第72話 決別
前回に引き続き、今回も涙華視点で五つ子の過去の話です。
私たちの誕生日から時が流れ、季節が夏から秋に移り変わろうとしていた頃のある日の朝。ぽつぽつと静かな雨が降る朝だった。この日もいつも通りの家族の平穏な日常を迎えると思っていたが、そういうわけにはいかなかった。
「鳥隺なんて大っ嫌い…………」
廊下ですれ違いざまに、白吐がぼそっと呟いた。白吐は私の存在にも気づいていなかったみたいだから私に向けて言ったわけではなく、ただ独り言が漏れてしまったのだと思う。
おそらく、鳥隺と喧嘩でもしたのだろう。
鳥隺は普段は穏やかで温厚な性格なんだけど、たまに人が変わったように機嫌が悪くなるというか、気性が荒くなる時がある。そんなときの鳥隺は大抵誰かと言い合いになったり喧嘩になったりしてしまう。今朝も多分、鳥隺の気性が荒くて、そんな鳥隺と白吐は仲違いしてしまったのだろう。
普段は温厚な人がイライラしていたり機嫌が悪そうにしているのを見てしまうと、普段の姿とのギャップで余計にその人に対する悪印象が強くなって、見ている側まで不快感を抱いてしまうのは人の性なんだと思う。例を挙げて比較すると、いつも感情的な奈魅月が怒っていてもあまり気にならないが、いつも温厚な鳥隺が怒っていると嫌な感じがする。そういう理由で、気性の荒い時の鳥隺は誰かと喧嘩を起こしやすい。
――でも、喧嘩なんてよくあることだし心配しなくても
普段ならそう思って特に気にすることはないだろう。でも、この日だけは何か嫌な胸騒ぎを感じていた。
昼過ぎになり、午後の修業の時間。霧雨のような静かな雨は次第に激しさを増していた。
雨のせいで修業の場として中庭は使えない。そこで修行の場は中庭から城の屋内道場に変更となり、私はみんなより少し遅れて道場に向かった。
道場の引き戸を開けて足を踏み入れると、道場の中から怒号が飛んできた。
「だからしょうがねえだろうがぁ!!!!」
私はその声を聞いて肩が飛び跳ねた。奈魅月の声だった。
「しょうがないじゃなくて! 早く取って来てよ!!」
奈魅月に負けない声量で白吐が言い返した。
奈魅月と白吐が激しい口喧嘩をしていて、それを仲裁するように夕舞が二人の間に割って入っていた。
道場にはその三人だけがいて、鳥隺はまだ来ていないようだった。
今にも殴り合いの喧嘩を始めそうな白吐と奈魅月を引き離していた夕舞が、ため息交じりに口を開いた。
「あー、わかったよ。白吐、俺が取ってきてやるから。だから仲良くしてろ。いいな?」
そう言うと夕舞は私たちを残して、道場を出ていった。
兄弟の誰かが喧嘩を始めた時は決まって夕舞が仲を取り持ってくれていた。夕舞自身も他の兄弟と喧嘩をすることはあったけれど、それでも本当に、頼りになる理想のお兄ちゃんだった。
後から聞いた話によると、昼前に城の外で奈魅月と白吐が遊んでいて、帰ってきたら白吐が頭につけていた髪飾りが無くなっていることに気づいたらしい。どこでなくしたのか、思い当たる節は遊んでいるときに奈魅月が白吐を驚かすイタズラを仕掛けたその瞬間だけ。
おそらく今朝の鳥隺との喧嘩で気が立っていた白吐が奈魅月に強く当たって、それで喧嘩に発展したのだろう。白吐にとっては思い入れのある髪飾りらしくて、それがこの大雨に濡れて汚れて、最悪の場合はどこかに流されて取り戻せなくなるかもしれない。
そういうわけで土砂降りの雨の中、夕舞は白吐の髪飾りを探すために城を出ていった――――――だが、夕舞が帰って来ることはなかった。夕舞は、大雨の影響による崖崩れに巻き込まれて、亡くなった。
それからのことは、私自身あまりよく覚えていない。私たちを取り巻く世界の急激な変化に、ついて行くだけで精一杯だった。
早々に夕舞の葬儀が執り行われた。参列者は師匠と四人になってしまった私たちのみ。兄弟たちはみんな、家族の一人が消えてなくなった事実を理解することすらままならず、茫然としていた。
そんな憔悴した私たちに息をつく暇すら与えず、さらなる異変が襲い掛かった。
師匠が私たちに解散命令を下した。
解散命令とは何か。私たちが住んでいた師匠の城がある場所、地名で言うと『焉呈』。その焉呈の周辺に四つの国があり、解散命令とは私たち五つ子のうち残った四人を独立させ、それぞれ四つある国の王の座に就かせるというものだった。その四つの国はどれも、「王の座に相応しい者」という1ピースだけ残したパズルのような未完成の状態で、それは私たちを待ち侘び、私たちがその座に就くために用意されたようなものだった。
城も、土地も、兵士もいるのに、すっかり抜け落ちたように指導者だけがいない国。
私たちはずっと焉呈の城で暮らしてきて、城周辺の外の世界のことは全くと言っていいほど知らなかった。だから、城の周囲にそんな国があるなんてことも当然知らなかった。
さらに師匠の命令には続きがあり、それは「四つの国に独立した私たちがお互いに敵対関係になって戦争を始めろ」というものだった。
当然私たち兄弟はそんな理不尽で意味不明な命令に納得するはずもなく、必死に師匠に抗議した。だけどその抗議も空しく、抵抗する私たちを師匠は力尽くで城から追い出した。
