第52話 密林に咲く黒い花
自宅に押し入ってきた大勢の人混みに飲まれてから約一時間。俺は半ば意識を失いかけていたが、何とか助かった。次第に人混みが捌けていく。
俺はまだ朦朧とする視界で辺りを見回す。隣には同じく目を回したイヌヌが倒れている。そして俺たちは――――――人気のない森に流れ着いていた。
「どこだ…………ここ……」
自宅にいたはずなのに人の波に流されて、いつの間にかこんな森の奥まで運ばれていたらしい。森の中は乾いた熱気が漂っていて少し熱い。
「あれ? ない!? ないぞ!?」
隣でダウンしていたイヌヌが目を覚まし、何か慌てている。
「どうしたんだイヌヌ?」
「あれがない! イズミの恥ずかしい瞬間を捉えた動画を撮ったスマホがない!」
「あー。あれか」
俺の恥ずかしい瞬間とは、俺が相手を間違えて可愛い配達員のお姉さんに怒号を浴びせてしまったあれだ。
「あぁ、無くなってよかった」
俺は天恵に感謝した。
「まあしょうがないか。あれはイズミの失態を収めるためだけに買ったスマホだし」
「なんでそんなモン用意してるんだよ!…………っていうか、今のは何だったんだ? 急に大量の人が家に入ってきて…………それに、ここはどこなんだ?」
「んー、現在地はわからないけど、さっきの人の集団はゲーム『メイクサードシティ』でバグが発生して、街の人たちが自分の意思とは関係なく暴徒化してしまったものなんだ。浜辺に押し寄せる波のような様は、そう、言うなれば人波ッ!」
「そのまんまだな」
上手い事を言った風を装って何も上手くないイヌヌ。
「とりあえず、この森を出る方法を探してみようよ! 行こうッ!」
元気な掛け声を上げて歩き始めるイヌヌ。俺は一刻も早く自宅に帰ってゆっくりしたい一心でイヌヌの後を追った。
そうしてしばらく森の中の砂道を進む。すると、木々の隙間から巨大な人工物が見えてきた。何かの建物らしい。
さらに進むとその建物の全容が明らかになった。
近代的で巨大な建物。街の映画館二つ分くらいの体積を誇る建造物で、その外観から建物の存在意義を推察するのは不可能に近い。とにかく、ガラス面が多くて平らな板を斜めに被せたような屋根のモダンな建物だ。木々に囲まれた森の中で突然姿を現した。
俺たちは歩みを止めずに建物の正面入り口に向かった。入り口の自動ドアが開く。外の熱気に抗う冷気が溢れ出てくる。俺とイヌヌは空調の効いた建物の中に足を踏み入れた。
屋内は照明や配色が全体的に暗く、落ち着いた雰囲気の空間になっていた。長ベンチやガラスケースに入った何かの展示、動物の剥製などが飾られていて、暇を潰しながらゆっくりくつろげる内装に仕立て上げられている。差し詰め、博物館の休憩スペースといった感じだ。
「ここは何なんだろうな」
「ね」
誰もいない屋内空間で俺とイヌヌはキョロキョロと辺りを見回していると――――カツカツ、と何者かの足音がこちらに近づいてくる。
足音がよく響くタイルの床。足音の数は一人分ではなかった。俺はイヌヌと同時に足音の方へ振り返った。
「――――ッ!? あなたは…………」
足音を鳴らして歩いてきたのは、成人男性としてはありえないほどに低い身長で、されど子供ではなく絶対に老人だろうと見て取れる風貌のお爺さん。表情は腸内環境に優しそうな柔和な微笑みを浮かべていて、服装は黒いスーツを着てシルクハットを被っている。
俺は一度、過去にこのお爺さんと会っている。その時とは服装は違うが、それでもあの柔らかい表情だけ見れば誰なのか一瞬でわかる。レストラン・タシマの店長、田島さんだ。
田島さんの一歩後ろには、同じくレストラン・タシマで出会ったパンカス姉さんことナルミさんもいた。あの時とは服装は違うが、相変わらず口元にパンカスが付いているところは変わらない。あの時は後ろに束ねていた黒い長髪は下ろしていて、探検家が被りそうなハット帽を被っている。服装も探検家のような砂色の服を着ている。
ナルミさんが俺たちに声を掛けた。
「イズミさん、イヌヌさん、またお会いしましたね」
「ナルミさんと田島さん…………どうして二人がここに?」
俺は思ったことをそのまま聞いた。相変わらず田島さんは優しい微笑みを浮かべるばかりで口を開くことはなく、ナルミさんが質問に答えた。
「この場所は自然動物保護区になっていて、田島さんはレストラン・タシマの営業と並行してこの保護区の管理運営もしているんですよ」
レストランと保護区運営の両立。田島さんって無口な割に結構器用なんだな。
あと、ここは『自然動物保護区』らしい。
「この保護区は『アニマルゴスロリランド』と呼ばれています。ここでの仕事は希少な動物を保護、育成して現存の生物間の生態系に歪みが生じないようにバランスを整えることです。そして、この保護区では希少動物の保護を実践できるゲーム、『アニマルゴスロリランド』がプレイ可能です!!」
「ゴ、ゴスロリ…………?」
動物を保護する場所ということから「アニマル」と「ランド」は理解できるが、「ゴスロリ」はどこから来たんだ?
