第69話 石油危機 ㏌ 炭原城
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ナルミさんの奇襲を難無く受け止めた黒い人影は男だった。
髪も顔も着物も、全体は墨汁に浸したように真っ黒。目の周りや髪の輪郭、着物の模様は白く縁取られていてシルエットがわかる。
黒い全身の中で際立った白い瞳がぎょろぎょろと俺たちを次々に睨みつける。敵の総数を数えているようだった。
「三人、か」
低くしゃがれた声。男が口を開く。そして、口を大きく開けた豪快な笑みを湛える。
よく見ると全身が黒いのは体中に石油を被っているからのようで、白い月明かりが艶やかに反射している。身長はそれほど高くないが醸し出す威圧感と殺気は本物で、ゲームのラスボスだと言われても違和感がないほどの風格だ。黒染めの悪魔。これが炭原の武将、奈魅月。
奈魅月が、刀を交えて対峙していたナルミさんの腹を蹴り飛ばした。
呻き声で苦痛を表すナルミさん。
受け止められずもろに蹴りを食らってしまったナルミさんは城の頂上から突き落とされた。だが、ナルミさんは体を翻し、他の屋根に着地する。
頂上で奈魅月は大きく背伸びをして、首を傾げて骨を鳴らす。
「俺を討ちに来たか。たった三人で――――面白れぇ。それじゃあ始めようぜ………………血沸き石油躍る殺し合いをなァ!!」
高らかに叫ぶと、奈魅月の足元から黒い液体が、敵を威嚇するコブラのように何匹も立ち上がった。太い鞭状となった液体が四方八方に跳び上がり、俺たち三人に飛び掛かる。
石油を操る奈魅月。涙華の話していたとおりだ。そして、その話が正しいのなら、
――この液体には毒性があるからなるべく触れない方がいい
俺はズボンのポケットからガルム=パンクを手に取った。ガルムを肥大化させて、構えて、迫り来る石油の鞭の一つに打ち付けた。
石油の鞭を相殺する――――しかし、その反動は予想を遥かに超えていた。石油の鞭は思っていたよりも硬く、勢いに乗っていた。全てを貫く無敵の矛に突かれたような衝撃で、俺は大きく後ろに仰け反った。相殺は出来るが、一撃の破壊力は計り知れない。こんなものをまともに食らったら…………
エルハとナルミさんは臆することなく石油の鞭を捌いていた。エルハは鞘が薄ピンク色の刀を抜き、力任せに鞭を断絶している。ナルミさんは巧みに体を翻しながら、脇差しで鞭を受け流している。生き物のように自由自在に空中を舞う鞭の攻撃を一度も食らうことなく。
果敢に刃物を振り回して奈魅月ににじり寄っていく女子二人。黒い液体が飛び散る戦乱の中、幾重にも連なる鞭の連撃に的確に対処していく。それに比べて俺は――――
俺は自分に迫る二撃目を打ち払った。先程と同様の衝撃に突き飛ばされる。
これは俺が非力なのか。それとも女子二人がたくましすぎるのか。俺は一歩たりとも奈魅月に近寄れないが、エルハとナルミさんはすでに奈魅月の眼前に迫っていた。
二人は同時に、奈魅月に斬りかかった。二人同時の攻撃なら奴は躱せないはずだ。
――その考えは甘かった。
奈魅月はエルハの斬撃を刀で弾き返し、ナルミさんの剣戟は、ナルミさんが振り上げた腕を掴んで受け止めた。それを同時に、難無く披露してみせた。
怪力のエルハが力で押し負けた。しかも、エルハは両手で刀を握っていたが、奈魅月は片手で刀を振るっていた。フェアな状況ではなく、奈魅月には片手のハンデがあったのにもかかわらずエルハが力で負けた。奈魅月の脅威は石油を操る能力だけではなく、奴自身が並外れた戦闘能力を備え持つことも含まれる。
