第2話:新薬開発室
樹が時空遡行研究所に入所した翌日、樹は研究所の中央広場で由佳理を待っていた。しばらくして由佳理が男性職員一人を連れてやって来た。金髪のいかにもチャラそうな男性だ。
「おはよう、樹君。今日は当研究所の施設などを覚えてもらいます。私は他の仕事があるから案内役の職員の言うことをしっかり聞いて。」そう言いながら由佳理は連れてきた職員を紹介する。
「この人は去年入ったばかりの新人で格好もアレだけど優秀よ。安心して何でも聞いていいわよ。」由佳理が笑いながら言う。
「勘弁して下さいよ〜。優秀なら給料をもう少し弾んで頂けたらモチベーションあがるんですけどねぇ。」男性は軽いノリで返す。
「上げて欲しいなら他の研究員の仕事を手伝ってばかりじゃなくて自分の研究の一つや二つやりなさいよ。あなたの仕事は丁寧で評価は高いけど自分自身の研究はまだ何もしてないじゃない。」由佳理は軽く窘める。
「だって俺はまだ入って1年ですよ〜。まだ下積み時代ッスよ。」男性が反論するが由佳理はそれを流しして、
「そんな事よりあなたはこの樹君に研究所内を案内するのが今日の仕事でしょ。さっさと自己紹介なさい。」
「はいはい、由佳理様の仰せのままに。」男性は返事をして樹の方に向き直った。
「蔦川樹君だっけ?樹って呼んでもいい?」樹は頷く。
「よっし!じゃあ樹、俺の名前は井戸根良太。25歳で樹より一つ歳上だ。よろしくな!」良太は高めのテンションで話しかけてくる。
「こちらこそよろしくお願いします。蔦川樹です。」樹も自分の名前を名乗る。
「それじゃあ自己紹介も済んだ所で私は仕事に行くから井戸根、あとは頼んだわよ。」由佳理がそう言って広場を後にする。
「了解ッス!任せてください!」良太はテンションが高いまま由佳理を見送る。樹も由佳理にぺこりとお辞儀をして見送った。
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「じゃあ今から施設巡り行くぞ!なんかあったら遠慮なく聞いてくれよな。」良太が樹に話しかける。
「それではいきなりで申し訳ないのですが、この研究所ではタイムマシンを研究していると聞きましたがどういうことなんでしょうか?僕にはまるで理解できないです。」樹は昨日から一番気になっていたことを聞く。
「おっと、そこからか。由佳理さんの言った通りタイムマシンさ。ざっくり言うと人を過去に転送するんだ。」良太が明るい口調で説明する。
「そんな技術が仮にあったとしてなんの為に?何が目的なんですか?」樹は続けて質問する。
「なんでって社会が機能を保つ為さ。」
「はい?」樹が顔に?を浮かべていると良太が手をパンと叩き、
「難しい話はここで終わり!いつか体験するから今は考えるな。説明しづらいしな!」諦めたのか、樹は悟る。
こんな調子で自分の頭の中に浮かぶ疑問が全て解決する気がしない。項垂れる樹だった。
「それじゃ気を取り直して研究所巡り行くぞ!」そう言いながら良太は研究所に入って右側、昨日樹がテストを受けた方へ進んでいく。樹もそれについて行った。
「この研究所は全職員252名、樹合わせて253名だ。この職員が主に3つの研究室に別れてて、一つ一つの総面積が数百平米の研究室毎に一人責任者である室長を筆頭にそれぞれ違った研究をしてるんだ。」良太は廊下を歩きながら説明する。ちょうど二人の隣にはガラスのドアがあり、中では数十人の白衣を着た研究員が薬品を調合している。
「今横にある入って一番近くにある研究室が"新薬開発室"で文字通りまだ世の中にない新しい薬を作っているんだ。職員数は62人。ここで作られた主な新薬は大手企業と連携していてこの国中に普及される。樹も何度かお世話になっているはずだぞ。」良太が話す。
「特務機関と言っても案外目立つことをするんですね。」
「まぁこれもカモフラージュなんだと。上の考える事はよくわかんねーけど新薬の中には公表されないやつもあるらしいぞ。それを作るのがこの部屋の本当の目的だったりして。」良太がそんなことを言っていると部屋の中から白衣を着た女性が出てきた。
「ずいぶんと面白い冗談ですね。井戸根さん。もっと聞かせてくださいな。」栗色の髪をしている。
「うわっ、出たなちーちゃん。残念ながらもうネタはありませーん。」
「年上はしっかり敬いなさいっていつも言ってるでしょ!もう!そんなんだからずっと安月給なんですよ!」
いきなり揉め合う2人に完全に置いていかれる樹だったが、この女性には見覚えがあった。
「お取り込みのところすみませんが、あなたは先日僕の家に来た配達員の方じゃ……?」
