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孤高なるギエン  作者: ホオジロ ケン
ワーウルフ編
9/49

かつて人であったもの

 現実から目を遠ざけようとして、ふと昔のことを思い出す時がたすくにはあった。

 食卓に置かれた食事に、対面する母の姿。

 ピアノに向き合い、ひたすら作曲に勤しむ父の背中。

 決して大きくはない市街地と、根付く緑の自然、のどかな雰囲気を今でも忘れられない。

 日曜の朝になれば、近所の友人がインターホンを鳴らして迎えに来てくれた。

 九条くじょうあかつき。援は彼と一緒に過ごす時間が何よりも楽しかった。

 暁は周囲の子供たちからは憧れの的であった。

 頼り甲斐のあるリーダーシップ。なんにでも臆さずこなせる度胸や体力があって、皆を引っ張ってくれる優しさを持ち合わせていた。

 夏休みになれば、暁の親戚である明道家が街を訪ねて来る。

 エミと知り合ったのもその縁からであり、色んな場所で思い出を作った。


 やがて母と父の剃り合いが合わなくなった頃、泣いていた援に暁やエミは手を差し伸べてくれたことがあった。


 決して良いことばかりの時期ではなかったが、彼らと共に過ごすその時間だけは、覆ることのない大切な居場所だったのだ。

 願わくば、あの日の時みたいに。

 あの日憧れていた人の背中を。自分に手を指し伸ばしてくれた者の温もりを。


 今度は他人ではなく、自分が施すようにと……援は今一度、向き直る。




「こ、こは?」


 目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。

 隣には点滴装置が管を伸ばし、自身の腕へ繋げられている。

 病院というには、その空間は豪奢なものだ

 左には一面ガラス張りで、外はまるで熱帯雨林の草木が生い茂る。

 部屋の内装も、ソファに巨大なテレビ。安らぎを与えてくれる照明器具等。率直に高級ホテルの一室に近かった。


「なんで僕、こんな所に……?」


 ベットから立ち、点滴装置のローラーを転がせ歩くと――遮るように、突然音楽が流れた。

 テレビ近くにあったレコードプレイヤーが勝手に動き出す。


『お目覚めのようだね! 藤木ふじき援君』


 やけに脳へこびりつく、甲高い声色。

 その当人は、上機嫌に頬を緩ませて、テレビ画面の向こうから援と対峙する。


「貴方、は?」


『私は新城しんじょう胴淳どうじゅん。主な仕事はアセビ製薬会社の取締役会長を務めている。ああ、君の説明は要らないよ? 必要なことは事前に把握しているからねえ』


 新城は指をパチンと鳴らす。

 ドアの先から電子音が鳴り、同時に使用人らしき女性が頭を下げて入室した。


『ここからは直接対面して話をしよう。なぜ君がここに居るのか? “君を襲ったアッシュがどうなったのか”をね……』


「………………」


「新城会長の部屋まで、ご案内します」――そう告げる使用人に、援は静かについて行った。




 退出した部屋とは打って変わり、エレベーターを上がって訪れたフロア通路は乳白色に輝く、研究所の様相を晒す。

 訪れたのはフロアの奥に佇む、会長室。木製の両扉を開け放ち、援は入室すると……。


「お待ちしてましたよ、先輩」


 一人の同年代らしき異性が、近寄って来た。

 自身を指すであろうその呼び名に、援は困惑。


「『先輩』って、僕のこと?」


「はい。私も先輩の通う、逸陽いちよう高等学校の一年です。名前は新城しんじょう菜沙なずなと言います。覚えていませんか? 私の顔」


 そう言われ、援はマジマジと一つ下の後輩を見やった。

 青みのかかる天色の髪をうなじまで揺らし、くりっと開かれた明眸をしばたたかせる。端整ながら活発そうな容姿に、援は朧げに思い出した。


「君、確か同級生に絡まれて困ってた……」


「はい。覚えててくれたんですね、嬉しいな〜」


