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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

66人目のお兄様

作者: 明日




「ここが……」

 子供は目の前の小屋の一種異様な雰囲気に立ち尽くす。何の変哲もない山小屋のように小さな小屋、ではあるがその壁は通常の木製の壁ではない。

 近寄って恐る恐ると触れば柔らかい。もう少しだけ押し込めば、指がめり込み、ひび割れ、中から白いふっくらとした生地が姿を見せた。

 ひび割れた壁をほんの小さく千切り、口に運べばそれは食べ慣れた黒パンよりも柔らかく、甘い白パン。


 見上げた屋根は玉子と小麦の菓子。窓枠にはまった透明な板は白砂糖の結晶。

 磨き抜かれた硬質な窓を舐めれば、今まで感じたことのない甘さが子供の脳天を突き抜けた。


 子供は確信し唾を呑む。

 噂は本当だった。この季節の霧に紛れ、森の中を歩いた先にあるという小屋。

 それはとある街の、子供たちの間だけに伝わる伝説。

 子供たちが宝探しのように手分けして探せば、応えてくれるという甘いお話。


「……お菓子の家は、本当にあったんだ!」


 喜び叫び、そして壁のパンに齧り付く。

 何日ぶりのきちんとした食物だろうか。飲み込む度に腹が重くなり、枯れ枝のような腕の先にまで何かが伝って満たしていく。

 壁をもぎ取り夢中になって口に運ぶ。食べても食べても何故だかなくならず、決して向こう側が見えないことも不思議に思わず、子供はひたすらに。

 

 砂糖のまぶされた甘いパン。

 それは子供たちのごちそう。


 夢心地に浸り続ける子供の耳に、チョコレートの扉を開いた音が、微かに届いた。





「僕、こんな美味しいもの食べたの初めて!!」

「そうかいそうかい」


 子供を家の中に招いた老婆は、机の正面に座った小さな子供を慈しむように見る。

 その手で撫でる机の天板はクッキー。もちろんそれは実際に食べることが出来るもの。老婆が撫でただけ表面は崩れ、細かな粉が手の皺に詰まった。

 椅子はマカロン。壁のランプは飴細工。

 子供は長い匙を使い、甘い玉子のプディングを掻き込むように口に運ぶ。桜桃の乗ったプリンには甘いクリーム。口直しに飲むのは牛乳。少しだけ違う味がほしければ、林檎のコンポート。


 山のようなお菓子が子供の目の前に並べられる。

 子供は、まるで夢が続いているかのように思えた。



「そうかい、木こりの……」

「うん」


 子供は老婆に自身の身の上を話し出す。

 それは聞くも無残で気の毒なお話。

「妹はまだ小さいから、きっと大丈夫なんだ。だから僕一人が」

「元気をお出しよ。人間生きてれば、いいことあるからね」

 

 子供がこの森を訪れた理由は簡単だ。

 今年の冬は厳しく、森の実りが少なかった。もともと木こりを営んでいた彼の両親はいつもの通りに働いたが、段々と高価になってゆく食料品にその稼ぎは追いつかない。働けど働けど日々蓄えは減っていく。

 朝食べるパンが一欠減り、半分になり、そのまた半分になる頃、ようやく両親は決意した。

 食べ物を増やすことは出来ない。このままでは家族全員が飢えて死ぬ。

 なら、簡単だ。話は至極簡単だ。

 食べる口を減らせばいいのだ。それも、稼ぎに影響がない口を。


 一昨日の夜、両親がその相談をするのを布団の中で聞いていた子供は覚悟した。

 妹を守らなければ。自分が行かなければきっと代わりに妹が死ぬことになる。まだ乳飲み子の彼女が、森に置き去りにされ狼やそれよりも怖い野獣の餌食になる。そんなことはさせられない。


 昨日の朝。子供は両親の仕事に付き添うよう、森の中へと連れ出された。

 そしてパンを一欠片渡され、『ここで待っていろ』と言われた。


 両親は森の中へと消えていく。木こりの仕事のために。そこまでは、たしかにそのために。


 子供はわかっていた。両親が迎えに来ることはないのだ。

 帰り道もわからない深い森の奥。そこで自分は死ぬことになる。獣に襲われるか、それとも飢えて倒れて死ぬのか。


 必ず迎えに来ると父は言った。

 その父を見送る子供は、その背を見つめて笑っていた。



「でもここに来たからには安心だからね。見てごらんよ、お菓子ならそれこそ食べきれないほどあるからね」

「ありがとう、お婆さん」

 

 ただ子供は、森で行き倒れることを選ばなかった。

 縋ったのだ。子供たちの中でしか話されていない、お菓子の家の伝説に。そして探した。森の奥深く、霧に巻かれて探した先にある、食べきれないほどのお菓子が待つ家を。

 そして、子供は賭けに勝った。


「でも、どうしてこんなにお菓子があるの? 食べても食べてもなくならないのはどうして?」

「どうしてだろうねえ」


 老婆はふふと笑う。その赤い目が細まり、見えなくなった。

「私もわからないのさ。でも、たしかに食べても食べてもなくならないんだ。ならありがたいと思っておけばいいんじゃないかい?」

「そうだけど……」

「このパンだけはあたしが焼かなくちゃいけないんだけどねぇ……お味はどうだい?」

「美味しいよ」


 子供が感じた疑問は、老婆の差しだした白パンに掻き消される。中に詰められたチョコレートが、砂糖代わりにパンを甘くしていた。


「……さて、あたしは窯にまた火を入れないと。パン生地もまた捏ねないと」

 子供がまた菓子の山に舌鼓を打ち始めたのを確認し、老婆は席を立つ。子供に差しだしたのは自分の昼食の分のパンだ。それを差しだしてしまった以上、また自分の分のパンを焼かないといけないことに、今更ながら気付いた。

