プロローグ【始まり】
ある日突然、誰かと入れ替わる。一日ならまだしも、一生ってなったら考えたくないよな?俺はそれを体験した。それも、入れ替わりたくない奴と入れ替わった。巡分満帆だった人生が一瞬にして地の底に落ちた気分になり、積み上げてきた物が崩れ落ちる音が耳に残る。神が居るなら、そいつは邪悪な悪魔……邪神だって言い切れる。
* * *
朝日 陽――俺は、高校一年の夏を迎えようとしていた。春が終わって、クラスメイトとの仲も安定してきた時期。
「おはよう」
「おはよう朝日!」
「寝坊か?朝の日差しが苦手なのか?朝日の癖に」
「くくっ……くだらねえ!なのに笑っちまったぁ!」
いつも通りの朝。気持ちの良い挨拶をすれば、皆が同じように挨拶を返してくれる。この二か月ちょっと、俺が築き上げた人間関係故の『いつも通り』である。
「雨夜おはよう」
自然を装い、挨拶を交わした相手は、雨夜 陰だ。雨夜はビクッと体を震わせ、机に置いてたプリントに一瞬手を伸ばす。だが、すぐに手を引っ込めて横目でこちらを見た。
「おっ、おはよう……」
「そのプリント、課題だっけ?確か英語の」
「そっ、そうだよ……」
「やべえ、俺やってないわ。雨夜は?」
「まだ……半分しかやってない。半分でよければ、見せるけど……」
「まじ!?ラッキー!なら俺がもう半分やっとくから、後で見せるよ」
「あっ、ありがとう」
「五時間目の英語までに間に合わせる」
チャイムギリギリまで雨夜と会話を交わした俺は、課題のプリントを受け取って自分の席へ急ぐ。雨夜は俺を横目で見ると、すぐに目線に困ったように机の仲を漁りだした。
あんな風に仲良さげに話していたけど、雨夜はまだ俺に心を開いてくれていない。最初なんて挨拶すら返してくれなかったけど、時間を掛けて今レベルの会話をしてくれる仲にはなった。
「また雨夜にプリント見せてもらうのかよ。ずりーぜ陽。俺にも見せろよ」
席に着くと、親友の祐介が前の席から振り返って話し掛けてきた。
「雨夜に言えよ。俺はもう半分見せるから公平だけど、お前は何もしてねえだろ」
「まさかさ、プリント見せてもらう為に毎日雨夜に話しかけてんの?」
「は?」
別にそんなつもりなかったが、悪事を咎められたような感覚が走った。
「いや、お前大親友の俺含めて友達いっぱいじゃん?クラス一の人気者……俺としても自慢の友達。なのに何で雨夜に話しかけてる?もしかしてだけどさ、クラスに馴染めてない雨夜可哀想……とか思って話しかけてる?馴染めない雨夜に接する俺かっけええ的な?」
「何だよそれ。そんな風に思っていたのか?」
俺が嫌そうに目を細めると、祐介は身を引いて同じように細い目線を返してきた。
「俺は思ってないが、思われても仕方ないと思うぜ。それに、俺としてはあんな奴に時間を使って欲しくない。俺はあいつから朝日に話しかけてきたことを見たことがない。そんな受け身の奴に時間を使わないで、俺や彼女、お前の為に動いてくれるような奴に時間使え。親友からのアドバイスだ」
「何だよ……ただ俺の為を思ってかよ。お前がそう言うなら身を改めもないが、いくら何でも雨夜をあんな奴扱いは酷くないか?」
「お前、雨夜が友達と話してる所見たことないの?あいつ慣れた相手にはすげえ態度でかくて意地悪いんだぜ」
「え?」
その話を聞いた俺は、横目で遠くに居る雨夜をチラ見した。俺から見た雨夜は、親切で引っ込み思案って感じだから、祐介の言葉を聞いて耳を疑った。
「クラスの半数以上は察しがついてる。お前、この前雨夜が友達に嫌がらせ受けてるって言ってたけど、きっと雨夜が先に何かしたんだろうよ。それに、すぐに仲を戻してたろ?ああいう奴ら、陰キャとかいうらしいけど、多分質の悪い陰キャだな。俺らのクラスはいじめとかないし、カースト制度みたいなのあんまハッキリしてないけどさ、下の方はハッキリしてるだろ?皆優しいから口にしないけど、関わりたくないぜ俺は。だからお前にも関わって欲しくない。その内トラブルに巻き込まれるぜ」
