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第57話 私の集落 

 背後から獣のような叫び声が聞こえ、俺たちは走ってその場を離れた。幸い、叫び声の主が追ってくる気配はなかった。


 それからしばらく崖に沿って森の中を進んでいると木々が薄くなり、家屋が建ち並ぶ集落に辿り着いた。いわゆる中世ヨーロッパの田舎町のような集落。だが、酷く寂れていて人の気配は全く感じられない。かつては人が住んでいたことが窺える痕跡、小さい雑貨や生活に用いる道具が点在している。決して張りぼてではなく、確かに人が生活を営んでいた村だ。


 廃屋が軒を連ねる村。太陽が沈みかけ、赤い夕陽が廃屋の屋根を情熱的に照らす。人肌を忘れて冷え切ったこの村を照らす。その対比が、妙な焦燥感を駆り立てる胸騒ぎを俺たちに突き付けてくる。


 村に足を踏み入れ、そのまま歩を進める。


「なんか、魔女でも出てきそうだね」


 イヌヌがそう口を開いた。本当にその通り、得体の知れない存在が家屋の隙間からフラフラと歩み出てきてもおかしくない雰囲気。イヌヌにしてはいい形容だった。


 それからしばらく崖に沿いながら村の中を歩き、村の端の方に着いた。この村は背面を崖に預けるような形で森の中に構築されている。


 少し離れた位置に見える崖の壁面には狭く薄暗い洞穴が空いていた。人間一人が何とか通り抜けれる程度の穴。


 ずっと崖の方を見ながら歩いてきたが、崖の上に登れそうな斜面が緩やかなところは見当たらなかった――――――と、急にネココが声を上げる。


「うわッ!? 今あそこに誰かいた気がする! みんな見た!?」


 慌てて声を上げたネココ。その視線の先を見ると、この村にならどこにでもあるような至って普通の小柄な廃屋が建っていた。


「俺は見てないけど…………」

「私も見てないわ」

「ネココのことだしどーせ見間違いでしょ。マタタビが切れておかしくなっちゃったのかな?」


 コドクとイヌヌも見てないと答える。イヌヌはネココに対して当たりが強い。


「絶対いたし。賭けてもいいよ」

「じゃあ見に行こうよ。いなかったら罰としてイズミの足を舐めるんだよ?」


 勝手に俺を巻き込んだ賭けを始めるネココとイヌヌ。


「その罰、俺にとっても罰なんだが…………いや、むしろご褒美か?」


 ゴスロリ少女に足を舐められるのは屈辱的な気がしたが、実はそれは逆で優越感に浸れるかもしれない。


 廃屋の方に駆けていくネココとイヌヌ。俺とコドクも後に続いた。


 廃屋の前に着く。壁はツタ系の植物に張り巡らされていて、屋根にも雑草が茂っている。扉は朽ちていて今にも崩れ去りそうで、ガラス窓は黒くくすんでいる。


 ネココとイヌヌがくすんだ窓越しに室内を物色する。


「おいおい、あんまりじろじろ覗くなよ。ほんとに人が住んでたりしたらどーすんだよ」


 と言いつつ俺も、イヌヌとネココの後ろから窓を覗き込んだ。


 室内は瓦礫や小道具が散乱していていかにも廃墟という感じで、生活感は全くと言っていい程ない。人の姿も見当たらない。


「ほら、やっぱり誰もいないじゃん」


 煽るようなしたり顔でネココの方を見るイヌヌ。嬉しそうなご満悦の表情。


 ネココはそれでも自分の見間違いを認めない。


「隅の方に隠れてるのかもしれない。中に入って確かめよう!」


 廃屋の扉の方に回るネココ。ドアノブをガチャガチャ回したり、扉を押したり引いたりする。だが、扉は開かなかった。


 終いには助走をつけて扉に勢いよくタックルをかますネココ。それでも扉は開かない。


「あーかーなーいー」


 力尽きてへたりと地面に腰を下ろすネココ。


 朽ちた木の扉のくせに、ネココの全体重を乗せたタックルをくらっても壊れる気配はない。中から鍵を掛けられているのか。それとも木の板か何かで開かないように頑丈に補強してあるのか。なんにせよこのままでは中の様子はわからない。