 甘いお菓子に夢中になっていた子供は、その老婆の言葉に手を止める。食べさせてもらってばかりでは心苦しいと、こちらも今更ながらに気が付いた。

「僕、やります」

「火を使うからね、危ないからいいよ」

「でも、僕がやります」


 子供は室内を見渡し、老婆の口にした窯を見つける。

 毎日のように使われているその窯の扉は鉄製だが全く錆も浮いておらず、開けば灰のひとつまみすらないほど綺麗に掃除されていた。

 口も広く、中も大きい。


「こんなに……大きな窯」

「大きいだろう? なんせ、人一人くらいなら焼けるからね」


 中を覗いていた子供。しかしその背にかけられた老婆の言葉が、冗談じみていても何故だか無視出来なかった。

 驚き急いで振り返る。その視線の先には、しわくちゃの顔を笑顔で更に歪めた老婆がいた。

「冗談だよ。やってくれるならお願いできるかえ? 年を取るとね、目が悪くなって不便だからさ」

「……ですよね」


 背筋を凍らせながら子供は唾を飲む。先ほど食べた飴の味が、口の中に広がった。




 お菓子の家に泊まった次の日の朝も、子供は老婆の相伴に預かった。

 飲み物は溶けたチョコレート。生クリームの綺麗にナッペされたショートケーキを、ホールのまま食べる。

 老婆はザクロをそのまま頬張り、その口の中を赤く染める。


「あの……」

「……?」

 楽しい食事。心ゆくまで甘みを楽しむ食事。そんな中、子供は意を決したように口を開く。

「こんなにおもてなしをしてもらって申し訳ないんですが、もう帰ろうと思うんです」

「帰る? どこへ」

 老婆は赤い目を丸くする。しわがれた声が媚びを売った。

「帰る必要なんかないよ。いつまでもここで暮らしておいでよ」

「でも、家には帰れなくても、どこか……どこか街へ行く道はご存じありませんか?」

「街へかい?」


 子供はコクリと頷く。

 あまり世話になってはいけないと思った。世話になってばかりではいけないと思った。心苦しさに。

 そして心のどこかで、こうも響いた。『甘い物には飽きた』と。


 老婆は顎に手を当て悩む。

 子供はその仕草に、老婆が自分のために質問に答えようとしてくれているのだと思った。

 無論老婆は、そんなことでは悩んでいなかったのだが。


 そしてしばらくして、そうだ、と老婆は手を打つ。

「ちょっと今はわからないけれど、倉の中に古い地図があったはずさ。それを見れば一目瞭然だよ。朝ご飯が終わったら、一緒に探そうじゃないか」

「……ありがとうございます」


 老婆の親切な笑みに、子供は何故だか安心する。

 その安心した喉の動きを、老婆は細まった目の奥でしっかりと見ていた。




「この中さ」

 老婆に連れられて、子供はお菓子の家を後にする。その横にあった離れは倉として使われていると老婆は言った。

 こちらはお菓子で出来ているわけではなく、ごく普通の小屋。

 子供はその小屋を見て不思議に思った。これは、倉というよりも、家畜小屋。


 扉のない入り口から足を踏み入れれば、飼い葉のようなものが敷き詰められた地面。

 そして目の前にあるのは、鉄格子。


「お婆ちゃん、これ……っ……!?」


 その鉄格子の扉に向けて、老婆は子供を突き飛ばす。そして転がる子供には目もくれず、その扉を閉めて鍵をかける。

 ガチャリと、この家に来てから子供が聞いたことのない重たい音が響いた。


「お婆、ちゃん」

「久しぶりに一人で来てくれたんだ。逃がしゃしないよ」


 ひひひ、と老婆が笑う。その顔の皺がいやらしく歪み、黄ばんだ歯が剥き出しになった。

 鉄格子の中で尻餅をついたまま後退る子供に、老婆は鉄格子を掴んで身を寄せる。


「逃がしゃしないよ。ねえ、ヘンゼル」

「ヘンゼルって、……誰?」

「忘れちまったのかい。あんたの名前だよ」

 

 子供にとって恐怖しか感じられなかった老婆の笑みにほんの僅かに親愛の情が浮かぶ。もっともその親愛の情すらも、心当たりがない子供には全くの恐怖でしかない。



 老婆は笑う。その鉄格子の向こうで震える、骨しか見えないほどやせこけた子供の姿を。

 あな懐かしや。せっせとそのヘンゼルに、食事を運んでいた自分の姿が思い浮かぶ。


「そんな、僕は、そんな名前じゃ……」

「またお菓子をたんとお食べよ。そしてぶくぶく太っておくれ。今度は私のためだけに」


 ヘンゼルが来た。

 その事実に老婆が心躍らせる。年に一度程度だろうか、この楽しみにありつけるのは。

 魔法使いの老婆を焼き殺したあの日から、甘い食事の中にたまに混じる密やかな楽しみ。


「ねえ、ヘンゼル」


 そうだ、お前はヘンゼルだ。

 だから、お前はヘンゼルだ。


 お前はちょうど、六十六人目のお兄様。




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[一言] グレーテルって、コト!?
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