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2-13 娘を後宮に迎えると言われましても、我が家に女子はおりません

中原を八つに割った戦乱の世が終わり、綜の王朝が立って六十年。

貴族で上級官人という名家に生まれた少年・趙微は、亡き妻を忘れられない父と服飾が道楽の継母によって、終始女装で育てられていた。

ある日家族で出かけた先の湯治場で、趙微は何者かに追われる涼やかな武官風の青年を湯殿にかくまう。


その後は何ごともなく過ぎるかと思われたが、突然趙家に宮城から勅使が訪れる。

太子の妃として、彼が見初めたという趙家の息女を後宮へ差し出せというのだ。だが、趙家には微をおいて他に子供はいなかった。

やがて判明する事実。あの青年こそ、先に即位した帝と共に市井で育った、「庶民上がりの太子」馮譚であるらしい。趙微はその母譲りの美貌と着替えに置かれた衣装のせいで、「趙家の息女」として認識されてしまったようなのだ。

勅命を断れば家の破滅。後宮で男とバレれば身の破滅――趙微はこの綱渡りを乗り切ることができるのか?

「……寒いよ、小青。なあ、僕また寝台に戻っちゃダメかい?」


「若様、もうちょっとだけ我慢しててくださいな。髪を結い直して着付けを済ませたら、火鉢を熾しますからね」


「いや、火鉢を先にしてよ……」


 暦の上では春といえ、立春を過ぎたばかり。下着一枚にひん剥かれて着替えをさせられるのは、なかなかに辛いものがあった。


「はい、とっても可愛くできましたよ。火鉢もすぐに」

 

 侍女の小青は火打ちを手にして、部屋の中央に据えられた火鉢のそばにかがみこんだ。

 小青は僕より二つ上の十五歳。五年前から住み込みで身の回りの世話をしてくれているが、身分は違えど僕とはほとんど姉妹のような(・・・・・・)間柄だ――ああ、いや。賢明なる諸君の疑問はごもっとも。 

 僕は数えで今年十三歳。名は趙微(ちょうび)字名(あざな)相如(しょうじょ)――れっきとした男なのだがいつも女物の衣服を着せられて過ごしている。

 元はと言えば一粒種の男子を悪神にさらわれないように、女の子の格好で育てるというよくある風習。普通ならもうとっくにそんな期間は過ぎているはずなのだが。

 

「お前は何だか、齢と共に麗杏に似て来るなあ」


 朝の食卓で、父は今日もしみじみと言った。僕を生んで間もなく亡くなった母を、父は今でも忘れられていない。

 都でも評判の美女だったそうだから、もう少し巡り合わせが違っていたら、間違いなく皇帝陛下の後宮に入って国母となったことだろう。

 だが無難な道を選んだ母は礼部尚書だった父に嫁いで一子を成し、身罷ってそれで現在がある。 

 この趙微は男ながらに母ゆずりの美貌を持て余し、後添えの第二夫人(ままはは)や侍女たちによって日々着せ替え人形のように扱われているというわけ。

 

「ええ、まことに日々美しくなること……相如に今日は何を着せようかと、私も楽しみで仕方がありません」


「うむむ。義母上(ははうえ)のお楽しみとあらば、まあ良いのですが――」


 第二夫人も別段悪い人ではない。ただ困ったことには富裕な商家の出自で服飾の楽しみに目がないうえに、僕の実母である斉氏――斉麗杏を、まあ何というか美の女神と崇め奉り、我が家に入るにあたっても「生きている斉三姐にもはや会えない」ことを何より無念としたという具合。

 

 肚を痛めて産んだ子でない分、道楽にも歯止めがかからない。たぶん、僕に買い与えられた女物衣装の数は、後宮の女性たちを別にすれば京師でも五指に数えられるのでは――

 

「私としては、そろそろ加冠したいところですが」


「ああ、そういえば来月の朔日(ついたち)には、京師でも指折りの仕立て師を手配してあります。服の採寸をしますから、ふらりと出かけたりせぬように」

 

「やったぁ! どちらの店ですかね?」


「いつものお店よ。慶安里の『白梅花帳』さん」


 店名を聞いて、盛り上がった期待感ががっくりと萎えしぼむ。

 

(くっそ! そこは京師でも深窓の令嬢を客にとあてこむ、極めつけの女物専門店だ……!)

 

 ――へくちゅん!


 一言くらいは文句を言ってやろうと思案したところで、急に義母が盛大なくしゃみをした。父が気遣うように義母の方を窺う。

 

「大丈夫かね、玉蘭や」


「まあ、私としたことが……どうも少し風邪気味のようですわ」


「そりゃあいかんな……?」


「『白梅』から人が来るまでには治したいところ……旦那さま、明月池まで湯治に参りませんか?」 

 

「湯上りは体が冷える。却ってよくないのではないかな」


「大丈夫ですわよ。気血の滞りが治ったところで暖衣して火鉢を使い、砂糖を入れた生姜湯でも飲めばこの程度の風邪は吹っ飛ぶというものです」


 思案気な父を、義母は軽やかに論破して了承を取り付けると、颯爽と食堂を出て出立の準備を始めた。どこが風邪気味なのかと可笑しくなる。


 さて我が(そう)国の京師「戴封(たいほう)」の近郊には、明月池(めいげつち)という名高い温泉があって、二百年以上前から湯殿や亭楼が辺り狭しと林立している。

 趙家でもここに(べっそう)を一つ買い取って確保してあるのだ。僕たち一家は何人かの使用人たちを伴い、名残雪のちらちらと舞い落ちる風流をも楽しみながら、半日ほどかけて現地へと赴いた。

  