たしかゴスロリはゴシック・アンド・ロリータの略で、黒を基調とした暗く退廃的な衣装にレースやフリルを加えたゴシックファッションとロリータ、つまりは少女を融合させたものだ。
「なんでゴスロリ?」
「この保護区では動物とゴスロリ少女が共存しているんです!」
「いや意味わかんねぇよ」
聞いてみたけどわからなかった。
この森の中に普通の動物とゴスロリ少女が生息しているという認識でいいのだろうか。
「とにかく! このゲームでは環境保護のため、保護区内にいる希少な動物を3種ほど、写真を撮った後に捕獲するのがイズミさんのミッションです。私も同行するので一緒に頑張りましょう!」
明るく声援を飛ばすナルミさん。俺がゲームをプレイすることを前提に話を進めているけど、
「ちょっと待て、俺は家に帰りたいんだ。ずっと立て続けにゲームをクリアしてきてもう疲れたんだ。少し休ませてくれ。ここにはまた後日来るから…………」
やる気充分のナルミさんに、俺は申し訳なさを感じつつも断りを入れたが、
「行こうよイズミ! アニマルゴスロリランド!!」
「レッツゴーです!!」
イヌヌとナルミさん、二人の元気な掛け声に俺の思いはかき消された。
§
俺、イヌヌ、ナルミさんの三人で保護区の中心拠点だった建物から外に出た。建物と隣接したガレージで屋根がない四輪駆動のオフロードカーに乗り込む。迷彩柄の車体は森の中に溶け込むカモフラージュになっていた。
田島さんは拠点に残ることになり、俺たちは三人と頼れる迷彩車一台と共に深い森の中に踏み入れた。
舗装されていない砂利道、車内で左右に揺られながら密林を突き進む。運転はナルミさんだ。
森に入ってから体感2分ほど経った頃、ナルミさんがブレーキをかける。急に止まる車体。後部座席に座っていた俺とイヌヌは慣性の力で前のめりになり、ほぼ同じタイミングで前の席に顔面をぶつけた。
「いっ、てぇ~…………どうしたんだよナルミさん?」
俺は潰れた鼻を押さえながらナルミさんに尋ねた。
「あそこに…………」
前方に目線を向けるナルミさん。俺も同じ方に目を向けると、
砂利道のど真ん中、俺たちの進路を塞ぐような形で黒い猫が寝そべっていた。体を伸ばした状態で横になり、俺たちの存在には目もくれずに盛大な欠伸をかましている。
「さっそく珍しい動物を見つけましたね!」
ナルミさんが元気に言い放つ。
「猫なんて珍しくねえだろ。路地裏を歩いてればすぐ見つかるぞ」
俺の反論に答えることなく、ナルミさんは小柄な肩掛けバッグの中を漁り始めた。中から、ごつごつした重量感のある一眼のカメラと、同じくごつごつした重量感のある太い筒状のランチャーを取り出す。
カメラはともかく、あの小さいバッグからなんであんなに巨大なランチャーが出てくるんだ。
「そのバッグは四次元ポケットかよ」
「はいはい、それじゃあこの一眼――――」
「てきとーにあしらうのやめろよ! 俺のツッコミってそんなにめんどくさい感じなのか!?」
「まぁまぁ落ち着きなよイズミ。たしかにイズミのツッコミはめんどくさいことこの上ないけど」
俺のツッコミにてきとうな相槌を打つナルミさんと、なだめる気があるのかないのかよくわからないイヌヌ。
俺に話を遮られてしまったナルミさんが引き続き説明をし始める。
「それでは、動物の保護活動を始めていきましょう! 保護の工程は三手、私たちもちょうど三人いるのでそれぞれ役割を分担しましょう。そうですね…………では、イズミさんが動物の撮影を、私は一番難易度が高いこのネットランチャーを用いた動物の捕獲を担当します。イヌヌさんは捕らえた動物に命名をお願いします!」
「命名って役割いるか……?」
「じゃあ、猫が逃げないうちにさっそく始めましょう! イズミさん、これをどうぞ」
そう言ってナルミさんが俺に渡したのは先程バッグから取り出した一眼カメラだった。俺が任された仕事、動物の撮影のために必要なアイテムだ。俺はその重くて高級そうなカメラを慎重に受け取り、ストラップ紐を首にかけた。
道具を揃えた俺たちは仕事に取り掛かる。




