひとつも持っていないだろう」
「すごく具体的だ……」
──資格がないってそういう意味かよ。
夢見る少年アルトの冒険は、邪悪な魔獣ではなく善良な役場職員さんの手によって終わった。
踏破した迷宮の階層はゼロ。倒した魔獣はゼロ。
終わったというか、迷宮都市到着初日にして始まらなかったと評する方が正確か。
「資格……資格ってなんだ」
灰色の髪が、落胆に呼応してへにゃりと萎れる。
具体的な理由を、と求めはしたが『必須資格を所持していないから』というのは反則だ。
アルトの内心はそう愚痴を言っていた。
「お前みたいなみすぼらしい志望者はよく来るけどな、お呼びじゃないんだ」
「みすぼらしいって……冒険者ってそんなもんじゃないのか……?」
いくら全うな理由だろうと、納得がいかないものはいかない。
冒険者。それは、無謀で自由な人間たちを指す言葉のはずだ。
何故そんなものに国が定める資格が必要なのか。
決して世間様に誇れる立場ではない。
“ふらふら飛ぶ羽虫のように自由であれ、メシを盗むネズミのように狡猾であれ”という自嘲に溢れた標語からも、社会的地位の低さがわかるだろう。
生まれも育ちも関係なく、必要なのは危険に挑まんとする気概のみ。
不幸や不足で命を落とす者は数知れない。しかしその中からごく一部、栄光を掴み取る者が現れる。
刑罰奴隷から身を立てた英雄がいれば、初日で死ぬ王子もいる。
少なくとも、アルトがゴミ山で拾った本から知った冒険者とはそんな存在だった。
そしてこの都市は、彼らの最前線だと記されていた。
だからアルトは、幼馴染と共に貧しく荒れた故郷を捨てて旅に出たのだ。
どうせ次の朝を迎えられるかもわからない日々なら、賭けに出ようと思ったから。
「今時の冒険者ってのはな、新入り」
職員は哀れみを込めた声と共に、夢見る若者の肩を叩く。
それから、親指でふたつ隣の受付を指し示した。
アルトが目で追えば、正しくこの街の冒険者たちが探索の成果物を換金しているところだった。
複雑な文様が刻まれた卵のような物体。ぼんやりと発光している剣。
芸術品とも実用品ともつかない品々が職員に手渡され、その対価として金貨の山が引き渡される。
漏れ聞こえてきた2500ゴルトという額は、アルトの故郷なら家族が年単位で食いつなげる大金だ。
「は……? あれが……?」
だがアルトが反応したのは、金ではなくそれを手にしている冒険者たちの格好だった。
数人の集団は、小奇麗に整えられた身なりの者ばかり。
鎧や武器といった装備は、ほとんど新品同然に見える。
そもそも、迷宮ではなく社交パーティで見るようなよそ行きの礼服もいた。
そこに、アルトがイメージしていた姿なぞ存在しない。
命懸けの戦いを制した証である乱れた姿で報酬を受け取るのが冒険者のはずなのに。
「お国から雇われて十分に安全が確保できた階層で宝を探す、必須資格を取れた優等生にだけ許される仕事だ」
端っこの村に出回るような情報は、どうしても古いんだよなぁ。
そう続けられた職員のぼやきは、もうアルトの耳には入っていなかった。
※※※※※
迷宮都市エリナーの市街は、アルトの傷心に配慮などしてくれない。
夜もきらびやかな灯りが街中を照らし、歓声から怒声まであらゆる感情の喧噪が絶えず響いている。
ここが、冒険者の楽園と呼ばれた街。
魔王を名乗る超越者たちが争った大戦の名残、“強欲王の書架”と呼ばれる地下迷宮の生み出す富に惹かれた者たちにより築かれた都市である。
魔王の殆どが姿を消しても、彼らが拠点としていた地は健在だった。
各地より奪われた宝物、魔王による不可思議な創造物、といった財を無数の魔獣や防衛装置が守る危険地帯。
その殆どは僻地にあり、一般人が被害を被ることはない。無理に対処する必要は皆無だ。
だがそこに濃密なロマンと栄光の匂いを嗅ぎつけ、無謀な愚か者たちは未踏の領域へと足を踏み入れる。
「こんなの、冒険じゃない……」
貧しい農村で、少年の死んだ目に光を灯してくれたのはそんな物語だった。
なのに、現状はどうか。
誰でも命を賭け金として危険と神秘に挑めるのではなく、厳しい条件を満たした者だけが安全に稼ぐことを許される。
それが本当に、冒険者の在り方なのだろうか。冒険者は職業名ではなく、生き様ではないのか。
「迷宮作った魔王だって嫌がってるだろ! なあ魔王様!」
「自分ち荒らされるのはどんな理由でも嫌だと思うなぁ」
宿屋の一室にて荒れるアルトを正論で刺したのは、鈴を転がすような声だった。