 胸の靄が晴れた。つい先日、援が同級生に痛みつけられる切っ掛けとなった少女だ。


「あの時はすみません。先輩が襲われちゃったのに助けも呼べなくて……」


「いや、あの場は逃げるのが正解だったよ。君が謝ることじゃないしさ」


「そう言っていただけると嬉しいです! ささ、おじさんのところまで案内しますよ!」


 近寄るや、菜沙は援の腕に抱きつきグイグイと部屋の奥へ連れ込んだ。

 豊満な胸の感触と、ふんわりと包み込む香りに、援はつい背筋をピンと張る。

 やがて大きな机を隔て、背丈の広い男の元へと辿り着く。


「新城おじさん、援先輩つれて来ましたよ〜」


「ああ、待っていたよ? 藤木援君。菜沙ちゃん、彼を離してやってくれ。このままだと、緊張して話どころではないからね」


 窓の景色を見下ろしていた新城が向き直り、彼はポケットから、ある物を取り出した。


 パーティーや誕生日なんかで使う、クラッカーを。


「まずは祝福しよう! アッシュの脅威から、よくぞ無事生還を果たした君に」


 パン! と紐を引くと同時に色とりどりの紙テープが舞った。


「あの……ふざけてるんですか?」


「ふざける? 私はいつだって大真面目だよ!」


 目は全く見開かれたまま、盛大に笑い飛ばす新城。

 互いの齟齬など粗末とばかりに、新城は話の続きに入った。


「さて、祝福ついでに、君へ現状把握の機会を与えよう。まずは何から知りたいのかな?」


 “ついで”と挿入された本題の定義は広い。援は慎重に回答を選んだ。


「貴方は、どうして街中にアッシュが現れたのか……それも知っているんですか?」


「どうやら、ことの発端から話していく必要があるようだね」


 話の流れを察し、菜沙は援から離れて、壁のとあるスイッチを押し込んだ。

 一部のタイル床が盛り上がり、小さなデバイスが顔を出した。

 丸い先端部位から光を照射し、四角い枠組みのホログラムとなって彼らの前に現れる。


「この映像は6日前に取られたものだ。場所はBD防衛局第五セクター。君を襲ったアッシュ――ワーウルフが初めて現れた映像だよ」


「それじゃあこれは……対策室が所持してる機密情報⁉」


 戦闘の直接的な映像など、メディアにだって伏せられているはず。

 それを所持し、あまつさえ容易く見せてくる行為に援は疑念をますます強くする。


『二体目のアッシュ襲来を確認! 迎撃システムの復興を急がせろ‼』


『至急、人員を第三フロアに固めろ‼ 弾倉補充まで持たせるんだ‼』


『敵性アッシュの進行度が速すぎる! 速く応援要請を……っああああ⁉』


 ワーウルフの姿が映像に横切り、視界外の銃撃の閃光は一つ二つと減っていく。


「アッシュ一体に及ぶ火器系統の迎撃費用は、未だに馬鹿にならない。たった一匹に対して使用される銃弾並びに砲弾数も日に日に増し、今回、ついに突破される失態を犯してしまった!」


「それじゃあニュースで報道されていた、ドーム内に追い返したっていうのは……」


「全くの嘘ですよ。更に言えば、対策室は極秘に撃退を試みています。先輩の家にアッシュが襲撃した、その一時間後に」


「なぜ、僕の家に⁉ それに母を……! 母は一体どうなってしまったんですか⁉」


「彼らは未知の領域に住まう生物だ。その行動理念は誰にだって予測はできない。私は当然と考えているよ。何せ、彼らは持っているのだ。かつて“人であった頃の感情”を!」


「かつて……人であった……⁉︎」


 援の脳裏に、怪物が胴体を開いた時の光景が広がった。

 援は見た……アッシュが母を飲み込む前に、別の人間を吐き出していたのを――。


「『アレ』は……人だった」


「そう、人だ。アッシュとは詰まるところ……ブラックドームから逃げ遅れた“人々の成れの果て”、と対策室は結論づけている」


 ドクンと心臓が脈打った。


(この人は一体、何を……? 今までだって、ニュースでそんな報道、流れたことなんか……!)


