第95話 鍵盤パン
俺たちは無事に『透け透け水浴びゲーム・カップル編』を生還した。
「イズミナルミペア! おめでとうございます! 恋人同士にしかできない素晴らしい連携でした!」
俺たちを祝福する司会の女性――――だが、観客のおじさんたちは静まり返っていた。黙っているだけではなく、怒りに近い感情と共に俺たちを睨みつけている。未だプールの中央で浮かんでいる俺とナルミはその張り詰めた空気を感じて動けなくなった。
水ランチャーで俺たちを襲っていた3人のおじさんのうち1人が口を開く。
「お前ら、若い女が下着すら見せずに、ここから出られると思ってるんじゃあねぇだろうな?」
凄みを利かせた目で、されど口角をわずかに上げた顔で俺を、ではなくナルミを凝視するおじさん。完全に悪巧みを考えている悪党の顔だ。そしておじさんは悪党らしく、ランチャーをナルミに向けた。
「――ッ! やめろ! ゲームはもう終わっただろ!?」
俺が制止の声を荒らげるも、まるで耳に届いていない様子でおじさんはランチャーを構えてナルミを凝視する。
板で防ごうにもおじさん3人がランチャーを構えている。さっきのような手は2度は通用しないだろう。
ナルミの目は恐怖に怯えてわずかに潤んでいた。
――クソッ、どうすれば…………
万事休す、そう思ったその時――――
「――待ちなさいッ!!」
女性の声がプール全体に響いた。聖夜の天使を思わせる透明な声が。
声がしたプールの入り口の方に目を向けると、何かのアニメキャラのコスプレのような見た目をした女性の姿があった。髪は赤で頭に麦わら帽子を被っている。露出度が高く、黒く太いベルトを体中に巻いたような服。特に大きい胸が強調されている。
艶めかしいその姿に釘付けになる観客のおじさんたち。
「あの人…………私の隣にいた…………」
ナルミが一人呟く。
そう、ナルミの言う通りあの女性は俺たちがこのプールに訪れる前に裏庭のベンチに座っていた時、ナルミの隣に座っていた女性だ。なぜ彼女がここに現れたんだ? しかもコスプレなんかして。
コスプレの女性がプールサイドを歩む。一切の迷いがない勇ましい足取りで、目をピンク色にするおじさんたちのいる客席の前を通る。客席の真ん中辺りまで来ると足を止め、おじさんたちの方へ体を向けた。
「私は………………この戦争を終わらせに来た!!」
高らかに、力強い声でそう宣言する。その光景は漫画にしたら背景に「ドンッ」という擬音が入っていそうな様相だった。
この場にいる誰もがコスプレ女性に意識を奪われる。彼女は周囲の目が自分に最大限に集中したタイミングで、懐から鍵盤ハーモニカを取り出した。横幅40センチくらいの本体にピアノの鍵盤がズラッと並び、側面には短い吹き口が飛び出ている。小学校の音楽の授業で習うことが多いあの楽器だ。
ゆっくりと吹き口を口に咥える。そして演奏を始めた。
どこか懐かしい音色が響く。俺は知らないが、おそらくアニソンであろう曲調。最初はゆっくりなメロディだったが徐々にテンポが上がっていく。なだらかな斜面を下っていくように勢いを増す。それに合わせて同時に曲は壮大に、盛り上がりを増していく。
そしてサビ。鍵盤ハーモニカが聞き馴染みのあるメロディを奏でる。どこかで聞いたことのある曲だが、何の曲か思い出せない。この曲に歌詞があるならこんな感じだろう。
「1万年と2千年前からアーイーシーテール―♪」
ナルミが小さく歌詞を口ずさんだ。俺が脳裏で浮かべた歌詞と全く同じものを。
ときどき無性に歌いたくなるいい曲だ。
周りのおじさんたちは皆、鍵盤ハーモニカを演奏する彼女に視線を注いでいた。演奏に聴き入っている、というわけではなさそうで、おじさんたちは彼女の肌色を露出した全身を余すことなく眺めながらズボンの中に片手を忍ばせている。純粋無垢な俺にはおじさんたちが何をしているのかは理解し難いが、奴らに対して猛烈な嫌悪感と気持ち悪さを感じた。
だが同時に、これはチャンスだと気づいた。ナルミのシャツを透けさせようと息巻いていたおじさんたちは皆、新たに登場した性の対象に目を奪われている。これは俺たちがこの気色の悪いイベント会場のプールから逃げ出すチャンスだ。
俺はナルミに耳打ちし、行動を開始する。ナルミの乗った浮き輪をゆっくりプールサイドまで運び、俺たちはプールサイドに上がった。久しぶりに地面に立つ感覚に少しよろめく。そのままおじさんたちの目を引かないように存在感を消してゆっくりと更衣室まで戻った。
俺たちは自分の衣服を回収し、着替え、最後までバレずにプールから逃げ出すことに成功した。走ってプールから距離を取り、裏庭のベンチまで辿り着いたところで足を止めた。ここは少し前に俺たちが一緒にパンをかじっていたところだ。
