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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死因、愛

作者: 絵室 ユウキ

 その時、私は何故かふと思った。

 医師が患者にする余命宣告と、裁判長が殺人犯にする死刑宣告は、よく似ていると。


 死刑というのは、罪を償うためのものである。それが全ての償いになるのかということはまた別であるが。

 余命を、あとどれだけ生きられるのかを告げられるということは、死刑宣告と何ら変わらない。罪はないとしても、何らかの業によってなされているのかもしれない。

 いつ訪れるのか分からない死を、ただ待ち続ける者と、確実に定められた死刑執行の日を待ち続ける者。両者にのしかかる精神的負担はどちらの方が大きいのだろう。




 亮太は余りにも突然に、私の余命を宣告した。あと一ヶ月だ、と。それがつまり、私に残された時間。私は死刑宣告をされたのだ。

 死ぬのは、怖くはなかった。何故かすんなり受け入れられた。不思議なほどに。自分でも分かっていたからだろうか。

 亮太に殺される、ということを、私は、いつから――。




「駄目なんだ」

「何が? どうしたの?」

「誰かを愛してしまうと、俺は駄目になるんだ」

「……どういうこと?」

「本能が、抑えられなくなる」

「いいじゃない、別に。普通でしょ、そんなの」

「違う。お前が思ってるような本能じゃない。もっと、汚くて、恐ろしいものなんだ」

「何なの?」

「……全てを、手に入れなきゃ気が済まなくなるんだ」

「だから、そんなの普通のことじゃ」

「違う」

「……」

「……お前の命まで、俺のものにしたくなるんだ……」


 亮太の中に隠されていた、本当の欲望を知った時だった。

 その時も何故か、怖くはなかった。ただ、私は心に衝撃を受けた。

 あぁ、この人はこんなにも私を愛していて、私もこの人のことを、こんなにも愛しているんだと。ただ、そう思った。ひたすらに、彼が愛しかった。


 夜毎繰り返される私達の性交は、普通じゃなかった。

 互いを貪り合い、傷付け合い、殺し合う。互いの全てを手に入れることに没頭していた。

 亮太の背中に爪を立て、筋肉質な二の腕や肩に噛み付き、指を噛み千切ろうとする。

 私の痕を、彼に残したくて。一生、私を忘れられないように、彼の体に私を刻み付けたかったのだ。

 今では、彼の身体のあちこちに私が刻み込まれている。

 そんな私と、多少その手段に差はあったものの、亮太も考えていることは同じだった。

 私の上に跨がり、身体中に噛み付いてくる。狂気に満ちた瞳で私を見つめ、狂喜して私をいたぶる姿は、ようやく仕留めた獲物の腸を貪る狼のようだった。

 くっきりと歯形が残る程、強い力で噛み付く。

 亮太によって与えられる痛みと悦びで、私は叫び声をあげながら、幾度となく絶頂へ登り詰めた。

 絶頂を迎えようとしている私の、空気を切り裂くような叫び声を聞きながら、亮太はいつもうわ言のように私の耳元で繰り返し呟くのだった。「お前の全てを俺にくれ」と。


 殊に、亮太が胸の内に宿していた欲望を私に打ち明けてからは、歪んでいるとも言える彼の愛情表現はよりダイレクトなものになった。

 意識が途切れ、朦朧とするまで彼にいたぶられた。


 亮太はベッドの上で私に馬乗りになり、執拗に私の首を締め付ける。

 首の骨が軋んでいるのが分かる。

 肺に溜め込まれた空気が行き場を無くして、私の中でもがく。

 亮太の目に宿った餓えた狼が、私を凌辱する。

 ふっと、私の気道が強い力から解放される。

 締め付けられていた反動で、私の肺は一気に空気を取り込もうとする。

 しかし、それは亮太によって阻止される。私の全ては、亮太に支配されているのだ。私の呼吸さえも、彼は意のままに操ってしまう。

 何もかも、彼に委ねられている。私の全てが彼のものであると、私は実感する。

 その悦びは、何物にも変えがたいものだ。

 苦しみと悦びの狭間で、私は空気を求めて不様に喘ぎながら、固く瞼を閉じる。目尻から、すっと泪が溢れ落ちた。

 そして、私は悦びに堕ちていく。奈落へ、堕ちていく。


 私は、堕ちてしまった。

 私はもう、亮太から逃れることが出来ない。


 亮太も、私を支配する悦びに悶えているのだ。

 人間の欲は果てしない。もっと、もっとと、その悦びを何処までも追い続けるのだ。

 追い続けた先にあるのは、終焉のみだと分かりながらも、その何物にも変えがたい悦びを追い求めてしまう。

 それが、決して許されないことであると分かっていても、自制することは出来ない。

 欲望は果てしないから。




 あと一ヶ月もすれば、本当に欲望を抑えることが出来なくなってしまうと、亮太は悟ったのだ。

 私の全てを手に入れたいという欲望が、止まらなくなっている。私はそれを理解出来た。

 もはや、私から離れるということも、彼には出来ない。今、彼を支配しているのは、私の全てを手に入れるという欲望だけだ。私の命さえも己の手中に収めてしまいたいということだけ。

 彼は今、その欲望を叶えるためだけに生きている。

 それが、彼の生きる意味ならば。私が亮太に与えられるものは、たった一つしかない。私の全てを彼が支配してくれるなら、私は幸せだ。さらに、それで彼が幸せならば――。




 私は亮太に殺される。

 それは、死刑なのだろうか。

 だとしたら、私が犯した罪は、一体何なのだろう。

 彼を、愛したことだろうか。

 それとも、彼に全てを捧げたいと思いながらも、心の奥底で疼く本能に生きたいと叫ばせてしまったこと? 本能を黙らせておくことが出来なかった。私の亮太への愛は、その程度でしかなかったのか。だから、私は殺されてしまうのか。