一夜にして、師匠の命令ひとつで私たちは保護者も家も無くした哀れな子供たちになった。いや、家ならある。師匠が最後に私たちに与えた四つの国が。
それでも、兄弟同士で戦争をしろなんて命令には従うわけがなく、私たちは一度、奈魅月が与えられた炭原の城に身を寄せることにした。
長男の夕舞の死に続き、師匠の突然の解散命令。夕舞が死んだ直後、冷たく私たちを見放した師匠には私たちに対する愛情はなかったのか。機械が情なんてものは端から持ち合わせていなかったのか。私たちは師匠を疑い、夕舞の死でストレスを感じていたせいで兄弟たちは余計に師匠に憎悪に近い感情を向け始めた。
そんな状態で、兄弟の中でも不穏な空気が漂い始める。今まで当たり前だと思っていた師匠の愛情が嘘だったかもしれないという現実が、私たち兄弟同士の愛情にも疑いの目を向けるさせることになってしまったということだろう。
私は残った兄弟の中で一番年上の長女としてみんなをまとめようと考えた。「何があっても家族で一緒にいる」という夕舞が、お兄ちゃんが掲げた約束を守るために。炭原城に身を寄せるという提案も私がしたものだった。
私はお兄ちゃんの役割を引き継ぎ、お兄ちゃんの代わりになれるように頑張った。でも、難しかった。
すぐに、またしても悲劇が起きた。奈魅月が与えられた炭原の城が襲撃された。
城に、黒い雨が降り注いだ。今となってわかることだが、それは石油の雨だ。ナルミの話でもあったが、ナルミの父が亡くなった襲撃だ。
私と白吐と鳥隺は偶然、あるいは運良く城から離れたところにいたから襲撃の被害を受けなかった。でも、城にいた奈魅月とその配下たちは…………
石油に飲まれた炭原城と炭原の者たち。死者も多く出た。奈魅月は心を開いて打ち解け始めていた臣下も失った。
石油の毒に侵されても一命を取り留めた奈魅月は私たち兄弟を恨んだ。私たちが偶然城にいなかったのは偶然ではなく、私たちが手を組んで城の襲撃を企てたと奈魅月は思い込んだ。そんな見当違いな思い込みをしたのは、臣下を失ったショックと、兄弟の中で自分だけ被害に遭って理不尽だと思う気持ちと、それと、師匠の「兄弟で敵対して戦争をしろ」という命令がかなり影響していたと思う。
奈魅月は一方的に兄弟と絶交して、私たちを炭原から追い出した。
ちなみに、ナルミが知りたがっていたその襲撃を実行した者とその目的は私たちにもわからなかった。
白吐、鳥隺、私の三人は自分たちがどこに向かっているかもわからぬまま、舗装が未完成な砂利道を歩く。
いつも温厚な鳥隺がこの時も異様に機嫌が悪かった。
私が姉として残った二人の家族を導いてあげないといけなかったのに、どうすればいいのかわからなくなって、ただひたすら歩き続けていた。そんな状況に痺れを切らして、鳥隺が口を開いた。
「…………なんでこんなことになったのか。元を辿れば兄貴が死んだのが始まりだ。夕舞が死んで、喧嘩ばっかしてるお前らに師匠は愛想を尽かせて、それであんな解散命令を出したんだ………………。白吐。夕舞が死んだのはお前と奈魅月がくだらないことで喧嘩したせいだ。今俺たちがこんな目に遭ってるのも、お前らのせいなんだよ」
鳥隺が口にしたことは家族を励ます言葉でも現状の解決策でもなく、事の責任を兄弟に押し付けるただの愚痴だった。
「は? なにそれ。喧嘩ばっかしてるお前らって、それは鳥隺も同じじゃん。自分のことは棚に上げて、バカじゃないの?」
白吐が眉間にしわを寄せて、厳しい口調で言い返す。
「見下してんのか? 俺を見下してんのか白吐。そういうとこなんだよ…………テメェが下らねぇことで喧嘩ばっかしてんのは! …………ッお前が! お前が夕舞を殺したんだ!! 白吐ォ!!!」
鳥隺が地鳴りのような罵倒を吐き出した。
普段の穏やかな鳥隺と比べるとあまりの豹変ぶりで白吐はたじろぎ、瞳に涙を浮かべた。それでも、白吐は言い返す。
「なんで………………なんで鳥隺は時々、異様なほど気性が荒くなるの!? 意味がわかんないよ! 気分悪いよ! 師匠が愛想を尽かせたのは気分屋の鳥隺のせいなんじゃないの!?」
二人は睨み合い、激しい罵り合いに発展する。私は、何もできずにただ見ているしかなかった。
白吐と鳥隺は完全に決別して、砂利道の分岐点を別々の道に進む。私を残して、三人がバラバラになる。それでも私はまだ関係を修復できると思い、立ち去る白吐の手を引いた。
「白吐、みんなで一緒にいようよ。それが家族の約束でしょ……?」
白吐は振り返ると冷ややかな目で一言。
「……弱虫の癖に仕切ろうとしないで…………」
そう吐き捨てると、白吐は自分の道を一人で歩んでいった。
取り残された私は、気づけば目から涙がこぼれていた。
「…………独りに…………しないで…………」
そうして私たちは互いに別々の道を進み、それぞれ四人が師匠に与えられた領土と王の座に就くことになった。
私はお兄ちゃんのように兄弟をまとめることはできず、私が姉として頼りなかったからみんながバラバラになったと、後悔して自分を責めた。
もう、十数年も前の話だ。
ここで一つ問題です。
鳥隺が何故『ルツ』というあだ名で呼ばれているか。わかる人いますか?




