2-14 神木町異常解決所
日本でも屈指の繁華街――神木町。
その一角に様々な異常現象に対応してくれる場所がある。
そんな変わった場所であるがゆえに来る客はろくでもない奴らばかり。
人を呪い殺して欲しいと願う風俗嬢、邪法で客寄せするホスト……。
無数の人の欲望が集まりそして金に替わるこの街には様々な異常も異形も怪異も吸い寄せられてくるかのように発生する。
所長の葛宮拓哉は今日もその能力と愛用の煙草ともに様々な案件を解決していく。
煙草が吸いてぇ。
事務所内に広がるこの重苦しい雰囲気と悪臭と声にそう思いながら俺は黙って座り続けていた。
テーブルの上には【解決屋 葛宮拓哉】と印刷された名刺が置かれている。これをもってきた以上眼の前にいるこの子は誰かに紹介されてここにきた客であり、門前払いではなくそれ相応の対応をしないといけない。
こういう時にいて欲しい身代わり役の助手のやつは、コーヒーを出したあと早々に休憩室へと逃げている。
「こいつを呪い殺してほしいの」
ユリと名乗った女性は画面の割れたスマホをこちらに向ける。
そこには茶髪のストレートヘアに大きめなイヤリングをつけた女性が写っている。少し映像がぶれているのはおそらくこっそりと撮ったからだろう。
「悪いんですが。うちではそういうのは扱ってないんです」
確かにここでは怪奇現象にまつわることを対応しているが、こちらからその手の行動をすることはない。
「「嘘つき」」
ユリの声が二重に聞こえると同時に事務所の温度が少し下がった気がした。心のなかで舌打ちする。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。嘘はだめだ。
「私聞いたんです。先輩から。ここでストーカーに呪いをかけてもらったって」
二度目の舌打ち。これで彼女を紹介した客が誰かわかった。以前ストーカーに追われて困っていると嘆いていた風俗嬢だ。確かにそれに近い方法を取ったがどうやら勘違いしたのか、話に尾ひれどころか背びれまで付いてしまっている。
「あれは縁切りです。私が呪い殺したわけじゃないですよ」
ここに嘘はない。実際にストーカーがその後事故死してたとしても、それは切れた縁を無理やり繋ごうとした結果であり、こちらから呪い殺そうとしたわけではない。
「ならそれでもいいです。私のキリトさんとこいつとの縁を切ってください」
「申し訳ありませんが。あれは緊急事態での対応でして」
「それならば私のも緊急事態です。だって金持ってるだけの薄汚い肥えた牝犬にキリトさんが奪われちゃうんですから」
三度目の舌打ち。もちろん心の中でやっているので聞こえないようにしている。話が通じない相手というのは実に厄介だ。
改めてユリの姿を見てみる。
薄めのメイクで仕立てられている顔立ちは良い方に見えるが、体は明らかに痩せすぎだ。その分までキリトとかいうやつに貢いでいると考えるべきだろう。そして画像の相手に奪われそうになっているための行動ということだろう。明らかに目が血走り息も乱れていて普通の思考状態ではない。
身体的特徴としては爪を短く切り揃えてるのが目についてわかりやすい。典型的な性風俗嬢の特徴だ。手首を隠しているのはおそらくリスカの痕を見せないためというところか。
典型的な堕ちた女と判断できる。この街では食い物にされる側の人間。
その一方で立ち振る舞いやたまに見せる丁寧な言葉遣いなどからは若さと育ちの良さも感じる。おそらく年齢は二十歳前後。風俗は兼業で本職としては田舎から出てきた大学生か専門学校生辺りではないかと予想をつけた。運が良ければやり直せるかもしれない。
無意識に観察と先の予想をしてしまうのはこの仕事での悪癖と言ってもいい。
だが、そうやって気を紛らわすのももう限界だった。
俺は無言で立ち上がって睨みつける。呆然としたユリがこちらを見つめる。気にせずに俺は一気に目に指を突っ込んだ。
「なぁ、俺がお前に気づいてないとでも思ったか?」
俺の指がどんどん中に食い込む。もちろん相手はユリではない。彼女の後ろでずっと俺に対して笑っていた女への行動だ。指から腐ったミンチ肉に突っ込むような不快な感覚が伝わってくるがそのままえぐり続ける。
「それとも、俺が手を出せないと思ってたのか?」
散々臭い息とふざけた大きな笑い声でおちょくられていたこともあってここでやめるつもりなんてなかった。俺の指が動く度、苦しそうな声を出し続ける。
「ついでだ。お前、この子から離れろよ」
軽く笑みを浮かべてやる。ここでちょっと隙を見せてやるのが交渉のこつだ。既に主導権はこちらにある。
「嫌だって言うなら。もっと痛い目にあうか?」
その言葉とともに指を抜くと、女は慌てるように姿が見えなくなった。ようやく不快な声と臭いの発生源が消えて俺は息を吐いた。
「あの……。何を……? されてたんですか?」
「ん? ああ、あんたの後ろに虫がいたんでな。退治したんだよ」
