援の可能性
『彼らの家庭事情も、君のようにブラックドーム被害で大きく歪んでしまった』
タブレット画面に出される、いくつもの顔写真。
どれもが年端もいかない年齢であり、中でも見知った顔の二人に援は息を飲む。
『九条暁君、並びに明道エミ君も、君のように因子の影響を受けているのは知ってたかね?』
「はい……僕のように、露骨な症状は出てないから、軽微だと」
『彼らにもそうだが、フローラチルドレンは全員、同じ症状化を歩んでいる。8年前、ブラックドームが登場して一か月――観測上で初めて、ドーム外で被害を及ぼした事件と言えよう』
ブラックドームが外へと被害をもたらしていくのは、何もアッシュだけではない。
8年前――ワーウルフよりも未曾有に、人的被害だけならば比較にならない事件は存在した。
ネクタル因子によって汚染された、水源の流出。
『当時、壁が急ピッチで設立されていく中で、それは起こった。配水場にドーム内の水源が紛れ、そして不運にも個人農業に使われる水道へと渡り、多くの食物を汚染した』
被害は隣の県にも渡り、結果200人近い黒蝕病患者を生んだ。
国の対応は速かったが、それでもほとんどが死に追いやられ――人類が徹底的にドームとの接触を断とうと躍起になるには、十分な事件があった。
『しかし中には、因子によって順応し、無事生還を果たした人間がいた。それが“彼ら”さ』
新城は新たな動画を提示する。
奇怪な銃や剣を目した兵器の羅列と、次に防護服を着た連中が、その一つを持ち上げた。
『これは軍が対アッシュ用に開発した兵装――その名も《アンブロシア》だ。本来ならスーツと併用して、これらの武器を使用できる』
持ち上げられた銃には黒い管が繋がれ、内部が微かに発光していた。
防護服の人間が、遠くにあるダミー人形へと銃口を構え、トリガーを押し込む。
一瞬白く画面が塗りつぶされ、光景が認識できる頃にはダミー人形は粉々に。周囲の壁もクレーターの凹みへと変わっていた。
「この兵器はまさか……」
『お察しの通り、ネクタル因子を取り込んだ兵器だよ。順来よりも高威力に、そしてスマートに仕上がっている。誰もが期待を込めた。しかしね――』
画面の中で、実験を試した作業服の人間がいきなり膝を折った。
近くの人間が慌てて作業服を脱がすと、中の男の身体はあちこちから流血していた。
『ネクタル因子は漏れなくエネルギーに変換されている。汚染の心配は無いが、一瞬とはいえ“死に際”の因子が所持者へと返ってしまうのが難点でね。やはり普通の人間では扱えない』
『そこで彼らに白羽の矢が立った』と、告げる新城。
ギリッと、援は奥歯を噛み締めた。
「そんな勝手な……⁉ 彼らはただそれだけのために‼」
『勘違いしてはいけないよ。これはあくまで彼らの意思だ。君の友人二人も、しかりね……』
援の呼吸が行き詰まる。
『彼らにも、君のように大きく運命の転機を迎えている。ある者は居場所を求め、ある者は歪めた現実に立ち向かおうと、ね……』
「あっ君やエミちゃんも……」
友人たちが知らぬ間にこんなことに――。
ただ蚊帳の外へと追いやられる以上に辛かったのは、無力な自分に対してであった。
力が無い……頼られないのは当然であろう。
同年代との喧嘩にだって助けられるぐらいだ。そんな弱い自分に友人たちが見向きなどするはずもなく……。
「着きましたよ、先輩。外に出てみてください」
車から降りると、そこは高台にある公園。ガードレール先の商店街では閃光が瞬いていた。
瞬間、援の皮膚の毛がザワリと波立つ。
「居る……アイツが⁉」
『素晴らしい! スーツ無しでアッシュの気配を感じ取れるとは!』
援は情景を見渡し、黒い車両を遠目に捉える。
恐らく、いや……間違いなく。
「軍車両。それじゃあ、あっ君やエミちゃんは!」
「当然来ているでしょうね。ワーウルフと戦うために」
歯噛みする援。
そんな彼に、菜沙は選択肢を与える。
「先輩、言ってましたよね? 『自分に何を期待しているの?』と。引き返すなら今ですよ?」
笑みの無い、真剣な眼差しを向ける菜沙。
彼女は白銀の光沢に光らせる小ぶりのケースを、彼の前に出す。
『援君、君は因子によって選ばれた一人だ。君の中に疼く力は、望めばどんな苦難とだって戦うだろう。あとは“切っ掛け”だけだ』
菜沙がケースを開き、中身を晒す。
有ったのは掌サイズに収まる、円型の装置が一つ。
中央には透明なレンズが当てこまれ、一見すれば監視カメラのようだった。
『意思の伴わない力では意味が無い。君が選びたまえ。自身の心に、本能に従って!』
「僕の力……」
気づけば指は震えていた。
情景が結んでいく時間が、まるでスローに感じられる。
自分に本当にできるのかを――。
はっきりとした自信があるわけでもない。友人たちのように、運命に抗いたいがためでもない。
ただ一つ――たった一つあるとするならば……。
(母さん……‼)
出してはならない――母のような犠牲者を。
生み出してはならない――あのような悲劇を。
友が、人が、自分の近くで奪われようとしているならば――。
援はガキリと、装置を食い込むぐらいに掴み込む。
『よろしい‼ 示してみせたまえ、君の“本能”を』
「ギアを左胸に取り付けて下さい。それで先輩に“切っ掛け”を与えてくれます。でも覚悟して下さいね? 相当……痛いですよ?」
忠告する菜沙に援は笑って見せて。
「大丈夫、痛い目は慣れてる」
躊躇いなく装置を左胸に合わせた。
装置が起動音を嘶かせ――次の瞬間、内部の針が皮膚へと深く喰い込んでいった。
「が、っああああ……‼」
余りの激痛に膝を折る。
歯を小刻みに揺らし、脂汗がとめどなく噴出した。
熱い――心臓が爆発するのではと、尋常では考えられない激しい鼓動を刻み……。
「あああああああああああああああああああああああーーーーっ‼」
『菜沙ちゃん離れたまえ。来るぞ』
援が立ち上がり、何層にも重なった奇声を上げる。
装置の中心レンズが赤く塗りつぶされ、周囲のくぼみからネバついた液体が蜘蛛の巣のように彼の身体を縛っていく。
全身を覆い、糸状の液体から赤い光が伝う間際――一気に膨張を繰り広げた。
援の身体を一片も残さず覆っていき、次第にそれは生物の皮膚へと創り変えていく。
「これが……!」
『そうだ、これが――ネクタル因子の進化だよ‼』
生まれた――成功だった。
新城はただ、目の前の生命の可能性に破顔する。
菜沙は、もはや別者へと変わり果てた援の姿に、瞬きすら忘れて直視し。
目前が一瞬にして砂塵に包まれた。
「けほっ! けほっ! せ、先輩!」
『どうやら……彼は行ったようだね』
景色を見渡して、菜沙はようやく姿を捕捉。
宙を蹴るように移動するそれは、その内点となり、遥か遠くへと影だけを残す。




