巨木の村8
フローラには怖い思いをさせてしまったのだろう。少し歩くとへなへなと腰が抜けるので、そのたびに優しく立ち上がらせる。歩けないようならおぶって行こうと思ったが、フローラは気丈にも歩くと言って聞かなかった。
村が見えるところまで来ると、泣き崩れる女性の姿が見えてきた。
フローラの足に力が入った。
「おばば!」
顔をあげた女性は、フラフラと立ち上がると走り出す。そこにフローラが抱きついた。
遠巻きに見ていた村人達は、微妙な表情を浮かべ家に戻っていった。
おばばが助けにいこうとしたのに、それを誰か村の人がとめたこと。無事に帰ってきたフローラを見てその態度。憤りを覚えた。
しかし、今村の人たちを非難しても、二人に嫌な思いをさせるだけだろう。握っていた拳にさらにグッと力をいれて、二人に近づいていく。
「おばば、シルクが助けてくれたのよ。シルクは、とても強いの。」
おばばは、こちらを見ると深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。どうお礼をしたらいいものか。」
「いいえ。私こそ、危険だから家から出てはいけないと、はっきり言っておけば、こんな怖い思いをさせなくてすんだのに。」
「こんな森の奥で危険はないだろうと、思い込んでいたわ。」
言おうかどうか少し迷ったが、フローラを抱き締める女性の姿に、話すことを決意する。
「あの。あなたは、あかねさんですか?」
「っ!!……えぇ。」
急に名前を言い当てたので、少し驚いたようだが、フローラの恩人だ。邪険にされることはなかった。
「私から渡したいものがあります。今は持っていないので、日を改めてお邪魔してもよろしいでしょうか?」
聞きたいことが多いだろうに、何も聞かずに、優しそうな笑みを浮かべて、
「では、その時にお礼もさせてちょうだいな。明後日のランチを家でどうかしら?」
「はい。お邪魔させて頂きます。フローラ、まだ危険だから明日は村から出てはいけないよ。」
「そ、そうね。わかったわ。」
と言いながら、コクコクと頷いている。あかねと簡単に挨拶を交わして家路についた。
そろそろ良い時間だろう。手土産には蜂蜜を持って村に向かう。足を踏み入れることはないだろうと思っていた村だ。
家の前でフローラが待っていた。
「シルク!来てくれてありがとう。」
すぐに家に招き入れてくれた。中ではあかねが優しく出迎えてくれる。テーブルには、柑橘類と苺が並んでいた。
「たいしたおもてなしは出来ないけれど、ゆっくりしていってちょうだいな。」
「ありがとうございます。あかねさんに渡したいものがありまして、万じいから預かっていたものです。」
小さな木の箱を取り出すと、あかねの前に優しくおいた。
小さな箱を受けとると、
「万作が?」
「えぇ、万じいは、自然にかえる直前までこれをあなたに渡せなかったことを悔やんでいました。自分が悪いのだと。」
ずいぶん開けられていない箱の中には銀色のリングが入っていた。
「まぁ、かわいいリング。」
リングを愛おしそうに眺めた後、優しくつまみ上げた。あかねは、リングを手のひらにのせて涙ぐんでいるようだ。
「まんさくさん?」
フローラが聞くと、あかねは遠い昔を思い出すように話し始めた。
「昔、この村はたくさんの精霊が暮らしていて、工芸がさかんだったの。買い付けに来る商人の出入りも多くて、賑やかな村だったわ。」
その頃の話は、私も聞いたことがない。
「万作は、とても珍しいけど、生きとし生けるものの数多の精霊で、知っていることも出来ることも多くて、この村のリーダー的な存在だったわ。あるとき、万作が可愛がっていた青年が急に自然に帰ってしまったの。その青年が何の生き物を宿していたのか私にはわからないけれど、その生き物が地上に一つもいなくなってしまったのね。皆、悲しんだけど、万作は憤慨したわ。」
あかねは、遠くを見つめて悲しそうな顔をした。
「万作は、生きとし生けるものの精霊だから、青年が宿していた生き物を絶滅させたのは、人間だとわかってしまった。そして、怒りのまま人間の精霊を責めたの。彼らが悪いわけではないのにね。きっと、人間の精霊たちにも、人間が原因だとわかっていたのね。負い目を感じたのかしら。責められるままにこの村を出て行ってしまったの。」
「手先が器用な彼らがいなくなると、工芸品の出来は悪くなったわ。この村に立ち寄る商人は少しずつ減っていった。廃れていくこの村からはだんだん人がいなくなり、この村には外部の人間を寄せつけないものだけが残り、排他的な村になってしまったの。この事態は万作がつまり、数多の精霊が原因のように感じたのでしょうね。数多の精霊に対しては悪い印象を持つようになった。」
悲しそうな顔でフローラの方を見た。
シルク自身、万じいには村には関係するなと固くとめられていた。この村で生まれたフローラは肩身の狭い思いをしているのだろう。
「あかねさんは出て行こうとは思わなかったのですか?」
「私はね、後悔していたの。あのとき、万作の悲しみと怒りに気がついてあげれば良かったと。万作は責任を感じたんでしょうね。この村からそう遠くない場所に小屋を建てていたから、ここにいた方がいいと思ったわ。それに、私にはこの子がいるのよ。」
おばばが向いた方向を見ると、窓から巨木の幹だけが見えていて、屋根の上から木の葉の揺れる音がしているようだった。