第60話 私の罪
俺はウラギリからバールを受け取ってすぐにその部屋を離れた。
バールが使えそうな場所に、既に目星は付いていた。階段を降りて一階の豪勢な貴族の部屋。そこにあった木の板を打ち付けて封印された開かずの扉。あの扉の先に何があるのか確かめてみたい。
と言っても、俺はそんなことをしている場合じゃないのかもしれない。イヌヌ、ネココ、コドクとはぐれ、ウラギリは様子がおかしくなり、空気が淀んだこの場所はゴスロリアニマルたちにとって有毒の気体に満ちた牢獄となる。コドクやネココもこのままではウラギリのように半透明になって錯乱状態になってしまうかもしれない。一刻も早く全員を集めてここを離れないといけない。
だが、全員を集めることもままならないどころか、この谷底の森一帯の淀んだ空気のエリアから出る方法すら掴めていない。今のままみんなを探していてもタイムオーバーになるだろう。それならば、今の状況をひっくり返せるような一発逆転の手段を模索するしかない。
俺は木の板で塞がれた扉の前に辿り着いた。そこで、異様なものを目にする。
「こいつは…………」
塞がれた扉の脇に、黒いドレスのマネキンが立っていた。見た限りだと階段を上がったところで待ち構えていたあの黒髪マネキンと同じものだ。
おかしい。絶対におかしい。さっきこの部屋に来た時はこんなマネキンは絶対になかった。暗い室内と言えどあったらさすがに気付く。
思い返せば二階からこの部屋に来る道中、階段の上のマネキンの姿がなかった。ということは、目の前のマネキンはあの階段上のマネキンと同じものというわけか?
誰かが動かしたのか? この屋敷の中を徘徊しているかもしれないイヌヌやネココが? いや、あいつらがマネキンを動かす動機なんてない。ありえない。じゃあなんでマネキンはここに…………
マネキンは今から俺が入ろうとしている塞がれた扉の方を向いていた。その方向を向いていることすらも何か意味があるような気がしてくる。
入ってから何かと不可解なことが立て続けに起こるこの屋敷。俺はもう確信していた――――――この屋敷には得体の知れないなにかがいる、と。
もう何が現れても驚かない。この先に何があっても逃げない。俺は決心してバールを持つ手に力を込めた。
バールを木と扉の間に差し込んで、力を加える。
――ベキベキッ
まずは一枚。音を立てて木の板が剥がれた。続けて二枚三枚と剥がしていく。てこの原理が働いて易々と、果物の皮でも剥くように木の板を外していく。
すべての板を取っ払い、防壁を失った丸裸の扉が姿を現す。俺は扉に手を掛けて奥に開き――――――中に足を踏み入れた。
扉の先には部屋があった。部屋には、何もなかった。あるのは壁に備え付けられた窓と、部屋の中央に落ちている一冊の本のみ。外から射す薄い明かりが黒い表紙の本を照らしている。その本のために存在している部屋のように感じた。
壁も床も天井も黒で塗り潰された部屋。俺は歩を進め、中央に落ちた本を拾い上げる。表紙には何か英文が書かれていたが、かなり砕けた筆記体で書かれていたから読めなかった。
本を開く。中身は俺でも読める言語で書かれていた。目次を見て、それから本文に目を通す。
数分かけてざっと全体を読み切った。この本は主に、俺たちが見た廃れた集落とこの屋敷の関係や歴史について書かれた資料集のようなものだった。
要点をまとめると、まず、集落やこの屋敷にはコドクやウラギリのようなゴスロリアニマルが暮らしていたらしい。屋敷に住む貴族たちの主な仕事は農園の管理。農園はゴスロリアニマルが生きていくのに必要な『人間が食べる食事』を自給自足で賄うために野菜や芋類、果物を栽培しているところだ。集落に住むゴスロリアニマルたちはその農園で労働して生活していたらしい。屋敷と集落に住むゴスロリアニマルたちがお互いに助け合って生活を営んでいた。