「まあ、雨夜が性格悪いとかは自分の目で確かめるけど……親友のお前さんの方が大事だから、その意見を無視したりしねえよ」
「どうも。ということで後で課題見せて」
「やっぱ聞かなかったことにする」
祐介が俺を心配してくれているのは、本来とても有難いことなのだが、その有難みの実感はあまりなかった。それはきっと、俺のしていることを否定されたからなのだろう。
* * *
四時間目を終えて昼休みを迎える。
俺のお腹はペコペコで、考えるより先に手が動いていた。お弁当袋からお弁当を取り出し、上着を脱いで食事の準備を整える。
「あっ!忘れてた!今日は梨乃と食べる日だった!」
だが、彼女との約束を思い出してその場を立った。
「俺は覚えてたけど敢えて言わなかった。行ってらっしゃいの代りにこの言葉を送ろう……死ねリア充!」
「朝日ヒューヒュー!二度と帰ってくんな色男!」
「茶化すな!今度梨乃の女友達紹介してやるから」
「「「ひゃほーい!」」」
「朝日大好き!」
「抱いて陽!」
「これだから朝日は憎めないぜ」
「つっ込むのもめんどくせー。行ってくる」
鬱陶しい男子高校生のノリを無視し、駆け足で教室を出て廊下を突っ走る。そして、学校を出て中庭にあるベンチに目を向けた。彼女との待ち合わせ場所はこのベンチだが、相手はまだ来てないらしい。
「わあっっ!」
「うわあ!?」
背後から脇を触られたことで、驚いて持っていた弁当を手から放してしまう。弁当は落ちた衝撃で箱が空いて地面に散らかった。
「ああ……ごめんね陽」
背後から驚かせてきた女――梨乃は、目と口を引きつって困ったように身を縮めた。
「今日はエビフライだったのに……」
地面に散らかったエビフライは、砂が付いてて蟻達が盗もうとしている。今日一ショックの出来事で、すぐに立ち直ることは出来ない。
「お母さんがせっかく作ったお弁当を……ごめん。マザコンの陽にはショックが大きいね」
申し訳なさそうに謝る梨乃だが、内容を聞けば申し訳なさが嘘だと分かる。
「この状況で俺を煽るかよ」
「まぁまぁ!起きたことは仕方ない!」
「それお前が一番言っちゃダメなセリフだ」
「私のお弁当半分こしよっ」
「……嫌いな物よこすなよ?」
「大サービス!選んでいいよ」
「やったー!」
散らかった弁当を片付け、梨乃と一緒にベンチに座る。
「あれ陽?もしかして箸も砂だらけ?あれれ?」
「拭けば大丈夫」
「拭かない方がいいよ」
梨乃はそう言ってお弁当の具材を一つ取り上げた。箸で挟んでるエビフライを俺に向け、何か揶揄うように事を待っている。
「まさか食べさせてくれんの?」
「期待してた癖に」
「まあな。実はこれを狙ってお弁当を落としたんだ」
「だとしたら最低だね」
「冗談だって!」
「ははっ!分かってるって」
無邪気に笑った梨乃は、俺の口にエビフライを持ってくる。俺はそれに甘えてエビフライを口にした。美味しいエビフライ、大好きな人、素敵なシュチュエーション、全てが揃っているから味わえる圧倒的快感が俺の口元に走る。
幸せってのは、実感することで初めて幸せになる。
「ふふっ、絵に書いたようなニヤけた顔。陽控えめに言ってきもいよ」
「……」
俺はそのきもい表情で梨乃に笑いを返す。
「ん?」
同時に、俺も梨乃の目の前を雨夜 陰が走り去って行った。その時の雨夜は、ワイシャツがくしゃくしゃで、顔は泣いているようにも見えた。下を向いたまま突っ走て行き、踵を踏んだ靴で地面に落ちていたエビフライと蟻を踏み付けた。
「今の陽のクラスの子じゃない?」
「うん。雨夜だ。急いでたようだし、家に忘れ物でも取りに行ったのかな?」
「泣いてなかった?」
「え?いっ、言われて見れば……」
* * *
お昼ご飯を食べ終え、教室に戻る途中、友達の一人が俺を見て駆け足で近寄って来た。何か大事があったような表情だ。
「朝日、雨夜見なかったか?」
「雨夜なら中庭で見たけど……どうして?」
