第1話:入社試験
ピピピピピ……アラーム音がする。ぼやける視界の中枕元にある目覚まし時計に手を伸ばし時計を止める。いつも通り食事を済ませ、玄関を出て鍵を閉める。いつもと違うところと言えばスーツを着ている事と、向かう先が大学ではなく井出崎市郊外にある大型ショッピングモールである事だった。普段とは逆方面の電車に乗ってしばらくすると、ビルが乱立する風景から住宅が立ち並ぶ郊外特有の風景へと変わった。電車を降り、階段を登ってショッピングモールへ直接繋がる通路を歩く。平日の朝だと言うのに施設内は主婦で賑わっていた。そんな中を歩いていると後ろから肩を叩かれた。
「あなたが蔦川樹君で合ってる?」振り返ると茶色のお団子ヘアの女性が立っていた。スーツを着ている姿は和んだショッピングモールの雰囲気にはまるで合っていなかった。
「はい、合っています。僕が蔦川樹です。」数瞬おいて返事をする。
「そう、よかった。間違えてたらどうしようかと思ったわ。」女性はクスッと笑い、続いて自己紹介をした。
「私の名前は大和田由佳理です。まずは歩きながら話しましょうか。ついて来て。」そう言って由佳理は歩きだした。樹もそれについて行く。
「あの、なんで僕が蔦川樹だとわかったんですか?初対面ですよね?」気になっていた質問を投げかける。
「あなたの顔と名前は事前に所長に知らされていたわ。所長からあなたの方にも連絡があったから今日ここに来たんでしょ?」連絡、、、あの小包の事だろう。ということは所長は樹の父である蔦川陽だろうか。大学に入ってから樹は父と会っておらず今まで息子を放置していた父が正直嫌いである。父の所為で母が小学校の頃に他界した樹は頼る相手もいなく、バイト漬けの日々を送ることになったのだ。しかし、就職先が決まっていない樹にとってこの話は受ける以外の選択肢はなかった。
「僕の父の蔦川陽があなたの会社の所長なんですか?父は僕が高校を卒業して暫くして失踪したのですが。」信じ難い話だがもし本当に父なら文句の1つを言うくらいの権利はあるはずだ。
「ええ、私たちの会社もとい研究所の所長はあなたの父親である蔦川陽で間違いないわ。あなたを置いていった理由は本人に聞いてちょうだい。」由佳理はそう答えた。
「さっ、着いたわよ。」5分程歩いて立ち止まった由佳理の前にはショッピングモールの関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアがあった。ということは由佳理はショッピングモールの職員だろうか。研究所と言っていたが聞き間違いだったのだろう。
「樹君、あなた所長からカード預かってない?それがあなたのこれから入る研究所の職員証なんだけど。」由佳理が尋ねてきた。
「これですか?」そう言って樹は鞄から白色のカードを取り出す。
「ええ、それは絶対に無くさないようにしてね。」そう言いながら由佳理はドアを開けて奥に進む。
ドアの奥には段ボールが積まれていて少し埃っぽかった。ちゃんと掃除をしていないのだろう。樹も由佳理に続きドアの中に進んでいく。突き当たった角を右に曲がり、階段を数段降りると先程とはまるで雰囲気の違う鉄製のドアがあった。とても厚くエレベーターのようなドアにはバーコードをかざす部分があり、由佳理はそこにポケットから樹と同じ色のカードを取り出し、同じく印字されているバーコードをそのドアにかざした。すると、ピロンと音がしてから重々しいドアがゆっくりと開いた。
「樹君もドアが閉まってからカードのバーコードをかざして入ってきてね。少し奥で待ってるわ。」そう言い残して由佳理はドアの奥へ進んでいった。由佳理が完全に中に入ると、ドアは再びゆっくりと閉まった。樹もそれに続きバーコードをかざして奥へ進んでいく。ドアの奥は無機質な階段が続いていてドアから数段下った所に由佳理が待っていた。どうやら本当に研究所のようだ、ショッピングモールの雰囲気はもはやまるでなかった。
