第13話 再就職
魔王の胸を貫いた刃が引き抜かれる。口と、胸に空いた穴から血が噴き出す。
俺の首を締め上げていた魔王の手の力が緩み、俺は解放される。硬い石畳に打ち捨てられた。
空気が体内に侵入して潰れた喉を押し広げる。その反動で俺はみっともなく咳き込んでもがいた。
「貴様、何者だ?」
平静を取り戻した魔王が振り返って背後の者に問う。
「今はまだ何者でもない。だが、いずれ最強になる男だ」
この声、どこかで聞き覚えが……
「おい、ピンク髪。いつまでそんなところで寝っ転がっている」
「――お、お前は……!」
黒いコートに黒髪の青年。こいつは…………
「砂漠の村にいたイタいやつ!」
「俺の名はテリヤだ」
テリヤと名乗った青年は血に染まった刀を振り払う。
「貴様は、この城に何の用だ」
冷淡かつ厳格な魔王の声。
「わかってんだろ? お前を殺しに来た。世界を支配する存在、魔王。お前を殺せば、俺はこの世界で最強だ!」
「世界の広さを知らないな。己の醜い欲に溺れた名もなき男よ」
吠えるテリヤと、それを野良犬を見るように哀れみを含んだ目で見下す魔王。
「俺は強くなりたい………………。教えてやるよ。己を変える一番有効な術は、己の欲に従うことだ!!!!」
テリヤは刀を振り上げて魔王に切りかかる。魔王は振り払った腕から放たれる深紅の斬撃で剣戟を弾き返す。
テリヤの攻撃に気を取られた魔王。その背中に俺は視線を定める。ガルムを構え、思いっきり振り切って魔王の背に会心の打撃をくらわす。
これにはさすがの魔王も呻き声をあげて前方によろめく。テリヤが追撃に走る。迫る刃を上に跳んで躱す魔王。二度目の不意打ちを食らうほど温い相手ではない。
俺たちと距離を置いたところに着地する魔王。
「おい、あんた名前は?」
俺の目を見て問うテリヤ。
「俺はイズミ。あっちで死んでるのはイヌヌだ。――――おーい! 起きろイヌヌ!」
俺の声に反応して、ガバッと上半身のみ起き上がる。
「イズミ、イヌヌ。さすがの俺でも一人では奴に太刀打ちできない。手を貸してくれ」
「さすがのって、お前の強さは精々ゴブリンが狩れる程度だろ」
「――――茶番は終わりだ」
冷ややかな瞳で両手に炎をたぎらせる魔王。
魔王が炎の両手を床に叩きつける。ひび割れた地面から炎の奔流が噴き出して、炎獄の大蛇のように俺たちに迫る。大蛇が俺とテリヤの間を駆け抜け、二人を隔たらせる炎の障壁と化した。
一人になった俺に走り寄る魔王。魔法で、輝く氷塊のハンマーを錬成しながら。
「くそっ、分断されたな」
人数有利の状況を瞬時に覆す魔王。戦闘慣れしていると窺える。だが同時に、魔王は俺たち3人との人数不利な戦いが危険だと判断したとも推察できる。俺たちと魔王の力量は存外大差ないのかもしれない。
魔王の振り翳した氷塊の槌が迫る。ガルムで対抗する。が、力量的に魔王に分がある。氷塊の連撃を、直にくらわないようにするだけで精一杯だ。このままでは…………
「――ッ!!」
燃え盛る炎の壁の奥から、翠色の閃光が飛び出す。俺を一方的に追い詰めていた魔王。その右目を閃光が射貫く。
呻き後ずさる魔王。眼球には一筋の矢が突き刺さる。
「こ、これはッ!!――――」
「――――テール=ウィンド!!」
続けて、高らかなイヌヌの声が。同時に炎の壁の一部が湧き立つ暴風で搔き消される。その奥から翠色の弓を携え、疾風の刃を纏ったイヌヌの姿が。
「イヌヌ!!」
ニヤリと、したり顔を向けるイヌヌ。その隣を黒衣の男が駆け抜ける。
テリヤが狼狽える魔王に近づき、包帯の巻かれた右腕の掌を魔王の腹に突き付ける。
「くらえ!! バックラッシュ=ボルト!!!!」
テリヤの腕が青白く光る。掌にわずかな、静電気の上位互換程度の電光が生じる。バチッ、と不快な音を立てる。
声を漏らして吐血する魔王。相変わらず見映えのしないテリヤの魔法だが、思いの外効いている様子だ。
「テリヤ下がって! 特大攻撃魔法を使うよ!!」
イヌヌが声を上げる。テリヤはそれに従い魔王と距離を置く。
「穿て! イナの心臓!!」
「き、貴様ら…………」
イヌヌが弓を構える。引き絞った弓弦につがえられた薄紅色の光の塊。中心程、エネルギーが凝縮されるように光が強まる塊。放たれて、宙を飛んで二つに分裂する。そして、綺麗な弧を描いて――――俺とテリヤの頭に命中する。
小石を投げつけられた程度の痛みが頭に響く。
「いて…………おい! どこ狙ってんだよイヌヌ!」
「あー、ごめんごめん!」
「しかもくっそ弱いじゃねえか! 何が特大魔法だよ!」
俺が声を荒げるも、悪びれる様子もなく笑っているイヌヌ。それが余計に怒りを増幅させる。
「てめぇ…………」
俺はガルムを振り上げる。そのまま、怒りを乗せて魔王の頭に振り下ろす。頭蓋が割れる音が鈍く響く。続けて、テリヤも刀で魔王を斬りつける。
俺とテリヤで、イヌヌの暴挙にキレた勢いに乗じて魔王を圧倒して打ちのめす。魔王の体が斬痕と打撃痕に染まっていく。
俺たちの隙を見て身を引く魔王。オーバーヒートした壊れかけの機械のように白い煙が口から漏れ出している。精神を保つのも限界に近そうだ。
「もうじき終わりそうだな」
片膝をつく魔王を煽るように見下ろして吐き捨てるテリヤ。苦しそうに己の胸元を握り締めた魔王が、不気味に口角を上げた。
「あぁ、そろそろ遊びは終いだ」
「――っ!? 何だ?」
薄らと魔王の体からどす黒い気体が湧き始めた。メキメキと音を上げて魔王の上半身が膨れ上がり、スーツが張り裂けそうになる。次第に肌が黒く染まっていき、羽化するサナギのように全身が異質なものに変容していく。
頭部に生えていた角は肥大化、口から牙が剥き出す。顔には赤い紋様が浮かび上がり、眼球も肌と同様に黒く変化する。
膨張した筋肉がスーツを突き破り、隆々とした漆黒の上半身が姿を現す。口から吐く息も黒くなり、全身を黒いオーラに包まれた、完成した魔王がそこに現れた。
何より一番の変化は視覚的なものではなく、魔王自身が滲みだす異様な存在感。その重圧のみで付近の小動物を絞め殺せそうだ。胃袋を締め上げられるような感覚。この感覚だけでわかる。魔王が『覚醒』したと。
ゆっくりと立ち上がる魔王。これはまずい――――――