エルハが跳ね返されて大きくバランスを崩す。その隙に奈魅月は次の行動に移る。
掴んでいたナルミさんの腕をそのままに、奈魅月はその腕を振り上げる。
ナルミさんが短い悲鳴を上げる。彼女の体が宙に浮いた。
その体を持ち上げた勢いを殺さぬまま、奈魅月は走り出した。城の頂上の屋根を駆け、向かう方向は――――城の正面方向。
何をする気かはわからないが…………いや、大体察しが付く。
「――やめろッ!!」
俺は声を上げると同時に瓦屋根を駆け出した。
奈魅月は足を止めない。そして、屋根の端に辿り着いた奴は――――ナルミさんを城下に振り落とした。一瞬でナルミさんが俺の視界から消える。
「ハハッ! 女二人は貰ってくぜ!!」
奈魅月はそう吠えるとエルハの方に目を向けた。体勢を崩して倒れていたエルハ。奈魅月はエルハを指差し、手繰り寄せるような動きで指を曲げた。
直後、エルハが宙に突き上げられる。屋根の表面から噴き出した石油がエルハの体を撥ねたからだ。その様は黒い噴火だ。
エルハの体がトラックに撥ねられたみたいに力なく宙を舞う。そして、ナルミさんと同じく城正面の城下に落ちていった。
「じゃあな」
奈魅月は俺に嘲笑を向けてそう吐き捨てると、奴自身も城下に身を投げて姿を眩ませた。
「待て!」
ひとり残された俺は走って奈魅月を追った。奴が飛び降りた屋根の端まで行き、そこから眼下を見下ろす。
頂上の屋根から下を見ると城の中腹辺りの位置に、外に剥き出しの屋上庭園があった。日本の城の庭園と言っても全体が真っ黒い石油に包まれていて趣はまるでない。小川や低木のようなものが見えるが全て真っ黒だ。
その屋上庭園にて、突き落とされたナルミさんとエルハの二人は、奈魅月との熱い激闘を繰り広げていた。ナルミさんは先程の戦いで使っていた脇差しに加えて、手裏剣や苦無などの忍者の飛び道具も用いていた。三人の剣戟と黒い液体が庭園を飛び交う。
落とされた二人が無事だったのは良かったが、まだ安心できない。なおも奈魅月はエルハとナルミさん二人の猛攻を凌駕し、余裕の表情で刀と石油を振るっている。戦闘を愉しむ男の笑みを浮かべていた。
俺たち三人だけで奴を倒すのは絶望的だが、一つ気づいたことがある。それは、奈魅月は石油を操る際に腕や指の動きで石油の行き先や流れを操作しているということだ。操作は右手でも左手でも構わないが、必ず手を使って黒い液体にあらゆる指示を送っている。その事実は今のように奴の攻撃範囲外の上方から落ち着いてじっくり観察してみても明白だった。
さらに観察を続ける。奈魅月の認識から俺の存在は完全に外れているようだった。
奈魅月に果敢に斬りかかるエルハとナルミさんだったが、いつの間にかその立場は逆転していた、黒い刀と黒い液上の鞭というある種の二刀流で二人を圧倒する奈魅月。二人はじわじわと追い詰められていく。
俺はまだ傍観を続ける。そして、
――そろそろだな
俺はタイミングを見計らって――――飛び降りた。
重力によって今まで見下ろしていた庭園に、急激に体が引き寄せられる。
俺が見たタイミングというのは、
ナルミさんが鞭で弾き飛ばされ、エルハが足を取られて転倒した。すかさず、奈魅月が刀の先をエルハに向ける。
この瞬間だ。二人が完全に圧倒されどちらかが命を奪われそうになるその瞬間、戦闘狂の奈魅月が敗者の命を奪うその瞬間、奴の感情は最大限に昂って視野が狭くなる。周りが見えなくなる。その瞬間が奈魅月にとっての最大の隙だ。
俺は飛び降りながらガルムを構える。奈魅月の刀がエルハを貫こうとする、その前に。俺は奈魅月の頭にガルムを振り下ろした。