「もう少しで研究所よ。」由佳理はさらに下へと降りていく。樹も由佳理の後を追う。数十段下ると急に広い場所に出た。広場の形は大きな円状で、四方にガラスの自動ドアで仕切られた通路がある。樹は唖然とした。
「樹君、着いたわよ。疲れているところ悪いけど当研究所に入るにあたってあなたがどれ程の頭を持っているかテストをします。いくら所長の推薦とはいえ流石に基礎能力がない人を入所させる訳にはいかないから、これは義務なの。さあ、テスト会場に行きましょう。」由佳理は落ち着いた様子で向かって左側の通路に向かった。通路内もいくつかの部屋があり、研究所の職員が十数人のグループを作ってそれぞれの部屋で何かの実験をしていた。途中の部屋の前で由佳理は立ち止まり、中に入る。部屋の中には机と椅子が2組だけあり、机のうえには2枚の紙と鉛筆が置かれていた。
「それではこれから樹君にいくつかのテストをしてもらいます。まずはあなたが常識を持っているかを聞きます。今日の年月日を言いなさい。」由佳理が樹に質問してくる。
「今日は2035年3月28日です。」樹は間髪入れずに答える。
「よろしい。では次にあなたの前にある紙に描かれている100個の図形を2分で覚えてその後もう1枚の白紙にできる限り書きなさい。それでは、、、初め!」由佳理はそう言いながら腕時計に目を向ける。由佳理の指示通り樹は目の前にある紙を表に向けそこに描かれている図形に目を通す。強い眠気がくるがそれを無視して数秒見たあと、樹は紙を裏に向けて「もう大丈夫です。覚えました。」と言った。
「もう大丈夫ってあなた数秒しか見てないじゃない。」由佳理は呆れたように樹を窘める。
「いえ、全部覚えましたよ。」そう言いながら樹は鉛筆を手に取り白紙に先程覚えた図形を書いていく。1つ2つ、3つと書いていく手には全く迷いがなかった。数分後、白紙だった紙にはまるでもう1枚をコピーしたような図形が描かれていた。由佳理は驚いた様子で、
「あなた、本当に今の数秒で覚えたの!?」と声を大きくして言った。
「カメラアイって知ってますか?瞬間記憶能力とも言うのですが。僕はその能力を持っているらしく、一度見たものは基本忘れません。激しく動揺したりすると思い出せない時もありますが。」樹は表情を変えることなくすらすらと述べる。
「存在していることは知っていたけど……これなら所長が推薦したのも分かるわ。」由佳理は納得したような顔で頷いた。樹はその後行われた学力テストでも自信を持って回答した。
どうやら面接はないようだ。樹は若干ほっとした。
由佳理が書類を持ってきてテスト結果をもう一度確認してから言った。「テストも問題無し。職員試験はクリアです。では樹君、改めてようこそ!歓迎するわ。まずはこの研究所について紹介します。ここは政府直属の研究所、時間遡行研究所です。あなたにはこれからここの職員になってもらいます。」由佳理の言っていることが樹には理解できなかった。頭の中でもう一度再生する。
時間遡行……??
「時間遡行と言いましたか?僕にはまるで意味がわからないのですが。」樹は混乱しながら由佳理に聞く。
「ええ、時間遡行。俗に言うタイムマシンを研究している研究所のことよ。」タイムマシン?何かの漫画だろうか?現実とはかけ離れたワードに樹は言葉を失う。
「信じられないって顔ね。樹君が信じられないのも分かるわ、私も最初はそうだったもの。百聞は一見に如かずって言うけど今はタイムマシンを使うような事態は起きてないから見るのはまた今度になるわ。しばらくは新人らしく重労働で働いてもらうことになるから疑問を残したままで悪いけど理解して頂戴。」由佳理は樹にそう口早に話した。
「―――はい。」樹は頭の中に浮かんでいるいくつもの疑問を無視して返事をするので精一杯だった。
ようやく話が始まりました。