 コドクが一歩、前に踏み出す。


「それなら私が、中に入って確かめてあげようか?」


 そう言った途端、コドクの全身から黒い煙のようなオーラが溢れ始めた。このオーラは、ネココやウラギリが動物の姿になる時に出現したものと同じだ。


 オーラが全身を包み、そして解放される。オーラが消え、コドクの姿も消え、代わりにそこに現れたのは暗い緑の表皮に覆われた蛇だった。サイズはそんなに大きくなく、太さはせいぜい寿司の納豆巻きくらい。


 コドクが蛇の姿に変身した。初めて見るコドクの動物になった姿。コドクの人間の姿の時の体積を考えると、今の蛇の体は異様なほど小さく思える。


「じゃあ、行ってくるね」


 蛇と化したコドクはそう言うと、廃屋の壁の崩れた隙間に頭を突っ込む。そのまま体をうねらせてどんどん隙間に入り込んでいく。コドクの長い体があっという間に壁の隙間の中に消えていった。


「おお、便利だなその体」


 俺は感嘆の声を漏らした。


 もし、自分が蛇の姿に変身できるならどんな使い方をするか考えてみた。


「…………………………」


 考えると、俺の煩悩に塗れた脳みそでは卑猥でいかがわしい使い道しか思いつかなかったから考えるのをやめた。


「コドク! 中に誰かいる!?」


 イヌヌが廃屋に入ったコドクに問いかける。コドクは曖昧な返答をした。


「うーん…………見た感じ誰もいないけど……でも……誰かいるような――――――」


――――俺たちの背後に何か気配を感じた。


 廃屋の外でコドクの声に耳を傾けていたイヌヌとネココもおそらくほぼ同時に気配に気づき、3人同時に振り返る。


 太陽はほとんど沈んだ状態だった。まだわずかに差し続けるオレンジ色の夕日に照らされた薄暗い集落。完全な暗闇と化すのも時間の問題。


 そんな集落の中、俺たちが歩いてきた街道上に()はいた。


 薄汚れた暗い茶色のロングコートを着た大男だ。革製のコートで至る所に擦り傷や穴ができている。頭には赤い布を、頭部全体が隠れるように隙間なく巻いているが、頭から生えた無数の角が布を貫いて鋭利さを放っている。


 赤い布に巻かれて顔は見えず、体格から性別を大()と判断したが、 頭から飛び出た異様な角から、奴がそもそも人間ではないことを察する。


 右手には人の背丈ほどある巨大な斧を引きずって歩き、左手には、鹿の頭を鷲掴みにしていた。大きい角の生えた鹿の頭は頭部より下が歪な断面で切断されている。まだ鮮やかな赤い血液が断面から滴り続けていることから、この鹿が死んでからまだ間もないことが推測できる。


 大男は確実に、俺たちの存在を認識し、俺たちの方にゆっくりと近づいて来ていた。


 心臓の鼓動が早まる。全身の血の気が引く。俺の中で本能が叫ぶ――――――こいつからは逃げろ、と。戦ってはいけないと。


 俺は走り出した。イヌヌやネココのことも忘れて。全速力で。逃げ場は――――崖に空いた穴だ。人が一人通れる程度の狭い穴。


 一瞬遅れてイヌヌとネココも俺の後に続いた。


 俺は誰よりも早く穴の前に辿り着く。振り返ると、青ざめた必死の形相で俺の後を追うイヌヌとネココと目が合う。


 大男は――――――――徒歩で俺たちを追っていたが、それ以上足を速めることはなかった。俺たち()()は無事に崖に空いた穴に逃げ込んだ。



 穴の先に進み、しばらくその先に続く洞窟を走り続けた。入り口は狭かったが、洞窟の中は周りを気にせずに走れる程度には広かった。


 真っ暗闇の洞窟。入り口の穴から射し込む光が届かないところまで来て、俺は振り返った。


 洞窟の入り口状に模られた外の光が遠くに見える。大男が追ってくる気配はなかった。狭い入り口から中に入ることができなかったのかもしれない。


 だが、まだ安心できるほど奴から遠く離れたわけではない。来た道を戻って外に出たら奴が待ち構えているかもわからない。俺たちはこの暗い洞窟を前に進むしかない状況になった。


 一旦、俺たちは荒い呼吸を整えた。そしてネココが不安気に口を開く。


「コドク、置いてきちゃったね…………大丈夫かな…………?」


 蛇の姿になって廃屋に入ったきり、大男との遭遇により別れてしまったコドク。彼女は最後に何か意味あり気なことを言っていたような気がするが、直前の出来事が衝撃で記憶が上書きされてしまっている。