 趙家の寮は周囲を梅林に囲まれていて、今の季節にはほころび始めた梅のはしりを見ることができる。厳冬をくぐり抜けた松柏の暗色に白い花が映えて何とも美しい。

 その梅林の中に、寮の主屋とは廊で連結されたやや開放的な造りの、露天式の湯殿があった

 

 荷解きを済ませてしばらく待つと寮の管理人がやってきて「湯の準備が整いました」と告げる。露払いという趣で、僕は小青に着替えを持たせ真っ先に湯殿に駆け込んだ。

 

 結った髪を解いて、湯の中にはらはらと漂わせる。普段あまり外気に触れない肌に、風が心地よい――とはいえ。


「っと、これじゃしばらく上がれないな……」


 普段なら夏場に来る場所だ。冬に入浴するにはいささか(ぬる)過ぎる。体の芯まで温まってからでなければ、更衣場へ戻るのは難しそうだ。

 

 湯船の中にいっそう深く、顎の先が隠れるくらいに体を沈める。そうしてしばらく風の音に耳を傾けていると、どこか遠くで、何やら物のぶつかる音と人の喚き声がした。


「え、何の騒動だろう……?」


 山賊でも出たのだろうか? 不穏な考えが頭に浮かぶ。まだ体が温まり切らないが、いつでも飛び出せるようにと身構えていると、小青が衣装の入った籠を持って来たらしい音。


 ――お召し物と浴巾、ここに置きますね。


「ああ、すまない。ついでに仲朔を呼んで侍らせておいてくれ」


 使用人の中でも屈強の一人だ。職分は庭師、本来旅先で用はないが、武術の心得があるので用心棒代わりに連れてきている。

 かしこまりました、と応えて小青は再び廊の奥へ引っ込んだ。そこへ俄かにがさがさと、草むらと枯れ枝を踏みしだく音――


 ――む、なんの建物かと思えば、これも湯殿か。


 若い男の声がして、黒い長衣の筒袖が植栽を掻き分け現れた。


「ひゃっ……!?」


 思わず情けない声が出てしまう。腕に続いて幅のあるたくましい肩が、次いで結髪の余りを肩から背中へと流した装いの、きりりと整った顔が現れた。


「だ、誰です!?」


 声変わりもまだ来ない甲高い声で、精一杯威儀をただして呼びかける。青年は僕を見て少し驚いた顔をしたが、何やら納得したようにうなずくと先ほどよりいくぶん優しい声音で応えた。


「すまんが名は名のれん。だが火急(いそぎ)の用事だ。通らせてもらうぞ……」


「ええ?」


 青年は湯殿を横切って反対側から出ようとする様子、だが、そちらの方角から複数の男が声を荒げるさまが聞こえてきた。


 ――まだ遠くまでは行っていないはずだ、探せ!


 ――見失ったとあらば、主公のご計略にも障りがあるぞ……!


「もしかして、追われてます……?」


「まあな」


 悪い人には見えなかった。僕は湯殿の中を一渡り見回して、通廊の入り口にある柱の陰を指さした。ちょうどさっきの衣装籠の置かれた場所だ。


「あそこなら、ちょっと植え込みから覗いたくらいでは分かりません。それに、官人の私邸に踏み込んだとあれば、相応の難儀があるくらいはあちらも弁えておりましょう。しばらく休まれては?」


「……そうさせてもらうか」 


 青年はその後しばらく座り込んで息を整えていたが、追っ手らしき声が聞こえなくなると、すっくと立って僕に何とも涼やかな笑みを向けた。


「助かった、またどこかで会えると良いが――ひとまずさらばだ。息災でな!」


 来たのとは反対側の植え込みをくぐって、あっという間に姿をくらます。僕はその後でようよう体をお湯の外へ引っ張り出した。

 籠の中の衣装を身に着け終わったあたりで仲朔がやってきて、僕は彼に守られて主屋へ戻った。



 湯治も無事に終わり、それから二カ月ほどが過ぎた初夏のころ。


 庭園に面した四阿で鶏肉と蓮の実の粥で朝食をしたためていると、門前に大勢の人の気配がする。

 銅鑼が三回、舌簫(ぜつしょう)が五回鳴らされたのを聞いて、たちまち我が趙家の邸内は騒然となった。これは古来の礼式にのっとった「三打五嘯」――すなわち、皇帝の名において派遣された勅使であることを示す合図だ。

 

 門前に整列した近衛の兵士たちが、緋毛氈を階の下まで敷き延ばす。正装した使者が馬を降りて毛氈の上をしずしずと歩き、既に拝跪して待っていた父の前で止まった。


 ――(さき)の礼部尚書、趙仁淑(・・・)どのに申し上げる!」


「この度は太子殿下が畏くも貴家のご息女を見初められ、妃として御所望である。速やかに準備を整え、入内の手続きを諸事宜しく行うべし。なお殿下のお計らいにより、侍女としてとくに忠実、利発なものを二名まで帯同することを許す、とのことである。謹んで拝命なされよ」


 朱漆の状箱が恭しく捧げ持って渡され、父はまた三叩頭してそれを押し頂いた。

 兵士たちは再び隊伍を組みなおし、踵を返して去っていく。父は呆然としていたが、やがて俄かに正気を取り戻すと、感極まった様子でつぶやいた。


「なんと晴れがましい事か……我が家から太子妃を出す日が来るとは」


 僕は父のずっと後ろで家人一同と共に拝跪していたが、立ち上がって父に歩み寄り、そっと耳打ちした。


「父上。お喜びのところ大変申し訳ないのですが……我が家には、帝室に差し出すような女子など(・・・・)居りませんが――」

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