彼女には何が起きていたのかわからなかったのだろう。俺がそう返したところで、ユリが急に頭を下げえずき始めた。
やばいと思ったが時すでに遅く彼女が吐き始める。さっきの臭いとは違う酸っぱい吐瀉物らしい臭いが事務所内に満ちていく。
最悪だ。と心のなかで愚痴っても仕方ない。冷蔵庫から水が入ったペットボトルを取り出して彼女に渡してやる。
吐いたものに目を移すと、そこには黒くて長い髪の毛が混ざっているのが見えた。一瞬光ったようにみえた濁った固形物はおそらく爪だろう。歯が無かっただけましではあるが割と洒落になっていないやつだった。
「あ、ありがとうございます……」
そう言って彼女がペットボトルの水で口をゆすいでいる間にこちらは鞄の中をチェックさせてもらう。
まず目に入ったのは大学の学生証。名前は上坂祐里。大学生という予想はどうやら当たっていたらしい。だが目的のものはこれではない。別のを漁っている間に指が反応する。
「……ちょっと、何を」
「これ誰にもらった?」
鞄を漁っていた俺に気づいた祐里が止めようとするが遅い。俺が取り出したのはA5サイズの一枚の紙。何やら文字と絵のようなものが書かれているが内容を見る気にはならなかった。というより見てはいけないやつだ。
「それは大事なものなんです、返してください」
「いいか、あんたが今そうなったのはこれが原因だ」
取り返そうとしてきた祐里の腕が止まる。
「あんた、呪い殺して欲しいって言ったよな。皮肉だな。自分が先に呪い殺されそうになってたわけだ。もう一度聞くぞ。これは誰にもらった?」
祐里は俺の質問に答えないまま顔を背けた。俺は一度大きくため息を付いた。
「今なら、1万出せばこいつを買ってやる。それであんたにはもう何も起こらない。解決だ」
「な、何言って」
「嫌なら帰ってもいい。でも明日『やっぱり買ってください』って来たら10万だ。明後日なら100万。それ以降はいくら出しても買わない。俺はあんたのことを忘れて解決だ」
俺が伝える提案に祐里の肩が震える。もう少しだろう。最後のひと押しだ。
「1万で救ってやる。自分の命か、あんたから金と人生を搾取して命まで弄ぶクソ男か、好きな方を選べ」
その言葉に祐里が泣き崩れた。
俺がゲロとアレの臭いが混ざった事務所の空気を入れ替えようと窓を開けようとしているところで休憩室の扉がようやく開いた。
「終わった?」
そんな気軽な言葉とともに派手なピンクの髪に黒のメッシュを入れたセミロングヘアなメイド服の女の子が中に入ってくる。
俺の助手兼事務員を勤めている祭屋巫美だ。
「ああ、終わったよ。まずここ。客が吐いちまったから掃除頼む。いや、先にコーヒー淹れてくれ」
「えー……」
いきなり頼まれるゲロの掃除は流石に不満だったのか、巫美が露骨に嫌そうな顔をする。
「時給1800も払ってるんだ。それぐらいやれ」
「はーい……」
渋々と言った感じで答え、コーヒーメーカーへと向かう巫美。その態度に思わず愚痴がこぼれた。
「とっとと逃げやがって」
「いや、どう考えてもやばいじゃん! あんなの!」
まぁ確かに。と巫美の反論を聞きながら苦笑し、煙草を吹かす。
祐里に憑いていたのは悪質なやつで、あそこで祓っておかなければ彼女はもって数日というところだっただろう。
俺がアレに我慢できなかったのは置いておくにしても、あそこでうまく行ったのは向こうがこっちをなめていたからに過ぎない。普通なら逃げて一切関わらないというのが最適解だ。だがそれでは金にならない。危険にあえて突っ込むからこそ得られるものもあるというものだ。
本来であれば祐里から除霊料としてそれなりの金をせしめるべきだったが、今の彼女を絞っても大した額はでない。だから別ルートで稼がないといけない。それにあんなふざけたものを作った奴を野放しにしておくほうが後々面倒なことになる。
「ああ、掃除終わったらな。一件調べて欲しいことがある」
タバコを灰皿に押し付ける。そして巫美が淹れたコーヒーを一気に飲み干してからデスクに置いた札を手に取る。ザラリとした不快な感触が指に伝わる。
「『キリト』ってホストについて調べてほしい。住所、本名、それとバック。全部だ」
「はぁ? この街に何人ホストいると思ってんの!?」
「それに関してはヒントが有る。最近No.1になった、もしくはでかい売上出したやつだ」
「……わかった。これ終わったらすぐにやる。で、それ何? 絶対ろくでもないやつなのはわかるけれど」
巫美が俺の持った札を嫌そうに見つめる。いい勘だ。あのとき逃げたことも含め長生きできるタイプだろう。そう思いながら質問に答えてやる。
「客寄せだな」
札を丸めて灰皿に投げ入れる。まだ火が消えていなかった煙草によって札が徐々に燃え始めると一気に異様な悪臭が漂い始める。
「ただし、くそ性質の悪いやつだよ」
焼けた札から一瞬書いてるものが視界に入る。先程祓った奴によく似た顔に見える絵が焼き焦げながらこちらを睨んでいるように見えた。