2-12 僕の『スタンド・バイ・ミー』
小学六年生の琉星は、最後の夏休み、初めて家出をし、車に轢かれて死んだ。
──はずだった。
狐の神様・朱華の気まぐれで、時間が5日前に戻され、琉星は死なずに済むが、琉星に憑いていた死神の美少女・シマも一緒に時間が戻され、話がややこしいことに……
なぜなら、シマは絶対に琉星を死なせたい!
魂運びのノルマの達成に、琉星の魂が必要だからだ。仮に琉星が死ななければ、5日目の日付が変わる瞬間、シマの存在が消滅する。
しかし、琉星は絶対に死にたくない!
大好きな祖母と、一緒に暮らす約束をしたから──
琉星は戻された5日間を過ごすなかで、両親と姉、親友・ジンくん、幼馴染・タイセー、そして何より、死神・シマとの距離がからまっていく。
からまる理由は簡単だ。
知っている誰かに、背中を押され、琉星は死んだのだ。
果たして、シマが消滅せず、琉星が生き残る未来は見つかるのか──?
つまずくように踏み出した両足は、すでに大通りの車道に立っていて、右を向けば車のヘッドライトがギラギラと視界を満たしてくる。
僕は思わず、目を伏せ、左を向いた。
「──姉ちゃん、スタンド・バイ・ミーって知ってる?」
なんでこんなこと思い出すんだろ。
これは去年の夏休みだ。
僕が小5のときの、どっかの暑い日。
「スタンド・バイ・ミー? あー、死体探しに行く映画でしょ?」
姉は床に寝転がってカップアイスを食べていた。
陸上部のため、日に焼けた長い手足がポッキーみたい。
姉は中2になり、名門私立でもあるからか、部活と勉強の両立が大変そうに見える。
部活が休みの今日は、昼ごはんのあとでもテーブルに参考書と教科書が開きっぱなしになったままだ。
「琉星、今日の挑戦状、もうすぐできるから待ってなさいよ」
挑戦状とは、小3から今も続いてる姉からのテストのこと。全問正解できなければ、お小遣いから100円を渡すペナルティがある。このときは余裕で、正解が当たり前だった。今は難易度が上がって、毎月500円ほど。
現在、僕の死活問題になっている。
姉は何か思い出したのかスプーンで円を描きながら、起き上がる。
「あれ、かなり古い映画だよね。あたしたちが生まれるずぅーっと前だよ」
「姉ちゃん見たことある?」
「知ってるだけ」
「へぇ」
僕がそっけなく答えると、姉はスプーンを僕に向けた。
「スタンド・バイ・ミー、どこで聞いた?」
「担任。夏休みの前に『スタンド・バイ・ミーみたいな夏休みにしろ』って言ってて」
「なにそれ」
僕も同じ気持ちだ。全く意味がわからない。
姉は最後のひと口を頬張り、パッと笑顔を咲かせた。
「ならさ、スタンド・バイ・ミー、見てみよ? もうお母さんいないし」
「今日、お父さん、大事な話があるっていってなかった?」
「あー……」
姉の顔が無になった。
出て行った母が、姉の全国模試の結果が全国3位であることを讃え、陸上大会の新記録を讃え、学校の弁論大会で最優秀を讃えたときと同じ顔だ。
「再婚するんだって」
サラッと言った言葉に、僕の息が詰まる。
まだ、一年も経ってないのに?
「うそだ」
「本当」
「なんで姉ちゃんが知ってんのさ」
「父さんが、琉星にはサプライズがいいって」
頭が真っ白になる。
自分のいないところで、そんな話になってたなんて……
「ちょっと、琉星、琉星っ?」
この日から、姉とうまく話ができていない。
家に帰って、すぐに部屋に閉じこもるようになったのも、この頃からだと思う。
二階の部屋にこもって少ししてから、ドアが優しくノックされた。
『ごめんって。父さんには、話してって言ったんだよ?』
ドア越しの姉の声は、無理に明るい。
でも秘密にされていたことが許せなくて、僕はドアを開けられなかった。
じっとドアを睨んで立っていると、ドア下の隙間から、紙がすべって入ってくる。
『挑戦状、できたよ。解いてみて』
直接うけとれなかった自分がイヤだし、でも許せないし。
僕はイライラした気持ちを、姉を見返す気持ちに切り替え、問題を解くことにした。
けれど、今回はかなり難しい。
ちゃんと例題や公式の使い方など書いてあるのに、それを使ってもうまく解けない難問だ。
「もー……ハラタツ!」
リビングが騒がしくなる。
階段を伝うように、父の浮かれた声が上がってきた。
「光瑠、琉星、ちょっとおいでー」
僕は服越しに胃を握りながら部屋を出ると、姉は待っていたのか、僕の後ろについて肩を叩く。
「……ちゃんとしな」
母がいなくなってから言われている『ちゃんとしな』に、またイライラしながら階段を降りていくと、
「──初めまして、さやかです」
父よりずっと若い女性が立っていた。
背が高く、細身のロングヘアで、母とは真逆の人だった。
さやかさんの表情もやわらかくて、ここも真逆だ。
だけど、作り笑いだ。
あの母の目とそっくりだから。
僕のことを親戚とかに話さなきゃいけないときの、あの目、あの顔、あの声──
胸の辺りが苦しくなる。胃を握って我慢する。
「琉星、ほら、新しいお母さんにご挨拶」
父の声に無理やり顔を上げたけれど、目を見れないまま、僕は挨拶した。
「……は、はじめまして」
僕の反応に、父は「もっと喜べよぉ。恥ずかしいの?」なんて茶化してくるけど、僕はうまく笑えない。
並んでいた姉が少しだけ前に出て、頭をぺこりと下げた。
「光瑠です。あたしのことはかまわないでください」
なめらかに出てきたフレーズに、僕は少し羨ましいと思ってしまった。
視線を合わせてきた姉だけど、僕はあえて目を伏せると、姉はため息をつきながら自室に戻っていく。
父は姉の行動に大げさに肩をすくめて、さやかさんに笑った。
「光瑠は思春期みたいで。でも君ならわかるんじゃない?」
八の字眉の笑顔で、さやかさんが僕に顔を向けた瞬間、僕は視線を床に落とし、足のつま先を重ねた。
「あの、僕も、宿題あるから部屋に戻る」
「琉星はがんばんないとな」
父も姉が自慢だ。
階段を上がる背中越しに、
「話したけど、光瑠はすっごく優秀でさ、でも琉星は誰に似たのかあんまりで」
母に似てるって言いたいみたい。
母は、父に似たんだって言ってたけど。
「……がんばってるんだけどな」
入った部屋のドアにもたれて、僕はつぶやいていた。
父のがんばれって、いつもイヤだなって思って。
でも、何がどうイヤなのかわからなくて、お腹がいつもモヤモヤする。
──だから今日、家出をしたんだ。
ようやく自由になれるのに……!