「さっきトラブルがあってな。色々あって、祐介が病院に向かった」
祐介は俺のことを気にかけてくれている親友だ。今日も雨夜の件で気にかけてくれたし、俺を思って心配してくれた。
「色々って……詳しく教えてよ」
「いや、起きたこと自体は大したことないんだけどさ、祐介の傷が結構やばくて。なんせやった場所が目だからさ」
「目?どんな風に怪我したんだ?」
「箸が思いっきし目に刺さったように見えた。今日は病院に行くだろうから、今度直接見ないと傷の深さは分からないけど」
「箸で目を?何で?」
「雨夜が友達と揉めて、それを止めに行った祐介が怪我を負ったんだ。席を立って止めに行った時はびっくりしたけど、今考えれば祐介らしくないよな。あいつ雨夜グループに関わりたくないって言ってたし、似合わないことした結果、怪我負わされるって最悪だよな」
「祐介がそんなこと……」
俺もびっくりだ。祐介は面倒ごとを避けるタイプだし、今日も雨夜と関わりたくないと言っていたから、似合わないもいいところだ。それとは別に、祐介の目の状態が心配だ。
教室に戻ると、よどんだ空気が流れているのが分かった。雨夜の机には食べかけの弁当が置いてあり、椅子にはくしゃくしゃになった課題プリントが置いてある。
クラスメイトに聞いたところ、雨夜が課題プリントを友達に見せなくて、それをきっかけに友達と揉めたらしい。傍から見たらしょうもないことのように思えるが、その場に居なかった俺には深い所までは分からない。
「朝日!お見舞いか?」
下校の時間になり、真っ先に教室を出ようとした俺は、友達に引き留められて足を止める。
「うん。ちょうど部活も休みだし、祐介の顔見ないと安心できない」
「俺達も掃除終えたら行く。先行っててくれ」
「分かった」
そう言って教室を飛び出して病院へ向かう途中、俺は雨夜と出会った。雨夜は涙が乾いたような表情で下を向いており、信号を渡りきった所だった。
「雨夜!」
反射的に声が出た。雨夜は俺に気付くと、ビクッと肩を震わせて足を止めた。
「朝日?」
「あっ……ちょうど良かった。今から祐介のとこ行くんだけどさ、お前も一緒に――」
「俺は悪くない!!」
雨夜の声で、思わず足を止めてしまった。すぐ近くに居る雨夜だが、何だか遠くに居るような感覚で、俺と雨夜以外が景色に溶け込んでいるように見える。
「いや……そうじゃなくて、お見舞い!祐介のお見舞いだよ!話は聞いたけど、俺は雨夜が悪いと決めつけてねえよ。後で細かい話は聞くつもりだけど、今は一緒にお見舞いに行かない?」
その言葉が雨夜の警戒心を解くに必要だと信じ、再び足を前に運ぶ。だが、それがダメだったのか、雨夜もそれに合わせて身を引いた。
「ほんとは怒ってる癖に……とゆうか怒っていて欲しかったよ」
「え?」
雨夜は体を震わせ、目を泳がせたまま俺から逃げるように振り返って走り出した。
「バカ!赤信号だ!雨夜!」
横断歩道は赤信号で、車が突っ込んできている途中だった。雨夜が歩道から道路に出たばかりで、車はすぐに止まれない。ヒヤッとした感覚と共に走り出し、雨夜の背中を強く押す。
「あっ」
凄いな。俺も車のボンネットも一瞬にしてへっこみ、清々しい程高く吹っ飛んだ。痛いとか苦しいという感覚もそうだが、それ以上に心地いい感覚が俺の全身に駆け巡った。周りでギャーギャーわめいているのが聞こえるが、何言っているか全然分からない。
「あっ……雨夜……」
血で濡れた瞼を開き、横目で雨夜の方を見た。
「朝日……」
雨夜も巻き沿いを食らったようだ。俺同様、地面に倒れて苦しそうにしている。
「「……」」
目が合ったその時、まるで鏡を見ている気持ちになった。よどんだ雨夜の瞳は、何だか痛みとは別の意味で苦しそうに見えた。
「助けて……」
「な……何て……?」
確かに雨夜の口から聞こえた。
「助けてなんて言っていない……一度だって……朝日 陽……」
雨夜のその言葉が耳に、涙を流した表情が目に、酷くこびりついた。それが何だか苦しい気がして、無意識に涙が出た。