 私は、罪を犯したのだろうか――。




 愛を貪り合った後の、裸になった私の上に亮太が跨がっている。

 その重みが心地よい。私と彼が、生きているという証。

 上半身裸の彼の手には、玩具のコードが握られている。あぁ、それで私の首を絞めるのか。

「待って」

 私は咄嗟に彼に告げた。

「そんなもの使わないで。亮太の手で殺されたい」

 そして、私が事切れる瞬間の感触を生涯忘れず、その手に残していて欲しい。それで私は、私自信を永遠にあなたに刻み付けられる。

 私がそう言うと、亮太は玩具を放り投げてそっと私の頬に手を伸ばした。

「愛してるよ、香澄」

 亮太はそう言って、私に微笑みかけた。恐ろしい程、穏やかで柔らかい、優しい微笑みだった。けれど、その目には私の命を狙う血に餓えた狼が潜んでいた。

 何度も愛してると、彼は呟く。

 亮太の手が私の首筋を撫でる。明らかに彼は興奮しているはずなのに、その手は妙にひんやりとしていた。まるで、死人のように。

 彼は、うっとりしたようにため息をついて、小さく呟いた。

「あぁ、温かい……」

 ずん、と私の首筋に体重かかる。

 その瞬間、ベッドが軋む音がやけに耳についた。

 亮太の愛を、私は一心に受け止める。

 そして、この瞬間のことを更に彼に刻み付けるため、私は彼の手に爪を立てた。

 私の爪が彼の皮を剥いでいく。その感触が、脳内に甘い香りとなって広がっていくようだ。

 ――あぁ、凄い。今までで一番キモチイイ。

 その痛みに感応したかのように、彼の手に更に力が込められる。私の体がその反動で跳ね上がり、また、ベッドが軋んだ。

 息が出来ない。体が酸素を求めている。声さえも出せない。

 陸にあげられた鯉のように、身体をばたつかせて、口をパクパクと動かすことしか出来ない。今の私の姿は、どんなに不様で可愛らしいだろう。


 苦しい。気持ちいい。嬉しい。嫌だ。愛してる。愛されてる。嬉しい。苦しい。嫌だ。死にたくない。生キテイタイ。もっと。モット。愛サレタイ。モット。




 愛してると呟く彼の声は、震えていた。

 ごめんと呟く声は、もっと震えていた。




 私は、私と亮太をベッドの傍らから見つめていた。

 気が付くと、いつの間にか私はただそこに佇んでいた。

 あぁ、本当に私は、彼に殺されてしまったのか。

 今の私は所謂、幽霊というものなのか。

 死んだ瞬間に、天国に逝くわけではないのか。けれど、私はきっと天国に逝けるような人間ではない。

 死んだ瞬間に天国か地獄かのどちらかに逝くとして、地獄に堕ちるであろう私が今いるこの場所こそが、地獄なのだろうか。


 亮太は泣くこともせずに、ただ私の死体の上に股がり続けていた。

 呆然と、私の醜く歪んだ死に顔を見つめている。

 私の首には、くっきりと亮太の手形が残っていた。紅い蝶が、私の首で羽を広げているようだ。

 亮太は、私の全てを手に入れることが出来た。彼は今、その悦びを噛み締めているのだろうか。

 全てを支配したものと、支配された者の姿。何て、官能的で美しい構図だろう。




 彼は、死体になった私以上に死を体現していた。

 死んでしまった者は、ただの物でしかなくなる。しかし、生の下での死は本物の死よりも、そのコントラスト故に美しく映え、私の心を震わせた。

 横たわる私に背を向けてベッドの脇に腰かけた彼は、何時間も、何時間も項垂れていた。

 そんな彼を、私はただ見つめていた。彼の目に、この私の姿は映るのだろうか。何故か、見えなければいいと思う。

 突然、彼が立ち上がった。死人と化した彼の動作には、音は伴わないようだ。ぬるりとした、不気味なまでに滑らかな動きだった。