慌てて走ってきたせいで乱れていた呼吸を整える。少し経って落ち着いたところで、俺たちは特に理由もなく向かい合った。
「ありがとうイズミ。私を守ってくれて!」
ナルミが目を細めて笑みを浮かべる。
「あ、あぁ。ていうか事の成り行きでそうなっただけだからな……」
俺はナルミの真っ直ぐな感謝の気持ちを直に浴びるのが気恥ずかしくなって顔を背けた。
ちょうど、目線の先に校舎に掛けられた大きい時計がある。時刻は俺たちがクラスの出し物であるカフェの店番をやる時間まであとわずかしかなかった。
「マズいナルミ! 教室に戻らないと!」
そのことに気づいたナルミも朗らかな笑みから焦りの表情に一瞬で裏返る。
俺たちは急いで教室へと走った。
教室に着くとちょうど店番を始める時間、今まで店番をやっていたイヌヌ達と交代する時間だった。
「お! ギリギリセーフだね!」
俺とナルミの到着を出迎えるイヌヌ。それにエルハとテリヤも一緒だ。3人は既に交代する俺たちを待って店の外で待機していた。
俺とナルミはイヌヌ達から必要な道具と情報を最低限受け取って店番の準備に着いた。イヌヌ達は文化祭の後半、最後の時間を楽しむため、3人で校舎内の雑踏の中に溶け込んでいった。
俺たちはこのクラスの出し物の締めを務める。幸い文化祭終盤は活気も衰えて入店する客も少なく、昼時の繁盛期よりは忙しなく仕事をこなす必要はなかった。それでも、それ相応に忙しいことには変わりない。この店は今回の文化祭の中でも結構な人気店だからだ。
「ナルミ、次の注文アップルパイと練乳カフェラテだ!」
「アップルパイと練乳カフェラテ了解!」
俺たちは先程のプールでのイベントで培った連携力を武器に、カフェ店内での仕事を着実にこなしていった。その間、店の外の廊下からずっと黒スーツの男が身を隠して俺たちを監視していた。
黒スーツはプールのイベントでの俺たちの華麗な連携を、本当に信頼し合った恋人同士にしかできそうもない連係プレーを見ていたはずなのに、それでもまだ俺たちに疑いの目を向けている。俺は黒スーツの監視のお陰で余計に精神を擦り減らした。
それでも時は刻々と流れ、あっという間に文化祭終了の時間を迎えた。校内放送がその時を告げる。俺とナルミは最後まで店番をしていたから、文化祭の最後は何とも呆気ないものだった。
校内ではノスタルジックな音楽が流れ、一気に後片付けのムードになる。学内のあらゆるところで生徒たちが装飾や看板を撤去する姿を見受けられる。準備には時間がかかるが片付けは早い。ダンボールや紙で作った装飾や小物は全て無慈悲にまとめてゴミ袋に詰め、教室を、廊下を、校内を元の姿に戻すだけだ。
あんなに文化祭を楽しんでいるように見えた生徒たちが黙々と不要になったものを処分していく。俺の目にはその様子はみんな感情の無い人形になってしまったのか、それとも生徒たちは端から文化祭なんて楽しんでいなくて、今になって冷たい本性を晒し始めたかのように見えた。
「ねぇねぇ、最後にみんなで写真撮ろうよ!」
イヌヌが俺やナルミに声をかけた。手には昼頃にイヌヌが愚麗愛の全裸を撮影していた一眼カメラがあった。
「いいよそんなの。それより早く片付け終わらせて帰ろうぜ」
俺はイヌヌの提案を一蹴した。少し自分でも驚くくらい冷たくあしらった。昨夜の一件のせいで今日は寝不足だった上に一日中文化祭で動き回って疲れ果てていて、今すぐにでも家に帰りたいからだ。
「いいじゃん! ちょっとだけだから! ね?」
素っ気無い対応をした俺を全く気にせず、イヌヌは俺の肩に手を回した。
「お前も寝不足のはずなのに何でそんな元気なんだよ……」
俺はイヌヌに呆れつつも、少しだけ元気を分けてもらえた。
「ほらほら、エルハとテリヤも!」
今度はテリヤの肩に手を回し、エルハに満面の笑みを向けた。肩を組み返すテリヤと、イヌヌの感情が移ったように笑顔になるエルハ。
この3人は店番の時間帯が一緒だったから昼頃からは行動を共にし、そのせいか俺が見ないうちに物凄く距離が縮まっているように見えた。
俺、イヌヌ、テリヤ、エルハ、ナルミ。5人で集まって横一列に並び、一眼カメラを自分たちに向けてタイマー撮影をセットした。
俺は特にポーズはとらなかったが、みんなは思い思いのポーズを決める。イヌヌは大胆ダブルピース。エルハは片手で控えめにピース。ナルミは手でハートを作って、テリヤは当然、顔を覆い隠すように手の平を顔の前に持っていき、少し俯きがちに不敵な笑みを浮かべる厨二病ポーズ。
――ピッ、ピッ、ピッ、カシャッ
一眼カメラのシャッター音が俺たちの文化祭の終幕を告げた。