「疲れてるならお薬飲む? 愛情いっぱいの昏倒剤だよ!」
「やめとく……」
魔王に同意を求めるような精神状態なら、寝た方がマシだというのは一理ある。
ただ、提案された手段が物騒だったので断った。
だよねぇ、とけらけら笑う声にアルトは気勢を削がれ、ため息をひとつ付く。
共に故郷を逃げ出してきた幼馴染は、こんな状況でもハイテンションだった。
希望が潰えた絶望的な経過報告を聞いた後とはとても思えない。
「……そっちはどうだったんだよ」
「なんと、大儲け~!」
直後、アルトはその理由の一端を知ることになった。
机の上に貨幣がばら撒かれる。
数日であれば、食費込みでここに滞在できる額である。
「やっぱボクって天才かもね! ささ、このスイちゃんを存分に讃えるがよいぞー!」
さあ褒めろと差し出された頭を押し返しながら、アルトは幼馴染の姿を上から下まで見る。
スイという名のこの腐れ縁は、客観的に見て人目を惹く容姿をしている。
服装こそ貧しい民のそれだが、水色の長髪と線の細い体型は柔らかで楚々とした印象を与え、顔立ちも可愛らしい。
「……何して稼いだんだ」
そんな幼馴染が、生活の基盤もない新天地の一日目でどうやって稼いだのか。
「もしかしてやらしい想像してたりする!? もぉ、アルトはほんとに~」
「それはない。早く教えてくれ」
考えてみたが、結論は出なかった。
諸々の事情を知らぬ者が予想すれば邪推しかねない状況だったが、それだけはあり得ないとアルトは知っていた。
「これだよ、これー。何回もお世話になってるクセに察し悪いんだからぁ」
「ん……? でも資格なんて持ってないだろ」
スイは手で弄んでいた薬瓶を指差す。
アルトの幼馴染は医療の心得がある。怪我の手当てから病気の治療まで、今までも随分と助けてもらっていた。
今ある情報から推測するなら、本来はこれが第一候補だろう。
しかし、この都市では医者を名乗るにも国認資格が必要だと職員から聞いた。
だからこそ、正攻法で稼ぐ方法は無いと考えていたのだが。
「うん、闇医者」
「げほっごほっ!?」
最終的な解答。そもそも正攻法ではない。
お気軽な雰囲気からの自白に、アルトは派手にむせ返る。
「お医者さんの資格って条件がきついらしくてねー。なる人が少ないしめっちゃお高いの。そこでこのボクが! お安く皆を診てあげたってコト! まさに聖女!」
「おまっ……自分が何やってんのか……」
「いいのいいの! アルトさえ良かったら、ボクが養うのも全然アリ! 人の金で資格の勉強がしたーい!」
「流石にそれは……」
本人は冗談めかしているが、スイは危ない橋を渡っている。
多くの人間を診ると、闇医者の噂は広まるだろう。
患者の中から小金欲しさに通報する恩知らずが出てくるかもしれない。
自分よりもずっと頭が回るスイがそれに思い至らないはずがない、とアルトにはわかっている。
「……冒険者、なりたいんでしょ?」
では何故と聞くまでもなく、理由は明確だった。
静かな問いかけに、アルトは声を詰まらせてしまう。
「ああ」
結局、少しの間を置いてアルトは神妙に頷いた。
昔から何故か尽くそうとしてくれる人に、己の望みを偽りたくなかった。
「よしきた! アルトどろどろヒモ計画、さっそく──」
「でも、必要な資格は取らない」
不穏に過ぎるワードは一旦横におきつつ、スイの言葉を遮る。
冒険者になりたい。でも、冒険者になる条件を満たすつもりはない。
傍から聞けば破綻している論理を、アルトは堂々と語る。
「俺の実力じゃ全部取ろうとしたら寿命来ちゃいそうだし、今の冒険者は気に入らない」
冒険者の在り方は、魔王戦争の混乱が落ち着いた近代において大きく変わってしまった。
人の命は一発逆転を求めて迷宮に投げ捨てる程安いものではなくなり、危険に満ちた探索は実力が保証された者だけに許される。
それは間違いなく人道的で、一応の平穏を得た今の世に相応しい在り方だ。
「……だったらどーするの?」
最初からわかりきった答えを催促しているような、期待に満ちた問いが向けられる。
アルトもまた、そう聞かれるとわかっていて回答を用意してある。
ただ、少し勇気がいる内容だった。
その後押しに、アルトは頭にとある一文を思い浮かべる。
羽虫のように自由であれ、ネズミのように狡猾であれ。
「モグリの冒険者として、迷宮に潜ってやる」
「いいね! めちゃくちゃだ!」
今となっては時代遅れな、ロマンを求める無謀者たちの標語通り。
少年たちは、にやりと笑った。