 本当に死んだのは私だったのだろうか。私が、彼を殺してしまったんじゃないかと、思わず疑ってしまう程、亮太は上手に死を纏っていた。


 立ち上がった彼が向かったのは、クローゼットだった。整理のされていない、乱雑なクローゼットの中から、ゆっくりとした動作で亮太は何かを取り出した。

 私からは彼の背中しか見えなかったが、何故か分かった。稲妻のような速さと鋭さで、咄嗟に頭に浮かんだのだ。彼が何を手にしているのかが。

 ――鉈だ。

 そしてそれに気付いたと同時に、何故彼がそんなものを手にしたのかも分かった。

 私の体が、いや、体はないのだ。震えているのは、心だ。

 ――戦慄が、走る。


 鉈を手にした亮太が、私の身体を見下ろしている。

 私の身体には既に血の気がなく、青白いというか、黄土色というか、とにかく人間らしからぬ色に染まっていた。自分自身の体とは言え、気持ち悪い。

 亮太は、私をベッドから床へと下ろした。

 死後硬直がかなり進んでいるらしく、亮太に抱きかかえられた私の身体は、異様な体勢になっていた。

 凍り付けになっているかのように、手足はピンと伸びきっている。壊れたからくり人形のようだ。

 私をフローリングの上に横たえると、亮太はその脇に膝をついた。


 どうしてだろう。目を逸らすことは出来なかった。その様を見届けたいと思った。

 ――ガリ、という音がした。

 勢い良く振り下ろされた鉈が、肉を断ち切り、骨を打った音だ。

 私の首に食い込んだ鉈の刃が一旦引き抜かれる。窓から注ぐ月の光に反射して、ルビーのように赤く輝いている。何とも幻想的な光だ。

 切れ目から、ドロリと液体が漏れ出す。

 亮太は、何度も私の身体を鉈で打った。

 骨を打つ硬い音と、溢れ出した体液を打つ、ビチャビチャという音と、亮太の荒い吐息。

 私の身体から、勢いよく鉈を引き抜く度、亮太は赤に彩られる。部屋も、私の身体も、全て私に染められていく。

 私が、この空間を支配している。そんな気がした。目眩がする程の快感が、私を襲う。その快感に酔いしれる。

 桜の花弁のように舞い散る私の血と共に、亮太にも同じ快感が降り注いでいるようだった。

 顔に私の血を浴びる度、彼の表情は変わっていった。

 私は決して見逃さなかった。彼の顔にじわじわと滲み出す、悦楽を。

 亮太は終いにはその悦楽に堪えかねたのか、笑い出した。

 悪魔というものを見たことはないが、今の彼はきっとそいつにそっくりに違いない。

 彼の異様な笑い声、血が飛散する音、肉を切る音、骨を叩き折る音。


 まさに、狂気。

 しかし、私さえも笑っていた。とても、愉快だった。まるで、ピエロのショーを見ているようだ。

 楽しくて、嬉しくて、幸せで、心の奥で暴れまわる悦楽による笑いを堪えることが出来ない。




 私の身体は、細切れにされた。細切れというより、ミンチに近い。骨は粉々に砕かれ、それぞれの塊がまるで肉団子のように見える。

 もちろん、こんな風になるまでにかなりの時間を要した。いつの間にか朝日の白い光が部屋に射し込んでいた。

 こうなってしまえば、私は人でさえない。ただの肉塊だ。豚や牛と、何ら変わらない。

 何て、私に似合う様だろう。やはり亮太は、私の全てを理解してくれている。

 しかし、それでも亮太の作業は終わってはいないらしい。また、彼はゆっくりと立ち上がった。

 台所から戻ってきた亮太は、チャックのついた保存用パックを持っていた。

 彼はそれに、私を丁寧に詰め込んでいった。


 私が全て、パックの中に詰められた。こうしてみると、人間の質量というのはやはり、かなりあるのだなぁと実感する。

 床中に広げられた、私が詰め込まれたパック。その真ん中で亮太は佇み、満足そうに私を見つめていた。

