第70話 黒染めの悪魔
城下に飛び降りた涙華と奈魅月。俺たちは屋上庭園から二人を見下ろした。
薄ピンクの染野兵の大軍と漆黒の炭原兵の大軍が戦いを繰り広げる中、涙華と奈魅月も同様に相対していた。
黒い地面に降り立って刀を交え合う二人。地面が黒い石油でぬかるんだ湿地になっていて両者とも足元が覚束ない様子だ。刀を振り、相手の斬撃を受け止めるたびに足が地面を滑る。
両者にとってコンディションの悪い戦場だが、やはり地の利は奈魅月にあった。地面に有り余る石油を巧みに操って、時に防御に利用し、時に涙華への攻撃に転換する。
だが、涙華も負けていない。迫り来る石油と黒刀の魔の手を全て、桜色の閃刃で切り裂く。エルハとナルミさんの攻撃を足しても比較にならない程の数の連撃を涙華は披露した。
石油を操る奈魅月の攻撃の手数は凄まじかったが、涙華の連撃もそれに匹敵していた。
それでも、このまま現状維持ではいずれ涙華が先に力尽きる。奈魅月の攻撃を切り裂くたびに涙華の着物に、肌に、液体が飛び散って黒く染めていく。それが続けば涙華は全身に浴びた石油の毒によって体の内から侵されることになる。
ナルミさんもそれを理解していたのだろう。
ナルミさんは庭園から飛び降りた。涙華と奈魅月のいる地上目掛けて、体を空に預ける。涙華の擁護に向かうつもりだ。
それに気づいた涙華が声を上げる。
「来ないでナルミ! 奈魅月とは私一人で戦わせて!!」
「――ッ! どうして……ッ!」
地面に降り立ったナルミさんが顔を上げ、理解できないと声を漏らした。その瞬間――――
「バケツ班! やれ!!」
奈魅月が声を荒げた。
バケツ班。何かはわからないが、嫌な予感が脳裏をよぎった。
直後、俺たちより一つ下の階層から、奈魅月の指示に呼応する雄叫びが響いてきた。声のした方に目を向けると階下の外廊下に貯水タンクのような巨大な木の樽がいくつも並んでおり、樽の中はなみなみと溢れそうなほどの黒い液体で満たされていた。
樽の周りには漆黒の炭原兵が群がっている。雄叫びを上げたのは奴らだ。そして、炭原兵たちは巨大樽の後ろに回り――――――一斉に樽を押し倒した。
樽の中身が城下にぶちまけられる。黒い液体が激しい濁流となり、城下で戦闘を繰り広げていた染野と炭原の兵たちや、そして、涙華と奈魅月とナルミさんをも巻き込む。大雨の日の氾濫した大河のような轟音が城を襲う。そこにいた人間全員が真っ黒い洪水の渦に巻き込まれて、そして石油は平面を目指してなだらかに水面を下げていく。
毒性のある石油の濁流による大規模な水攻めだった。一瞬にして辺りは、墨汁の入ったバケツをひっくり返したような惨状になった。元から黒一色だった城周辺が余計に濃い黒に染まり直す。
濁流に襲われた者の惨状は、
元から石油の毒に耐性のある炭原兵はただ水流に襲われただけという反応で、のそのそと起き上がる者も多い。だが一方、染野の兵士たちは地面にぐったりと倒れて動く気配がない。薄いピンクの甲冑も全体が黒に染められてしまっている。染野兵と炭原兵の事後の差は一目瞭然だ。
奈魅月は当然のように、その場に仁王立ちで濁流をやり過ごしていた。
涙華は苦しそうに肩で呼吸をしながらなんとかその場に立っている。何故他の染野兵が全員倒れて涙華が耐えられたのかわからないが、彼女が濁流に飲まれている間、彼女の周りだけ黒い濁流が薄くなっているように俺の目には見えた。例えるなら黒い紙をシュレッダーで切り刻んで紙屑が飛び散るような感じで、黒い石油が激しく飛び散っていた。それが涙華の現状に関係しているのかもしれない。
涙華はとりあえず無事だった。ただ、ナルミさんは他の染野兵と同じように地面に倒れて動かない。
「――ナルミッ!!」
俺が呼びかけても当然、返事はない。
俺とエルハは屋上庭園から飛び降りてナルミさんの元に駆け寄った。
ナルミさんの忍び衣装の黒装束が石油の黒で上塗りされている。
俺はナルミさんの体を起こして肩を揺らす。ナルミさんは顔までも黒い石油でべっとりと塗られていた。すると彼女は薄らと目を開いて、目蓋の奥の瞳と目が合う。何かを伝えようと唇を動かしているが声になっていない。意識はあるのに口が、体が動かない。といった様子だった。
俺は涙華に聞いた石油の毒性の話を思い出した。炭原の黒い液体に触れすぎると体に悪影響を及ぼすというもの。その具体的な症状は知覚麻痺や行動障害。つまりは体が動きにくくなるということだ。今のナルミさんの状態に合致する。そして、石油の毒の影響を受けすぎると最悪の場合、死に至る。