「話せると思うかい? 国民を混乱に陥れかねん、そんな情報を」


 心の内を見抜かれ、援の頭は蕪雑ぶざつに熱くなっていく。


「対策室は、全員知っているんですか⁉ 自分たちが殺しているのが人だってことを‼」


「一般の兵士には隠されている。当然、国民にも極秘。倒されたアッシュは速やかに別動隊に回収され、隠ぺい工作は抜かりなく進められている。他の国も同義にね」


 ただ押し黙る援に、新城は続けた。


「先ほど君は、『なぜアッシュが母親を狙ったのか?』と、聞いてきたよね? これは私の推察だが、アッシュはかつて人間だった頃の理念や欲を元に行動している。『誰かに会いたい』、『故郷に帰りたい』などとね。しかし外に出た彼らには活動限界がある。ずば抜けた生命力と言えど、それはネクタル因子と言う栄養素があってこそ。供給が無ければ飢え死にだ」


「そこで」と綴り、新城は援に指を差す。


「ワーウルフは見つけたのだよ。自身の力を担ってくれる、新しい原動力――君の母親を」


「母さんが⁉ そんな馬鹿な!」


 点滴装置が援の握力で揺れ動く。


「母さんは……黒蝕病にかかって、口さえ利けなかった! それに人間を取り込むことが、なぜ延命に繋がるんですか⁉」


「援君。君は黒蝕病がただの病だという認識を抱いているが、アレはそんな単純なものではない。ネクタル因子の作用によって変異した細胞――裏を返せばそれは、“ネクタル因子に適合し生まれ変わった細胞”なのだよ」


「ネクタル因子に、適合?」


「通常の人間では、ネクタル因子に侵された場合、10日と命が持たない。細胞の異常な変異に身体が付いていけず、他の機能を阻害してしまうからだよ。しかし君の母は、動けないながらも、ちゃんと生き永らえていた。ネクタル因子と共存していたからなのだよ」


「だけど……母の黒蝕病は日に日に進行していた! 共存だなんて……」


「確かに、志の無い進化は、粗末な結果を孕んでしまう。君の母の生きたいという気持ちが、中途半端に因子に作用し、本来なら死を迎えるはずが廃人になるに留まった」


「それのどこが共存なんですか⁉︎ 結局母は、ほとんど動けず……それこそ死んだも当然に!」


「考えてみてくれたまえ、援君。確かに君の母は因子の成長過程で、悲惨な結果を辿った。しかしあの黒蝕病が無ければ、今頃君の母は栄養失調で息絶えていたはずだ」


「貴方は何を言って……!」


「つまりですね先輩。先輩のお母さんに充てられた栄養パックも、そして今先輩に付けられている栄養パックも、微量ながら『ネクタル因子』が含まれているものなんですよ」


 菜沙の捕捉に、援は軽く背筋を凍らせた。


「黒蝕病を患う者は、普段の食事でも栄養は取れる。しかし因子はそれ以上に生命活動を大きく躍進させる。効率だけで言えば、食事などと比較にならないほどにね!」


「嘘だ! 母が、そんなもので生き永らえていたなんて……! アレは元凶なんですよ⁉」


「ならば君はどうなのかね? “アレほどの傷”が、なぜ今は良好に回復している?」


 心臓に杭を打たれ、胸にぽっかりと穴が開いた。

 証明できる事実は近くにあった――自身の傷の無い体が何よりも物語っている。

 通常ならば死んでもおかしくはない傷。『普通』ではあり得ないのだ。


「だったら……だったらなぜあの怪物は、僕ではなく母さんを‼」


「単純に、肌に合うかどうかさ。奴は自分に適した因子に反応を示した。使い古した電池を取り換える意味でもね。結果ワーウルフは、従来の数倍以上のネクタル係数値を手にした」


 膝を尽き、床に座す。


 あらゆるものが勝手過ぎた。


 こんな……たった一つの歯車が狂ったように、絶望へと誘われるなんて――。


「君の境遇には同情しよう。しかし立ち止まってはいけない。ネクタル因子に晒され、アッシュに脅かされて尚、君は二つ足で立っている」


「…………僕にそれを話して、貴方はどうしたいのですか?」


 新城の言葉を全て鵜呑みにするつもりはない。

 しかしここまで重大な機密を喋っておいて、『特別に帰してやろう』などとは考えられない。

 逃亡したアッシュを、援が目撃している時点においても。


「私が君をここへ連れて来たのは、同情でも口止めでもない。“可能性”だよ!」


「可能、性?」


「ああ。しかし無理にとは言わない。覚悟や情動なくして、力は得られないからね〜。もしも君がそれを望むのならば、再び私の元に来るといい。いつでも歓迎するよ、藤木援君」


 肩を叩き、新城は笑うと部屋を退出する。

 主人無き部屋の中央で、援はただ、目前のホログラムに映る襲撃の惨状を正視する。

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