「――――だから、甘ぇんだよ」
阻まれた。
奈魅月はエルハに向けていた刀を振り上げ、俺の全体重を乗せた攻撃を受け止めた。
鈍い衝撃音が響き、風圧で周囲の石油が飛び散る。あまりの衝撃に俺は体を震わせた。自分から攻撃を仕掛けたというのに。対して、攻撃を受けた方の奈魅月は何食わぬ顔で俺を嘲笑っていた。
俺は急襲に失敗し、地に堕ちる。黒い液体でぬかるんだ地面に尻餅をついた。
一瞬、静寂に包まれる。見上げると、奈魅月が俺を見下ろしていた。
「お前からでいいか?」
ヘラヘラとした口調で尋ねる奈魅月。エルハにしようとしていたことを、まず俺にしてもいいかと聞いている。そして、俺に許可を得るような言い回しだが、その問いかけで俺に選択権がないことはわかりきっていた。
奈魅月が石油の滴った刀をゆっくり振り上げる。
ナルミさんもエルハも、転倒していて俺の擁護には入れない。
俺は奴の斬撃を受け止めるために目の前でガルムを構えた。だが――――無理だと悟った。
周囲からおぞましい質量の石油を湧き上がらせる奈魅月の圧倒的な存在感に、俺は目の前の存在に勝てないと自覚してしまった。奈魅月の両目の白い瞳が俺を覗いている。
黒染めの悪魔。石油に満ちたこの城は奴の独壇場。悪魔の禁域に足を踏み入れてしまった俺たちは生きてここを出ることはできない。
「そうだ、受け入れろ」
俺の心を読んだかのように一言、そう告げると、悪魔は黒い液体を存分に纏った刀を振り下ろした。
俺は為す術なく、恐怖する暇すら与えられず目蓋を閉じる――――――
――――目の前で甲高い金属音が弾けた。
俺を襲うはずの斬撃と激痛が来ない。ゆっくり目を開けると、
目の前に深紅の着物を纏った少女、涙華がいた。桜色の刀を抜き、俺に振り翳された黒刀を受け止めていた。彼女の赤い着物には黒い液体が飛び散っていた。ここに来るまでの戦乱の中で被った石油なのか。それとも今の斬撃を防ぐ際に飛び散ったものなのか。おそらく両方だ。
俺は突然の助太刀に思わず声を漏らした。
「る、涙…………華……?」
「はい。遅くなってすみません」
至って冷静に、整った呼吸で答える涙華。彼女がここにいるということは、涙華の軍が正面突破してここまで辿り着いたということか。いや、それにしては周りがあまりに静かすぎる。染野と炭原の兵が戦う怒号や剣戟の音は全く聞こえない。多分、涙華一人だけが先行して戦場を切り抜け、誰よりも早くここまで来たのだろう。
涙華は振り返ることもなく一言。
「あとは私に任せてください」
奈魅月を前にしても落ち着き払った研ぎ澄まされた精神状態の彼女からは、聞かずとも彼女は奈魅月と同等の力量を有していることが窺い知れた。
刀を交えて睨み合う涙華と奈魅月。そして奈魅月が、衝撃の一言を口にした。
「よぉ、久しぶりだな。姉貴」
――姉貴って…………涙華が? 奈魅月の?
俺は自分の耳を疑いかけた。だってそれは…………
「涙華と奈魅月が…………兄弟?」
「過去のことだ」
要らなくなったものに吐き捨てるように奈魅月が呟いた。
涙華は何も答えず、交えていた刀を振り払った。
あの奈魅月が、背後に押し退けられる。さらに奈魅月はその勢いのまま後ろに下がり、屋上庭園を飛び出した。涙華から距離を取るように自ら飛び降りる奈魅月。
それを追う涙華。彼女は何の躊躇いもなく屋上庭園から身を投げた。
取り残されて茫然と二人を眺めていた俺、エルハ、ナルミさんの三人。俺たちは我に返り、庭園の端まで近づいて城下の涙華たちを見下ろした。