このままではナルミさんの命が危ない。石油の濁流を浴びた他の染野兵たちも同じだ。早く戦いを終わらせてナルミさんたちを治療しないと。
俺はこの侵略の攻略対象、奈魅月に目を向けた。
言葉を交わすことなく、静かに睨み合っている奈魅月と涙華。
奈魅月と涙華が兄弟というところに訳アリっぽさを感じるが、今はそれどころではない。涙華も石油を浴びたことによる消耗が激しそうで、立っているだけでさえ辛そうに見える。
先に口を開いたのは涙華だった。一人呟くような声量で。
「…………そんな、そんな姿になっちゃって…………」
奈魅月に憐みのこもった冷徹な眼差しを向ける涙華。それに対して奈魅月は心の地雷を踏み貫かれたかのように激高した。
「――――ッ! 誰の……誰のせいでこうなったと思ってやがる!!?? ………………姉貴、何しに来やがった。二度と俺の前に現れるなと言ったはずだろ」
「ナミに会いに来たの」
声を荒げた奈魅月を相手に、未だ冷静を貫く涙華。奈魅月はさらに感情を昂らせる。
「――その呼び方はやめろ!! 泣き虫涙華が、また泣かされてぇのか!?」
「ナミと話がしたいの。あの日のことについて」
「テメェと話すことなんかねぇよ!!」
そこで、一つため息をこぼす涙華。
「はぁ、そう言うと思った。怒ってる時のナミはまともに人の話も聞けないからね」
「ア゛?」
奈魅月の額に青筋が浮かんだ。同時に血管の切れる音がする。もう爆発寸前の心理状態だ。
「だから、叩きのめして強制的に話を聞かせてあげる。拒否権なんて与えない」
「んなことできんのかよ」
奈魅月は怒りを通り越して一旦冷静になる段階にまで到達している。それに涙華はとどまることを知らずに煽り文句を浴びせ続ける。
「できるよ。だって、ナミが私より強かったことなんてないじゃん」
「ほざけッ!! 泣き虫が!! ブッ殺してやるよ!!!!」
完全に頭の火薬に火が付いた奈魅月が、刀を振り上げて涙華に急接近する。それと同時に涙華も奈魅月との距離を詰める。
二人の刃がぶつかり、激しい金属音を轟かせた。その音を皮切りに、二人の激しい接近戦が始まる。
奈魅月は黒刀と石油の鞭の二刀流で夥しい手数の猛攻を繰り出す。それでも涙華は動じることなくすべての攻撃を一つの刀で弾き、受け流し、捌いていく。その間も黒い液体が飛び散り、涙華を黒く染めていく。このまま持久戦に持ち込まれたら奈魅月に軍配が上がる。
それでも依然として冷静な涙華が、刀を振るいながら口を開いた。黒いマスクで涙華の顔の下は見えないが、目元だけ見るとわずかに微笑んでいるように見えた。
「ナミ、あなたには二つの弱点がある」
戦いの最中なのに、落ち着き払った声だった。
「弱点だと!?」
猛攻の手を緩めずに奈魅月は聞き返す。
「一つ目は、あなたは石油を操る時に片手を使わないといけないから、刀を握る際も片手しか使えない。故に、刀を握る力は両手持ちの者と比較して弱い」
「――ッ!?」
奈魅月の顔に動揺の色が表れる。
「二つ目は、感情的になりやすく、すぐに相手の煽りに乗ってしまうこと。本来あなたは石油を操る遠距離戦の方が有利なのに、煽られて接近戦に持ち込んでしまった。刀を片手でしか振るえないあなたに接近戦は不利なのに」
緊迫した状況のはずなのに涙華の口調は、どこか楽し気に聞こえた。
冷静さを失って動揺と怒りを露わにする奈魅月が声を荒げる。
「――だったら! 両手で握ってやるよ!!」
「そう………………」
その瞬間、辺りの温度が下がる。涙華が、真冬の冷気のような殺気を漂わせた。
「でも、ナミ。あなた、刀だけの勝負で私に勝ったことないでしょ」
奈魅月が両手で柄を握る――――――直後、奈魅月の黒刀が奴の手から離れて宙を舞った。
いとも容易く奈魅月の刀は弾き飛ばされた。両手で刀を持つ桜髪の女によって。
間髪入れず、狼狽する隙すら与えずに、桜色の刃が黒染めの悪魔を斬り裂いた。流れる血まで真っ黒だと思われていた悪魔の体から、真っ赤な鮮血が噴き出す。
「――ッ!? クッソ…………勝てねえ、か…………」
小さく無念を呟いて、奈魅月はその場に力尽きた。
躊躇いなく倒れた奈魅月の体が地面の黒い液体が跳ねた。決着は、何とも呆気ないものだった。
全身を黒く染められた涙華が刀を収める。多少斬られた傷はあるものの致命傷は一つもなく、堂々とした立ち姿で奈魅月を見下ろす。その目には闘志の奥にあった慈しみの感情が込められているように見えた。
