38.「さよなら」
バシンッ…
凍り付く空間。
この町で今までで一番居心地の悪い時間。
こんな事一度も無かったんだろう、困惑したように固まる町の人達。
……そこで最初に口を開いたのは、
「うざい」
れいちゃんだった。
「ぅ……うわあああんっ!」
「……!ダメよれいちゃん、年下の子叩いちゃ……!」
「ご……ごめんなさい!」
僕はすかさず割って入る。
れいちゃんは人に怒られたら……どうなるか分からない。
「お姉ちゃん!」
「れ、れいちゃんは……」
「弟に謝らせちゃダメよ、ちゃんと……」
「……っ!違うんです!」
言うのは怖かったけど、れいちゃんの為だと思い、れいちゃんの手を握って口を開く。
「……僕、本当は弟じゃないんです」
逃げようと思った。言ったら逃げよう。
「僕とれいちゃんは同級生です。……すみません、ごめんなさい……ごめんなさい」
僕はそれだけ言って、れいちゃんの手を引いて駅の方へ走った。
「れいちゃん、逃げよう」
「……うん」
「全部の嫌な事から、……逃げよう」
「うん……、逃げよう」
駅まで着いて、財布も何も持って来ていない事に気づいた。
「あはは……何もなくなっちゃった」
辛うじて手にあるのは、れいちゃんの替えのワンピースだけだ。
「ずいぶん逃げてきたね」
「うん」
「……でも、もっと最後まで逃げよう。僕達にはそれしかない。……あの町に居ても、いずれ見つかるだけだし」
そうだ。
あの町に居ても、結局人の居る『町』なんだから、あいつはきっと僕達を見つける。
きっと必ず……僕達を。
「……どこ行くの?」
考え込んでいると、れいちゃんが僕に話し掛けた。
「そうだなぁ……電車には乗れないし、あの山の上とか」
僕は適当な例として山を指さしたけど、れいちゃんは、
「じゃ、行こ」
と、僕の腕をぎゅっと引いた。
「……うん」
そもそも行き当たりばったりだったんだ、僕らは。
……そう思って僕は、自分で指さした山の方へ向かう事にした。
「うわっ……」
山道は細くて暗くて寒い。
こんな所で暮らしていけるわけない……って、そう思っても、進むしか無かった。
「……面白い話しよう」
「面白い話?」
少しでも気を紛らわしたくて、僕はそんな事を言う。
話す事……何だろうか。
「……れいちゃんはあの時、どうしてあの男を捨てて、僕について来てくれたの?」
聞いてから、全然『面白い話』では無かったことに気づいて、慌てて取り消そうとしたが、その前にれいちゃんは話す。
「しきが……」
「……僕が?」
れいちゃんは僕がそう聞くと、黙ってそっぽを向いてしまった。
「……れいちゃん?」
「やっぱり、なんでもない……」
「……ねぇ、お願い。……教えて」
「……」
れいちゃんはしばらく自分の中で葛藤してたようだったけれど、僕に詰め寄られて観念したようにぽつりと、
「しきが、好きってゆったから……」
と、言った。
(……えっ)
「えっ?……!」
やっと言われた事を理解して見上げると、れいちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をして、耳だけほんのり赤くしていた。
(えっ……えっ、)
こんな、普通の女の子みたいなれいちゃんの一面を見るのは初めてで、訳も分からないうちに僕まで赤くなってしまう。
(うわ……そっか……そっかぁ……どうしよう……)
久しぶりに、れいちゃんがちょっと変わってるだけの普通の女の子だって思い出してしまって、どうすれば良いのか分からなくなる。
……だって、好きな子って女の子とか、そういうのとかとまた別で、だって……。
「……」
混乱してしまって、しばらく沈黙の時間が流れる。
そっか……。
れいちゃんだって、好きって言われると大切な関係を切れるくらいになるんだ……。
……それなら、僕が出来ることは一つだった。
「れいちゃん」
「……なに」
「好きだよ。……大好き」
「……」