 続いて私は、冷凍庫に詰め込まれた。入りきらない分は、クーラーボックスに氷水とともに納められた。

 何故か、胸がきゅんとした。

 彼は、まだ私といることを望んでいるのだ。

 嬉しくて、切ない。





 部屋中に飛散した血をきちんと拭き取り、血塗れになったベッドのシーツなどを洗濯し、亮太がようやく全ての作業を終えたのは、私が事切れてから丸二日経とうとしている頃だった。

 よく頑張ったね、と亮太を思いっきり褒めてあげたいのに、もうそうすることは出来ないのが少しだけ悔しい。

 その時、だった。

 亮太の頬に、泪が静かに伝っていった。

 作業を終えたことで亮太の中にあった様々な感情が、開放されたのだろう。

 亮太は大きな声をあげて泣き始めた。

 獣のような言葉にならない叫び声をあげ、彼は泪を流している。

 まるで、産声のようだと思った。

 彼は、私を殺すことで新たな自分を産み落としたのだ。


「ごめん、香澄……」

 瞬間、私は凍り付いた。

 言葉にならない嗚咽の中で、確かに亮太はそう言った。

 ――何故、謝るの?

 あなたは、私とあなた自身の幸せの為に、私を殺したのでしょう? 何も、謝る必要なんてないのに。どうして――?





 亮太は、私を食べて過ごしていた。

 まさに冷凍肉団子と化した私を、スプーンで丸め、つみれのようにして鍋に入れたり、スープに入れたりして、私を食べた。

 さすがに食欲がないのだろう。三食は食べなかったが、必ず毎日、私を食べてくれた。

 私の肉団子を食べる彼を見て、私はいつも微笑まずはいられなかった。そして、尋ねるのだ。おいしい? と。

 私は幸せだった。私が、彼の命を繋いでいる。私が彼を生かしている。私が彼の全てになる。これで、本当に一つになれる。

 あぁ、やっぱり亮太は最高だ。死んでからもなお、これ程に私を満たし、幸せにしてくれる。

 あなたを愛して、あなたに愛された私は、何て幸せなんだろう。




 そんなある日だった。

 亮太は、ふらふらと外に出かけていった。

 いつものように彼の後ろについていくと、あるアパートの一室に辿り着いた。

 一体、誰の家だろう。

 それなりに亮太の交友関係は把握していたし、何人かの友人宅を一緒に訪れたことはあったが、このアパートは全く記憶になかった。

 亮太の痩せ細った手が、インターホンを押す。

 その時、私は妙に胸騒ぎがした。嫌な予感がする。

 青い塗装がなされたドアから現れたのは、若い女性だった。

 全身がざわめき立つ。同時に込み上げる、行き場のない殺意。

 若い女性は亮太の姿を見ると、目を丸くし、次の瞬間、亮太の胸に飛び込んだ。――私の目の前で。

 その女は、亮太の名前を連呼しながら泣き崩れている。

 亮太は、彼女をしっかりと抱き締めていた。


 ――全てを、悟った。

 私は、亮太に殺されたんじゃない。この女に殺されたのだ。

 亮太は、この女を守りたかったんだ。自分の中に沸き立つ狂気から。

 そして、その狂気を全て、私にぶつけたんだ。

 ――私は、愛されてなんかなかったんだ。ただの、玩具でしかなかったんだ。

 亮太の中にいたのは、私じゃない。この女だったんだ。

 そうか。だからあの時、私に謝ったのね。

 なんだ。そうだったんだ。


 ――下らない。




 殺してやりたいけど、すぐに殺してなんかやらないわよ?

 一生、苦しめばいい。

 でも、分かってるよね?

 あなたを殺すのは、私。

 いつ来るか分からない死に怯えて、一生苦しめばいい。

 私のこと、一生、忘れないでね?


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