以上が本に書かれていた内容の要点だ。他にも細かいことがいろいろ書かれていたが、その中でも余談として一つ、特に興味深かった記述があった。それは、『ゴスロリアニマルの繁殖について』だ。
人間の場合は成人した男女が性交渉をすることによって子供を授かり繁殖していくが、ゴスロリアニマルは少し違う。まず前提として、人間とゴスロリアニマルは生物学的には別の生物であり、そして、ゴスロリアニマルの性別は女性しかない。男のゴスロリアニマルはいない。ゴスロリだから当たり前と言えば当たり前だけど。でも、それだと人間のように男女で繁殖行為をすることはできない。じゃあどうやって女性のみのゴスロリアニマルは繁殖するのか。それは――――
――――成人した人間の男と子供を作る
女性しかいないのだからそうするしかない。違う生物だが体の構造はほとんど同じだからそれが成立するらしい。そして人間の男と性交渉したゴスロリアニマルは必ず、女性のゴスロリアニマルを授かるらしい。
そうやってゴスロリアニマルは細々と種の存続を続けている。俺はこの生態を知って、感動を覚えた。ネココたちゴスロリアニマルは見た目こそ人間と大差ないのに、その繁殖方法はかなりトリッキーだ。人間という別の生物を介した繁殖なんて聞いたことがない。今なら生物学者を目指そうと思えるほどに、生物による繁殖方法の違いに強い関心を抱いた。
だが同時に、一つの疑問が俺の中に生まれた。それは、空気が綺麗なところでしか生きられず人間の住む街に近づけないゴスロリアニマルたちが、どうやって人間の男と出会うのか、だ。直接会わなければ子孫を残す行為は不可能だ。
俺はゴスロリアニマルの視点に立ってみて、どうすれば子供を作れる年齢になった人間の男と接触できるのかを少し考えてみた。そうして一つ、方法を閃いた。それは――――――
――――自分が人間の街に近寄れないなら、人間を自分たちの住む領域に誘い込めばいい。
と、いろいろ余計なことに深く思考を巡らせていると――――
タッタッタッタッタッタッ
小走りの足音が聞こえてきた。ここに近づいてくる。
人間にしては軽すぎる足音だが動物にしては重すぎる。それに音のリズムは二足歩行の足音だ。
俺は異変を察知して咄嗟に開いた扉の裏に身を隠した。何もないこの部屋で隠れる場所と言ったらそこくらいしかない。でも、それゆえに隠れ場所に迷うことなく、すぐに動けた。
息を殺して待ち構える。足音の主がこの部屋に入ってきたら俺は確実にバレるだろう。そうなったら俺は戦うか逃げるか、この二択を選ばざるを得なくなる。
足音が部屋の前でピタリと止まる。俺は待ち続けた。
周囲が静寂に包まれる。自分の微かな鼓動のみが鼓膜を震わせる。俺は心を無にして固まった。
十数秒経過する。部屋には何も入ってこない。俺の全身から嫌な汗が噴き出す。
三十秒ほど経つ。何も入ってこない。俺は待ち続ける。
一分が経過する……………………さすがにおかしい。この部屋に侵入するつもりならとっくに入ってきているはずだ。部屋の前で足音が消えて以降、音沙汰がない。どこか別のところに行ったのか?
俺は慎重に、ゆっくりと部屋の外を覗いた。
「――――ッ!!」
自分の目を疑った。目の前にありえない光景が広がっていた。俺のいる部屋の方を向いていた黒いマネキンが――――――――十体ほどに増えていた。
どれも瓜二つな長い黒髪で黒いドレスのマネキン。そのすべてが俺が逃げられぬように周囲を陣取って行く手を阻み、感情のない水晶の瞳で俺を見つめていた。
ありえない。何が起きた? どうしてこうなった? 誰かがやったのか? 何のために?
あらゆる可能性が脳内を駆け巡る。俺はパニックに陥った。
体温のない冷たい瞳が集まって俺の体が強張る。それでも、ここから逃げなければいけないと全身の細胞が煮え滾るように叫んでいた。
俺はマネキンを押し退けて部屋を飛び出した。そのまま俺は躓きそうになりながらも足を止めず、豪勢な寝室から暗い廊下に逃げ出した。