生きたい。
……まだ、死にたくない!
絶対に、大好きなお婆ちゃん家まで行くんだ!
だから、家出を成功させないとっ!
僕の気持ちとは裏腹に、大きな衝撃が僕の頭を激しく揺らした。
鼻の中がツンと痛んで、全身が脱力していく。
……あれが走馬灯?
なら、もっと楽しい思い出がよかったな……
もう、光が、消えて……────
「──起きろ、童」
ハスキーな男の人の声だ。
何度か呼ばれ、そのあと僕の肩が大きく揺らされた。
慌てて目を開けると、キレイなお兄さんが僕を覗き込んでいる。
「え、あ、すいませ……」
だけど、さっきの光景とまるでちがう。
大通りにいたはずなのに、ここはモミジ公園の外れだ。
しかも、時刻は夕方。
さっきは夜だったのに……?
「大丈夫じゃな、童」
笑顔で頭をなでてくるお兄さんは、銀色の着物に朱色の長髪を布の紐でまとめていて、とても古風だ。
さらに、違和感が二つ。
頭にふわふわの尖った白い耳と、腰あたりからふっくらした白い尻尾が揺れている。
僕は察した。
これはMeTubeでみた、臨死体験というやつなのでは……
なら、早くしないと、本体の僕が死んじゃう……!
「あの、ここ、死ぬ手前のところですよね? どうしたら生き返れますかっ」
「ここは現実じゃよ?」
笑顔で言い切られた。
納得いかない僕をよそに、遠くから誰かを探す声が聞こえてくる。
振り向くと、少女が僕を見て、がっつり指をさす。
「みつけたーー!」
近づいてきた少女は僕と同い年ぐらい。僕でも知っている黒いゴスロリ服を着ていて、白黒のしましま靴下、袖は着物みたいに長い。
でも彼女の足は地面から浮いているように見える……
なにこれ。
長い黒髪に似合った吊り目の美少女は、僕の目の前でびたりと止まると、
『なんで死んでないのよ!』
さらに、ポケットから懐中時計を取り出し、悲鳴のように叫びだす。
『5日も戻ってる! また死ぬまで待たなきゃなんないの!?』
彼女は空中で地団駄を踏みながら、お兄さんをギリッと睨んだ。
『あんた、狐の神様よね! こんな勝手なことしていいわけ!?』
「小娘や、魂運びのお主より、わしの方が格上じゃぞ? それに、朱華という名もある」
『私だって小娘じゃない。シマだし!』
二人の会話を聞き、僕の中で導きだされた答えが、ポロリと口から転がった。
「僕は今、生きてて、5日後に、死ぬ……?」
『そうよ!』
「そうじゃな」
僕は即座に否定した。
「死にたくないしっ」
『無理』
シマという彼女は、腕を組んで僕を蔑むように見下ろしてくる。
『死んでくれなきゃ、あたし、5日後の夜中の12時に消滅しちゃうし』
「しょう、めつ?」
『ノルマ不達成で、かわいいあたしの魂が消えて無くなるってこと!』
「そんなの知らないよぉ」
僕は立ち上がり、リュックに入れていたスマホを立ち上げた。
本当に5日前だ……
僕は混乱しつつも、朱華さんに会釈をし、とりあえず家に帰ることに決めた。家出にはまだ早い。
なぜかシマちゃんがぷかぷかと僕についてきて、ニヤニヤと顔を覗き込んでくる。
『あんた、一回死んだから、あたしのこと見えるんだ。便利ー』
「なんだよ、それ」
『ねえねえ、なんで死んだか覚えてる?』
「……そんなの、車でしょ?」
彼女は笑った。
僕をバカにした母と同じように、キャハハと笑う。
『……知ってる人に、……こう、ね』
彼女にそっと背中を押される。
僕の足がよろよろと前に進んで、ぴたりと止まった。
僕は布越しに胃を握る。
僕の家出を知ってるのは、姉と、親友のジンくん、幼馴染のタイセーだけだぞ──?