この勝敗によって、染野と炭原の戦いは静かに幕を下ろした。
§
俺たちは炭原の侵略に成功した。炭原は武将の奈魅月が敗れたことで動揺し、後は染野の兵士たちによっていとも容易く城を占領されることとなった。
占領した城の中で俺たちは負傷者の手当てをすることになった。手当ての対象者は比較的軽症なエルハや涙華、重傷者も多数いる染野の兵士たちや、石油を浴びて体が麻痺した重症者のナルミさん。更に、炭原の兵士や奈魅月までもが手当ての対象範囲だった。味方だけではなく敵兵士たちも救う。これは涙華が決めたことだ。
お陰で要治療者の数は膨大なものになっていた。城内を埋め尽くさんばかりの怪我人の数。俺が思っていたよりもずっと多くの負傷者が出ていたことがわかる。
治療には『桜の花びら』というアイテムが用いられた。読んで字の如く普通の桜の花弁の見た目をしているがこれはただの花びらではなく、桜舞い散る染野の特産品で、この花びらには高い治癒能力が込められている。染野ではお馴染みの傷薬らしい。
切り傷などの外傷がある者にはその傷にこの花びらを直接押し当て、石油の毒で体の内から侵されている者には桜の花びらをすり潰して作った飲み薬を飲ませる。これが治療方法だ。
城内では染野の救護専門の兵たちが慌ただしく走り回っていた。
ナルミさんと奈魅月は城の最上階、武将奈魅月が常駐する王の間で治療を受け、安静に眠りについていた。涙華が斬り裂いた奈魅月の深い切り傷も桜の花びらを押し当てておけば治るという。それほど桜の花びらの治癒能力は強力ということだ。
王の間は襖や掛け軸に薄く模様が入っているが、基本的に全体が真っ黒に染められた部屋だった。炭原はどこへ行っても黒一色で辟易する。
俺、エルハ、涙華も王の間に集まり、戦の後のひと時の休息をとる。負傷者の救急活動にも尽力した俺たちは全員疲労困憊で、黒い畳の上に座り込んでいた。涙華は石油に黒く塗り潰された着物から着替えて、新しい着物を身に纏っていた。新しい着物と言っても以前の物と柄は変わらない。全く同じ服の洗い替えというやつだ。
現状、俺の目的であるゲームクリアの条件、5つの国の天下統一は一歩前進した。ナルミさんの「過去に炭原城が襲われた件の真実を知る」という目的も、この炭原城を制圧したことで例の黒い雨の襲来について何か知っている者から話を聞く機会が得られるかもしれないので、それもまた一歩前進だ。
会話もなく疲労感漂う王の間にて。俺は戦闘の最中に生じた一つの疑問を涙華に投げかけた。
「あの…………涙華と奈魅月が兄弟って、ホントですか?」
一拍置いて、涙華が口を開く。
「はい、本当のことです。しかも、私たちは五つ子なんです」
「――ッ!? 五つ子!? 多いな……………………ん?」
察しのいい俺は、ここで気づいてしまう。
「涙華と奈魅月は五つ子の兄弟で、二人とも国のトップの武将で、このサムライソウルの世界にある国の数も五つってことは……………………」
――涙華の兄弟である五つ子が、それぞれ五つの国の武将だということ
「えーっと…………半分正解」
早合点した俺に苦笑して、柔らかく否定する涙華。
「五つ子のうち、国を代表する武将は四人だけです」
「四人…………じゃあ、残り一つの国は?」
一度言葉を詰まらせた涙華が、口を開く。
「…………残り一つの国の武将は、私たちの師匠です。ちなみに、師匠は人間じゃないんですよ。……………………まあ、今はどの国も敵対状態ですが………………」
表情に暗い影を落として涙華が呟く。
――人間じゃない師匠、今は敵対関係にある五つ子…………
「あの…………聞きたいんですけど、過去に何があったんですか?」
これ以上彼女の過去を詮索したら嫌がられるかもしれないという遠慮より、単純な好奇心の方が上回って俺は尋ねた
涙華は嫌がる様子はなく、むしろ俯いていた顔を上げて何か期待が込められた眼差しで俺を見た。
「聞いてくれますか? 私の過去について」
「聞きますよ。時間はあるんで」
俺の隣で、ほとんど空気と化していたエルハも頷く。
そうして涙華は、五つ子たちに起きた『悲劇』を語り始めた。
twitter→ https://mobile.twitter.com/bandesierra
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