 コドクがあの大男に襲われていないか。それが俺たちの一番の心配だった。


 憂いを帯びた表情のネココに、俺は何とか返答を繕った。


「まあ、コドクにはあの蛇の姿があるから上手くやってるって………………今は、そう信じるしかないな…………」


 ほとんど自分に言い聞かせるようになってしまった。それでもネココは少しだけ安心したようで、俺に微笑みを返した。


 今はコドクを信じて、この暗い洞窟を先に進むしかない。


「っと、そうだイヌヌ」


 俺はイヌヌに目を向けた。


「洞窟の中を明るくする魔法とかないか?」

「うん、任せて! 火の魔法を使うね!」


 そう言うとイヌヌは手の平を上にし、そこに小さい炎が生まれた。これくらいの魔法はお手の物らしい。洞窟の中が仄かに照らされる。


 イヌヌの炎魔法を光源にし、俺たちは大男から距離を取るため洞窟の奥へと足早に進んだ。


 洞窟の奥は静寂に満ちていた。頼りない光源と共に進むと、高い段差に行く手を阻まれた。俺がジャンプして手を伸ばしても段差の上には届かない。それくらい高い段差。これを登らないと先に進めない。


 さて、どうやって登るか。


「あっ、そうだネココ。お前猫の姿になればこれくらいの段差、飛び越えられるだろ。猫の運動能力凄いし」


 俺の提案にネココが答えた。


「うーん、たしかに猫の運動能力は凄まじいけど、その中でも僕は運動能力ない方の猫だから。ちょっと厳しいかな」

「………………使えな……」


 イヌヌが辛辣な罵倒をネココに浴びせる。当然ネココがそのまま黙っているはずもなく、


「なんだよ! お前だってどうせ役に立たないくせに!」

「え? 役に立ってるけど? ほら」


 そう言って手の平の炎をゆらゆらと揺らすイヌヌ。意地の悪い笑みを浮かべている。


「いちいち喧嘩すんなよ……めんどくせぇ…………」


 なんで俺が仲の悪いこいつらのおもり役みたいな役回りになっているんだ。そういうのはコドクやナルミさん辺りに任せたいんだけど。


 とりあえず、頭に浮かんだ別の案を進めることにする。


「あー、ネココ。飛び越えられなくてもいいから一旦、猫の姿になってくれ」

「ん? りょーかい」


 そう言うとすぐに、本当に一瞬で黒猫の姿に変化するネココ。


 俺はその黒猫を抱きかかえ、持ち上げ、


「ネココ、上に放り投げるからな。着地しろよ!」

「えっ? どういう――――」


 困惑気味のネココを無視し、そのまま勢いで段差の上に放り投げた。


「うわあぁぁあッ!!」


 宙を掻くように足をジタバタさせる黒猫。相当焦っている。しかし流石は猫。最後は段差の上で綺麗に着地を決める。


「お、いい着地だ」

「ちょっと! 投げるならそう言ってよ!」


 段差の上でご立腹のネココ。


「あー、悪かったな。じゃあ人型に戻ってくれ」


 俺は適当にあしらって、ネココに次の指示を出す。素直に従うネココ。


 今度は俺が、段差に背中を預けるようにしゃがみ、二人に指示を出す。


「イヌヌ。俺が足場になってお前を上に押し上げる。ネココは上でイヌヌを引き上げてくれ」

「………………」

「………………」


 なにも喋らず無言の二人。


「ん? どうしたんだ?」


 イヌヌとネココは仏頂面で呟いた。


「こいつは信用できない……突き落とされるかも……」

「引きずり降ろされるかも……」

「おいおい勘弁してくれよ……今は争ってる場合じゃねえだろ。協力しろよ…………」


 呆れて俺はそう呟くと二人は顔を見合わせ、しょうがないといった感じで渋々従った。


 俺がイヌヌを押し上げ、ネココがそれを引き上げる。段差を登ったイヌヌ。あとは俺だけだ。


「あとは、俺を頼む」


 段差の下にいる俺の方に手を差し出すイヌヌとネココ。俺はその手を掴み、二人に引き上げてもらう。


 そうして何とか、仲の悪い2人と俺は段差を超えて先へと進んだ。



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