50.ユキの謝罪
要素指定コースで恋愛の短編が書き上がるのを待っているうちに、セバス君の客を案内する声が後ろから聞こえてきた。シオリは、こんな大雨の中でも客が来るんだぁ、と感心していると、足音が後ろから近づいてきて、誰かが真横で立ち止まった。
その人は動こうとしないので、何をやっているのだろうとシオリが右に顔を上げた途端、彼女はギョッとした。ユキがちょっと困った顔をしてこちらを見下ろしていたからだ。
互いの間に気まずい空気が流れる。でも、シオリは、このまま沈黙することは互いの溝を深めかねないと思い、咄嗟に笑顔で取り繕い「こんにちは」と声をかけた。
(ああ、これでも『空けといてあげたわよ』って言っているのに変わりない……。イヤな思いをさせてしまったかも)
気を揉むシオリに向けたユキの返礼は、困惑の顔のままコクリと頭を下げただけ。そうして、特等席にスッと近づいて静かに腰を下ろし目を泳がせる。
ほんの2、3秒の沈黙がやけに長く感じられた時、ユキがぺこりと頭を下げた。
「昨日はごめんなさい……」
BGMにほとんどかき消されたその声を、シオリは脳内で補完する。危うく聞き返すところだったが、頭を下げているので謝罪だろうから、細かいことはいい。ここで聞き返しては、はっきり謝罪してと言うようなものだから、聞こえた振りをする。
「気にしなくて大丈夫ですよ」
「我が儘ですみません。この席が一番落ち着くのをカンナが知っていて……」
語尾まで聞き取れないシオリは、確かにこの声では衝立を挟むと何を言っているのかわからないと納得した。
ユキはショルダーバッグを開いて、青黒いビニール袋を取り出してテーブルの上に置いた。袋に描かれた模様と小さな店名から、中身が本だとわかる。自分も利用していた本屋の物だ。
まだバッグに手を突っ込んでいるので、スマホを探しているのだろうと、シオリがユキの行動を観察していると、ビニール袋が倒れて、中に入っていた本が数冊飛び出した。
それは、ライトノベルの本だった。