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肝試し

作者: 阿良々木 涼

陽の光を受けた山々の深い青を映し、川は碧玉のように輝いている。しかし陽が沈むと、何ら趣のない山河がそこにある。そんなありふれた自然の中に、ある街村があった。


その村にある中学校の理科の先生が、明日の夜に肝試しをしようと生徒達に言ったのは、山の稜線がぼんやりと淡い茜色になる夕暮れ時であった。

「幽霊なんてものは、人が自分の心の中に作り出した幻にすぎない。」

田舎暮らしに鬱屈した少年は、心の中でつぶやいた。

「僕は知っている。幽霊よりもっと怖いのは、その幽霊を生み出すほど醜い人の心だと。」

しかし、心の中に潜む醜さを知ることは存外悪いことではないとも思った。


夜に男女二人が組になって、学校の裏山に隠されたお札を見つけるというのがその肝試しの趣旨であった。その組みはくじ引きで決められた。

「なんや、うちの相手はあんたか。まあ良かったわ、あんたと一緒なら、幽霊も近寄ってこやんやろな。」

少年の隣の席に座る少女が、背筋をなぞるような美しい声で少年に耳打ちした。その声には少し喜びが感じられた。

「君のようなお気楽者には幽霊なんてみえようもないやろ。」と少年は言いかけたが咄嗟のところで口を噤んだ。

少女は何も言わない少年を見て微笑んだ後、窓の方を向いて落ちゆく陽を眺めながら、綺麗ねと呟いた。少女の大人になりきれていない華奢な体は、陽の光に包まれて、茜色に燃える花をその内に宿しているようであった。その一瞬だけは、少年の心の中にあった厭世的な考えがひどく空虚なものに感じられた。


肝試しの日の夜は半分の月が上っていた。雲が少し、月を隠していた。

先生の考案で、生徒達は学校が貸し出す浴衣を着ることになっていた。少女は薄桃色の浴衣を選び取った。その袖には一輪の大きな牡丹が描かれており、袖から伸びる少女の細い腕がまるで花の一部であるかのようであった。幅一尺の真っ白な帯が、胸の下から腰あたりまで巻き付けられていて、少女の体の小ささを強調していた。

「なあ、似合ってる?」

彼女は少年を見つけるやすぐに近づいてきて、少し俯きながら聞いた。少年は不意を突かれて彼女の立ち姿を見つめたが、途端にそのことを恥じて、馬子にも衣装やな、とわざとらしく言うことしかできなかった。


彼らは肝試しのために山に向かった最後の組であった。懐中電灯を片手に彼らは歩いた。裏山の山道には、生徒達が歩きやすいように提灯が等間隔に置かれていた。ゆらゆらと揺れる灯りが彼らの影を作り、二人の歩く姿が闇の中に映し出された。まるでこの世とは別の世界が現れているようであった。黙っていた少女は突然口を開いた。

「あのな、うちは幽霊見たことあるねん。」

この告白に少年は驚いた。彼は幼い頃から彼女を知っていたが、彼女は恐怖という感情を手放したかのような朗らかな性格だったからだ。

「何をどこで見たんや?」

「それがな、この前に家の近くの川沿いで線香花火をしてたら、狐が寄ってきてん。そしたら狐がうちのおばあちゃんの姿になってな、線香花火を握ってたうちの手を撫でてくれてん。驚いて、線香花火、落としてしもたわ。」

そう言って少女は手の甲を少年の顔の近くに持ってきて見せた。少女の祖母は、彼らが小学校一年生の時に亡くなっていた。

「あの時は驚きすぎて、なんも言えんかったけど、次におうたら色んなこと、おばあちゃんと話したいな。」

「そうか、また会えるといいな。」

そう言って少年は、差し出された手の甲に少し触れた。柔らかい温もりが伝わってきた。

「しかし、そんな優しい幽霊もいるもんやな。」

「まあ、幽霊だってみんな根はええんちゃうかな。」

どうしてそういう発想になるのか、少年には不思議に感じられた。

「だって、幽霊も元々は人間で、たまたま幽霊になっただけやろ?」

そう生き生きと言った少女の澄んだ声は、どんな幽霊さえも浄化するように思えた。少年は、彼女の純心がずっとそのままであるのかと考えると、胸が少し痛くなった。しかし、そんな痛みもすぐに忘れ去られた。


お札は、大樹の一部を切り抜いて作られた小さな祠の中にあった。そこにはお稲荷様が祀られていた。少年がお札を手に取って少女の方を見ると、彼女は時が止まったかのようにお稲荷様をじっと見つめていた。少年は何かを言おうとしたが、ただじっと彼女の隣に立っていた。彼らが帰路についた頃には、提灯の灯火が消えていた。

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