「あら、よく覚えてましたね。私は大箱千夏、新薬開発室の室長をしています。よろしくお願いしますね、蔦川君。」やはり当たっていた。樹の家に小包を届けに来た人で間違いないようだ。何故研究所の室長がわざわざ新人の家に……?樹は疑問に思った。
「どうして私が蔦川君の家に宅配したのか、ですか?理由 は単純、この研究所の新規採用の書類はいずれかの室長が直接本人に渡さないといけないからです。」千夏は樹が質問する前に答えた。
「ちーちゃんは自分から立候補して樹の家に行ったんだぜ。」笑いながら良太が言う。
「もう!だからちーちゃんはやめろと言っているのです!でも蔦川本人に会いたかったのは正しいですよ。瞬間記憶能力保持者なんてそうそうお目にかかれませんから。薬学部なら即採用なのですが残念です。」千夏は大げさに肩を落とす。何故瞬間記憶能力を持っていると知っているんだ?樹は更に疑問を抱える。
「なんで僕の能力を知ってるんですかって顔してんな。お前めちゃくちゃ顔に出るだろ。ついこの間まで所内は樹の話で持ち切りだったんだぜ。広場に職員全員集合させられたと思ったら所長が新規採用に推薦する人を発表するって言い出したんだ。所長からわざわざ推薦されるなんて滅多にない上に所長の息子でさらに瞬間記憶能力保持者なんて紹介されたんじゃまぁ当然だわな。」良太が当時を思い出すように話す。
「僕の父がそんな事を……でも皆さんが思っている程便利な能力ではないんですよ。確かに一瞬で覚えて忘れませんが意識を集中させないとダメだし覚えると凄く眠くなるんです。だから大学では居眠りカラスなんて不名誉なあだ名で呼ばれてました。」樹は誤解を訂正する。
「色々と制約はあるんだな。でも便利な事には変わりねぇよ。羨ましい限りだぜ!」良太にはあまり伝わらなかったのだろう。長年この能力というには不便な特性と付き合ってきた樹はかなりの苦労をしてきた。なにせ覚えると眠くなるのだ。授業中に起きていられるのはせいぜい十数分、覚えるだけなので応用ができず、高校の時は平常点が無に近かったので家に帰ってから必死に応用練習をしていた。
「井戸根さんは羨ましがる前にまず今でもできる事が山ほどあるでしょう!ほら、私の名前はなんですか?」千夏が自分を指さして良太に問いかける。
「誰って……ちーちゃんだろ?」即座に良太が答える。
「違うのです!大箱千夏という名前が私にはしっかりあるのです!」
「大箱って言うには身長がちょっと低いッスね。」良太は言う。
確かに千夏の身長は140cm前半だろうか。177cmの樹と180cmありそうな良太の二人と比べると頭一つ二つ低かった。女性の平均身長よりもかなり低いだろう。しかし多分いや、確実に地雷である。樹の予想通り千夏は顔を真っ赤にして、
「むきーっ!もういいです!さっさと行きなさい!」と声を荒らげた。
「言われなくても行きますよっと。ほら樹、行くぞ。」良太は千夏をスルッと流して樹の手を招く。
「との事ですので失礼します。大箱さん。」樹も一礼してから良太の方へ向かう。
「蔦川君はあの馬鹿と違っていつでも新薬開発室に来てくださいね。歓迎しますので。」千夏は樹に向かって笑顔でこう言った。いつかお邪魔させて頂こう。
「ありがとうございます。時間がありましたらお邪魔します。」樹は千夏にもう一礼してから廊下の奥へ向かった。
――――――
「さっきはあんな風になっちゃったけど俺はあの人を尊敬してるんだぞ。あんな小さな体で新薬開発室をまとめて多くの責任を背負う大箱さんを素直に凄いと思う。だってまだ26歳だぜ。」良太が廊下を歩きながら言った。なぜ尊敬する本人の前では素直になれないんだと思いつつ樹は良太が言った事に衝撃を受ける。
「大箱さんが26歳って僕と2つしか違わないじゃないですか!?いつからこの研究所にいらっしゃるんですか?」
「確か19歳の頃からだったはず。海外の大学を飛び級で卒業すると同時にここに来たみたいだ。この研究所もできてまだ十数年だから若いのに室長を任されたようだな。もっと前からいる人は…おっと、話してるうちに次の部屋に着いたぞ。」良太が立ち止まるとその横には新薬開発室とはまた違ったドアがあった。新薬開発室のドアは電車のドアくらいの大きさだったのに対しこのドアは広いコンビニの自動ドアくらいだろう。ガラスのドアの向こうでは研究員が忙しなく機械の部品が入った箱を持って移動している。良太は張った声で続ける。
「ようこそ樹!ここが俺の在籍する研究室で樹が配属される予定の "新技術開発室"だ!」
施設紹介編、続きます。