プロローグ
2012年、7月1日。初夏の気温と共にそれは突然、姿を現した。
『ブラックドーム』……人類にとって未曾有の広域災害。
各国に多発的に出現したドーム状の黒い暗黒空間は、まるで光を飲み込む宇宙のように、周辺地域に拡大した。
日本を始め、カナダ、ロシア、オーストラリア、アルゼンチン。
知らされている限りで20にも及び、国土、領海、果ては市街地……何一つ法則性も無く、全世界同時に襲った現象に、人々は畏怖さえ湧く暇も無く飲み込まれた。
ブラックドームに飲み込まれた人間の生還は乏しく、未知で、人類にそれを対処できる手段は皆無。
やがてドームは一様に進行を止め、各々の地域に留まった。
被害の拡大は収まり――同時に、人類は死闘の一陣を迎える。
ドームはやがて、その内に未曾有の『存在』を作り上げ。
『それら』はまるで何かを求めるように、人類の世界を脅かす。
『こちら徳島班! 司令部、応答願う! 応答願う‼』
ノイズ交じりの通信先、男の声が、銃声の騒音に負けじと張り上げていた。
「こちら第三司令部だ! どうした徳島班! どうして交戦状況に陥っている⁉」
『Cエリアで交戦中! 《アッシュ》だ‼ 奴らが現れた! 容姿から察するに“動物型”! すでに第三隔壁まで到達! このままでは進行を止められない‼ 速く増援を‼』
「徳島班‼ 他の部隊もアッシュと交戦中だ! 増援の時間まで持ちこたえ‼」
通信の先から司令部の声を打ち消す、金切り声が割り込んだ。
『もうすでにこのフロアまで⁉ 至急、増援を‼ 増援……ガガッ――!』
「おい徳島⁉ 聞こえるか応答を! クソ、なんてことだ‼」
通信器具に見切りを付けるや、更に指令室のオペレーターが、悪い知らせを捲し立ててくる。
「大田士官! 敵の侵攻が止まりません! 増援の望めない以上、このままでは……!」
「止む負えん。総員は退避し、10分以内に当セクターから避難しろ! 現時刻を以て、ここ第三セクターは閉門しアッシュの侵攻を防ぐ!」
「待って下さい大田司令官! 外部から通信! 『ブラックドーム対策本部』からです‼ 『現在、再編させた部隊をこちらに向かわせている』とのこと!」
「再編した部隊⁉ しかしそんな余力など本部には……!」
『ええ、メーデーメーデー。聞こえますでしょうか? 第三司令部、応答お願いします』
疑惑と混沌が渦巻く司令部に、他者の通信が割り込んでくる。
戦場に似つかわしくない、遠慮がちに振るう澄んだ少女の声に大田は息を飲む。
「だ、誰かね君は⁉ 一体何処から⁉」
『本部からの増援部隊です。部隊名は《フローラチルドレン》。これよりアッシュ殲滅のため作戦に加わります。今すぐ交戦フロアのハッチを開け、中の人間を退避させて下さい』
「敵は俊敏に優れた個体だ! 無闇に開けるわけには!」
『我々の敵はここだけではありません。早期解決が見られない場合は、強行手段も辞さない所存です。どうかお速いご決断を』
味方であるはずの部隊から、半ば強要的に支持を投げ渡される。
しかし言いよどむ手前、監視カメラに映る車のバンから、続々と重火器を持った兵がハッチ扉の前に集結していた。
彼らはすでに、扉一枚挟まれた先の戦場への準備を押し進めている。
「司令官、これも上からのご判断です。ここは」
苦言を飲み込み、大田は自身の責務と危機感との狭間で、決断を下した。
重々しい扉が左右に開き、点滅した天井の明かりがチカチカと視界を刺激する。
「ようやく重い腰を上げたか」
それを前に、スキンヘッドと眉間にしわを集中させる40代前後の男は、鼻を鳴らした。
後方に視線を寄越し、並列に並ぶ部下たちに険しい視線で告げる。
「これからアッシュ狩りを開始する! ただし、お前たちは後方待機だ。相手が外に出たなら瞬時に食い止めろ。メインはあくまで奴等だ」
次に彼の視線に晒されたのは、6人で構成された兵士たち。
いや、そう呼ぶには、彼らは周囲の兵士から浮世立つ。
10代中ほどの年端もいかない子供。一番上でもまだ17歳程度である。
それに輪をかけ、彼らに施された装備は黒を基調とした、ウェットスーツ。
胸、腕、足には部分的なプロテクターが装着されているだけで、後は布一枚。ほぼ生身を晒しているも同然だ。
兵装も近代的なデザインとかけ離れた、奇怪な装備を背中や腰に垂れ下げ、一般の人間からでも奇天烈に感じさせるに充分なインパクトだった。
「鳳隊長、こちらの準備は整えている。速く出撃許可を」
そんな中、赤髪の青年が急かすように前に出た。メンバーの中でも一番の年長者だ。
「随分と勝ち気だな? そんなに死に急ぎたいか、暁部隊長。長がそれでは部隊の品性が疑われる。目上への侮辱以前に、仲間の命を脅かしかねんぞ?」
「ちゃんと理解している。今こうして、貴方の無駄な説教に掴まれて救える命の数が減ることも。俺たちの敵は、このセクター内に居る一匹だけじゃない。こんなところで時間は費やせない」
はっきりと、悪びれることすらなく。
鳳は目尻をピクリと動かし、背を向けた。
「そこまで大口を叩くのなら見定めてもらう、お前たちの価値を。ただし、もし役に立たないようであるなら、私は容赦無く切り捨てる。ここは地獄の入り口、くれぐれも臆するなよ?」
「それなら安心だ」
ふっと笑みを掠めて、暁たちは自身が着るスーツを《起動》させた。
音も無く、彼らの身体から緑色に発行するラインが全身を覆い――。
「俺たちはあのドームの被災者だ。入り口程度で怯えなどしない」
人では成し得ない、未踏の領域へと自身を誘った。