そっぽを向かれたままだったけれど、そのまま繋がれた手はほんのり暖かく感じた。
****
山の頂上まで行くと、真下に海の見える崖と、その手前にコンクリートで出来た小さな建物があった。
屋根はあるけど扉は無くて、肌寒い潮風がびゅうびゅうと吹き付けている。
僕はれいちゃんに持ってきた替えのワンピースに着替えさせ、元のワンピースを裏返しにしてれいちゃんのブランケット代わりにさせた。
「……寒い」
「ごめんね。もっとくっつこうか」
僕達は互いの体温で何とか温めあっていた。
れいちゃんは別に嫌味で言ってるわけじゃないって、分かってるのに、僕は謝る事しか出来なかった。
「……」
思えば、れいちゃんと会ってから、ずっと僕は逃げてきた。
でも、ずっとずっと、幸せだった。
勿論どの時殴られたのも、後悔した事なんてないし、嫌じゃなかった。
僕は僕のままで居られたから。
「れいちゃん、久しぶりにアレ、しよう」
「……良いよ」
れいちゃんは立ち上がって靴のまま僕の顔を踏んだ。
僕はやっと分かったんだ。
れいちゃんが僕を傷付けるのは、時に楽しいから、ムカついたからもあるんだろうけど、嫌われない確証が欲しかったからなんじゃないかって、僕は思う。
こんなに傷付けても、こいつは自分から離れないから、本当に自分の事が好きなんだって確認してる。
だかられいちゃんの本質は、ただの心配性な女の子なんだ。
「あぐっ……」
僕の方も、れいちゃんに必要とされてるのが分かって、殴られると嬉しかった。
殴られるというより、強く触られるのが嬉しい。
普通の人……どうでもいい人にはしない事をされるのが嬉しかった。
言うなればキスみたいなかんじで。
でも心のどこかで、こんなれいちゃんを受け入れられるのは僕だけだから、僕だけを見てって、そんな邪心もあったんだと思う。
「んん゛っ」
まぁそんな事言っても、れいちゃんはちょっとサディストな感じしたし、僕もれいちゃんに対してはマゾヒストになってしまうし、そういう本能的な部分もあるんだろうけど。
「げほっ、ごほっ」
「痛い?」
れいちゃんはいつものように確認してくる。
「痛いよ」
僕もいつものように答える。
これも、恋人同士で言う「私の事好き?」みたいな会話って事なんだろう。
痛くても逃げないなら好き……みたいな。
全く歪んでるけど、これが彼女なりの表現なんだって、今なら思えた。
「ぎっ……ぁ……」
舌を噛んでしまって、血が出てくる。
れいちゃんはそれを見て足を止めて、僕の頬に手を当ててキスをした。
「んっ!んんっ!」
「ん……」
れいちゃんは添えた手で頬の傷口を引っ掻きながら、舌で口内の傷口をぐりぐりとする。
痛みは段々きもちよさになって、背中がぐっと反っていく。
「っ……!はぁっ……!」
そして、れいちゃんはやっと満足したように口を離すと、荒い息で穏やかに笑った。
「はぁっ……はぁっ……」
「はぁ……はぁ……」
2人分の息が重なる。
……それはまるで、2人で1人として生きている様だった。
「……」
僕達は隣り合わせで寝そべる。
《《それ》》が終われば熱は引いてきて、また肌寒くなってきてしまう。
……僕には……僕達には儚すぎた。
この世界を生きるには、僕達は弱すぎる。
「……れいちゃん」
僕は彼女にも聞こえないくらい小さく呟く。
前から思ってた。
……けど、考えないようにしてたことが一つあった。
……れいちゃんには生きて欲しい。
でも、辛い思いをして生き延びるだけが幸せじゃない。
れいちゃんの為を思うなら、……そして僕自身の救いは……その為には……。
「ねぇ、しき」
そんな事を考えていたら、いつの間にか起き上がっていたれいちゃんに声をかけられる。
「……なに?」
僕が返事をすると、れいちゃんはうっすらと笑った。
「さよならしようよ、2人で」
「……この世界から」
そう言った彼女の言葉に、僕は……。
「……うん」
……考えるより先に、そう返事をした。




